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『竜門雑誌』第306号(竜門社, 1913.11)p.19-23
◎実業報知新聞五週年式塲に於て
青淵先生
本篇は十月十九日上野精養軒に於ける実業報知新聞社創刊五週年の当日青淵先生が同社の招待に応じて式塲に臨まれ演説を試みられたるなり。
実業報知新聞の創業満五年の祝典に当りて、私も御招ぎを得て此席に来賓の一人として祝詞を述べるやうにとの仰せを蒙むりまして。茲に一言を呈さうと思ひますが、私は余り此事業に対して意見を以て居りませぬから、細かいことに付て陳述する丈の智慧がございませぬ、併し斯く御目出度い事に付て、殊に其事業が実業であります、実業も〳〵私共始終進歩を図りつ〻ある、或は肥料であるとか、製粉であるとか砂糖であるとか日用甚だ貴重な品である、斯る品の相塲の高低なり市塲の模様なりを詳かに知ると云ふ、此実業報知新聞の如き機関は経済上甚だ必要のものと存じます、故に私自身から其仕事を致さぬにもせよ、折角の御招ぎを得ましたに付て、茲に一条の愚見を申述ぶるは最も欣幸とする所でございますが、前に申上げます通り、実務に暗い私であるから、其新聞に別に斯くなさつたら宜からう、若しくは其主義に於て斯様あつたら宜しからうと云ふ細かい事実に付て、或は賞讃の言葉を述べるか、或は卑見を以て御注意を乞ふとか云ふやうな利益ある御話は出来ませぬ、唯実業と云ふものは如何に考へたら良からうと云ふ事に付て、平日思ふて居りますことを陳述致さうと思ひます、故に祝詞には相成らぬで、若しくは忠告の言葉とか、或は訓戒見へたことになるかも知れませぬけれども、蓋し訓戒的言葉も又祝詞の一部たるものと私は思び[ひ]ます、唯世の中のことが御目出度い〳〵結構でござると云ふ計りか本当の目出度いのではない[、]目出度い中に此目出度さを長く継続するやうに斯く考へなければならぬと云ふことは、目出度さを永続せしむる手段であると思ふのであります[、]私は茲に実業に付て……此実業と云ふものは、如何に考へて宜いものか[、]勿論世の中の商売、興業が利殖を図るものに相違ない、若し商工業にして物を増殖するの効能がなかつたならば、即ち商工業は無意味になる、商工業は何たる公益もないものになる、去りながら其利殖を図るものも若し悉く己れさい[へ]利すれば他はどうでも良からうと云ふことを以て、利殖を図つて行つたならば、其事物は如何に相成るか、六ケ敷いことを云ふやうでございますけれども、若し果して今申す有様であつたならは[ば]、其孟子の言ふ、何んぞ必らずしも利を言はむ、又仁義あるのみ云々上下交〻利を征りて国危し云々苟も義を後にして利を先にすることをせば奪はんずば[奪はずんば]饜かずと相成ります故に、真正の利殖は仁義道徳に基かなければ决して永続するものでないと私は考へる、(拍手)但し右申しますると、兎角利殖を薄ふして人慾を去るとか普通外に立つと云ふやうな考へに悪くすると又走るのです、其思いやりを強く、世の中のことを思ふと云ふことは宜しいが、己れ自身の利慾に依つて働くは俗である、仁義道徳に欠けると考へると、世の中の仕事と云ふものは段々衰微して仕舞ふ、学者めへたことを言ふやうだけれども支那学問に、殊に千年計り昔になりますが、時代の学者が最も今のやうな経綸を経て居る、仁義道徳と云ふことを唱へるに付ては、斯かる順序から斯く進歩するものだと云ふ考へを打捨て〻総て空理空論に走るから、利慾を去つたら宜しいが、其極其人も衰へ従つて国家も衰弱に陥つた、其末は遂に元に攻められ、更に禍乱が続いて、とう〳〵元と云ふ夷に一統されて仕舞つたのは宋末の惨状である、唯兎角に空理空論なる仁義と云ふものは、国の元気を阻喪し物の生産力を薄くし、遂に其極国は滅亡する故に、仁義道徳も悪くすると、亡国に相成ると云ふことを考へなければならぬ、左れば利殖を主義とするか、己れさへ利すれば宜しい[、]人は構はぬと云ふ方の主義に基いてやつて行くか、今申す隣国の或一部分、元の当時の有様はそれである[、]人は構はぬ已[己]れさへ宜ければ良い、国家は構はぬ、自已[己]さへ宜ければ良い、其極国家は如何なる権利を失ひ如何なる名声を落すとも、個人の発達を考へて国家を顧みる人は殆んと稀だと云ふ有様である、宋の時代には、前に申す道徳仁義に付て国を亡ぼしたし、今日は又利已[己]主義に於て身を危ふすると申さなければならぬのであります、是は独り吾が隣国計りじやない、他の国々皆同一であつて、詰り利を図ると云ふこと〻仁義道徳たる処の道理を重んずると云ふ事は、並び立つて相異ならん程度に於て始めて国家は健全に発達し、個人は各々其宜しきを得て富んで行くと云ふものに相成るのであります、試みに例へば石油であるとか、若しくは製粉であるとか或は人造肥料であると云ふやうな業務に付て考へて見ても、若し利益を進めると云ふ観念がなくつて、成行き次第でどうでも