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『竜門雑誌』第293号(竜門社, 1912.10)p.35-37

◎予は覇者の道を踏まず

青淵先生

本篇は十月一日発行の雑誌「実業之世界」に掲載せる青淵先生の談片なり(編者議[識])

▲就職希望者に対する微意

 私の許には、随分多くの就職希望者が、それ〳〵の伝手を以て、私の斡旋を頼みに見えられる。折角の希望であつて見れば、成るべく多勢の依頼者に満足を与へ一人でも多く人材の種子を事業界に卸したいと云ふ人情から、及ぶ限り斡旋の労を私は取つて居る。けれども何分多数者のことであるから、その一人一人に就いて、その出生は何うであるか、その性質は何うであるか、その学業その素行は何うであるか、その材能は何う云ふ方面に伸びて居るか、其一々を前以て承知して居るのではない。中には多少面識のある人がありとしても、多数は初対面の人々である。その人物を知らずして世話するのは、甚だ無責任なやうであるが、何う云ふ筋の紹介を以て来て居るかを第一に見て、及ぶだけ手を尽して、たしかめ得るだけ人物をたしかめて、さて後に斡旋するやうに致して居る。而して都合好く個々に其所を得せしめ、個々に其手足を伸ばさしめ来つたか否かは、何とも私自身には申し難いが、希くば個々に其所を得せしめたい、個々に其手足を伸ばさしめたいと云ふ衷情は曾て渝らない。かりそめにも人を世話するからには、又当然これだけの心懸が無くては済まぬ義理である。

▲断じて覇者の道を踏まず

 材能の適不適を察し、適材を適処に置くといふ事は、多少なりとも人の数を繰廻す者の、常に口に是を言ふ処であつて而して又常に心に是を難る処である。更に又惟ふに、適材を適処に置くと云ふ事の蔭には、往々にして権謀の加味されて居る塲合がある、自己の権勢を張らうとするには、何よりは適材を適処に配備し一歩は一歩より、一段は一段より、漸次に自己の勢力を扶殖し、漸次に自己の立脚地を踏固めて行かなければならぬ。斯様に工風する者は、遂に能く一派の権勢を築上て政治界に処しても、事業界に処しても、乃至何等の社会に処しても、儼然として覇者の威を振ふ事が出来るのである。而して左様な行き方は、断じて私の学ぶ所ではないのである。

▲適材配備の第一人者

 我国の古今を通じて、徳川家康と云ふ人ほど、巧に適材を適処に配備して、自家の権勢を張るに便じた権謀家は見当らない。居城江戸の警備として、関東は大方譜代恩顧の郎党を以て取固め、箱根の関所を控へて大久保相模守を小田原に備へ、所謂三家は、水戸家を以て東国の門戸を抑へ、尾州家を以て東海の要衝を扼し、紀州家を以て畿内の背後を警め、伊井[井伊] 掃部頭を彦根に置いて平安王城を圧したなんど、人物の配備実に其妙を極めたのである。其他越後の榊原にしても、会津の保科にしても、出羽の酒井にしても、伊賀の藤堂にしても、且は中国九州は勿論、日本国中到らぬ隈なく、要所には必ず自家恩顧の郎党を配備し、これはと思ふ大名は、手も足も出し得ぬやうに取詰め、見事に徳川三百年の社稷を築上たのである。斯くして得たる家康の覇道は、我が国体に適ふものであつたか否かは、私が改めて批評する迄もないが、兎も角も適材を適処に置くと云ふ手腕に於ては古今家康に企及し得る者、我が国史には其匹儔を覓め難いのである。

▲私心を以て閥閲の藩籬を作らず

 私は適材を適処に配備する工風に於て家康の故智にあやかりたいものと、絶えず苦心して居るのであるが、其目的に於ては、全く家康に倣ふ処がない、渋沢は何処迄も渋沢の心を以て我と携ふ人物に対するのである。是を道具に使つて、自家の勢力を築かうの、何うのと云ふ私心は毛頭も蓄へて居らぬ。唯私の素志は適所に適材を得ることに存するのである[、]適材の適所に処して、而して何等かの成績を挙げることは、これ其人の国家社会に貢献する本来の道であつて、やがて又それが渋沢の国家社会に貢献する道となるのである。私は此信念の下に人物を待つのである。権謀的色彩を以て其人を汚辱し、自家薬籠の丸子として其人を封じ込めて仕舞ふやうな罪な業は決して致さぬ。活動の天地は自由なものでなければならぬ。渋沢の許に居りて舞台が狭いのならば、即座に渋沢と袂を分ち、自由自在に海濶な大舞台に乗出して、思ふさま手一杯の働き振を見せて下さる事を私は衷心から希ふて居る。我に一日の長あるが為に、人の自ら卑しうして私の許に働いて下さるにしても、人の一日の及ばざる故を以て、私は其人を卑しめたくない人は平等でなければならぬ。節制あり礼譲ある平等でなければならぬ。私を徳とする人もあらうが、私も人を徳として居る、畢竟世の中は相持と極めて居るから我も驕らず、彼も侮らず、互に相許して毫末も乖離する処のなきやうに私は勤めて居る。一例を挙げやうならば、第一銀行の佐々木勇之助氏の如き、私の世話になつたと佐々木氏は思つても居やうが、佐々木氏のお世話に預つたと私の方でも思つて居る。而して四十年来露ばかりも交情が渝らない。単に佐々木氏のみではない。私と相携ふ人々との間柄は、たとへ個々に馴染の深い浅いの度は異つて居やうとも、其情に於ては、一様に乖離する処のないと云ふ事を私は固く信じて居る。

要するに私は、上に述べた処の如く、一派の勢力を築かうと云ふ私心もなく、人物を道具に利用