宜いと云ふやうな風にやつたならば、决して事業が発達するものではない、富の増進するものではないことは明らかである[、]仮りに若し其仕事が自已[己]の利害に関係せず、人毎に儲かつても已[己]れの仕合せにならぬ、損しても不仕合せにならぬと云ふことであつたならば、其事業は完全に進まぬけれども已[己]れの仕事であれば此物を進めたい此仕事を発達せしむると云ふことは争ふべからざる事実である、去れば若しさう云ふ観念から他の事を凌いで、或は世の中の大勢を知らず、或は事情をも察せずに吾さへ善ければ宜いと云ふことであつたならば、如何に相成るか、必らず共に其不幸を蒙つて己れ一人を利さうと思つた其己れも又不幸を蒙むると云ふことに相成るのである、殊に極く昔しの事物の進歩せぬ時代は或はマグレ幸と云ふことがございますけれども、世の進むに従つて総ての事物がどうしても規則的にやつて行かなければならぬ時代に於て己れ自身さへ都合が宜いと云ふならば、例へば鉄道の開札塲を通らうと云ふに、狭い塲所を己れさへ先へ通らうと皆思つたならば誰も通ることが出来ぬ有様になつて共に困難に陥る、近い例を申すと己れをのみと云ふ考へが己れ自身をも利を進めることが出来ぬと云ふは其一時に徴しても御分りだらうと思ふのであります、茲に於て私は常に希望しまする所は、物を進めたい増したいと云ふ慾望と云ふものは常に人間の体に持たんならぬ、而して其進める慾望は道理に依つて活動するやうに致したい、此道理と云ふのは仁義道徳相並んで行く道理である、其道理と慾望とは相密着して行かなければ、此道理も前に申す支那の衰微に陥つたやうな風に走らないとは云へない、又後に申す其慾望は如何に進んで行つても道理と背違しない以上は何時までも奪はんずば[奪はずんば]厭かずと云ふ不幸を見るに至ると思ふのであります、私は極く卑近な一の説を持つて居りますが、今の道徳に依つて最も重なる者とも言ふべきものは孔子のことに付て門人達の書た論語と云ふ書物がある、是は何誰も大抵読むと云ふことは知つて居るものだ[、]此論語と云ふものと算盤と云ふものがある、甚だ不釣合の話である、是は大変に懸隔したものでありますけれども、私は不断に此算盤は論語に依つて出来て居る、論語は又算盤に依つて本当の富が活動されるものである、故に論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いものであると始終論じて居るのである、或時私の友人が私が七十になつたと云ふ時に一の賀状を造つて呉れた、其賀状の中に論語の本と算盤と一方に於てはシルクハツトと朱鞘の大小の絵が書いてあつた、一日学者の三島毅先生が私の宅へござつて、其絵を見られて甚だ面白い、私は論語読みの方なんだ、お前は算盤を攻究して居る人で、其算盤を持つ人が斯の如き本を充分に論ずる以上は、自分も又論語読みだが算盤を大に講究せねばならぬから、お前と共に論語と算盤を成るべく密着するやうに努めやうと言はれて、論語と算盤のことに付て一の文章を書いて前に陳述しましたやうに道理と事実と利益と必らず一致するものであると云ふことを種々なる例証を添へて一大文章を書て呉れました、是は此席に申上げる事でもございませぬけれども、私が常に此物の進みは是非とも大なる慾望を以て利殖を図ることに充分でないものは决して進むものではない、唯空理に走り虚栄に赴く国民は决して真実の発達をなすものでない、故に自分等は成るべく政治界軍事界などが唯跋扈せずに実業界が成るべく力を張るやうに希望する、それは即ち物を増殖する務めである、是が完全でなければ国の富はなさぬ、其富をなす根源は何かと云へば、前に申す通り仁義道徳、正しい道理の富でなければ、其富は完全に永続することが出来ぬ、茲に於て論語算盤と云ふ懸け離れたものを一致せしめるは頗る今日の緊要の務めと自分は考へて居るのであります、蓋し此実業報知新聞が、常に論語算盤を始終御崇拝下さるかどうか知れませぬけれども、即ち此新聞に依つて利用なさる処の各種の実業家としても、矢張り論語を総て御読みなさらんでも、論語の主義と云ふものは充分に御守りなさらんと相共に進んで発達することが出来ぬと私は感じます、斯く申上ぐることは申すまでもなく、御同業相結び合ひ、相待ち相援けて、成るたけ規律的に共同進歩を図ると云ふことが生産上の最も必要な注意である、即ら[ち]それが論語算盤の主義に適切なるものであらうと考へるので、想ふに此新聞も其事を追々皷吹されると思ふ、又此新聞を利用される各当業者の諸君も、此趣意に依つて段々利用発達せしめるであらうと希望するのでありき[ま]す、前にも申上げます通り、私の言葉は唯御目出度いと云ふ祝詞でなしに、それに叶ふたら諸君の事業は必らず御繁昌をするであらうと思ふ、どうぞ其注意を願ひたいと云ふ意味になりますから、祝詞には甚だ不似合でありますが、平生思ふて居りますことを、茲に祝詞に代へて陳述した次第であります。(拍手)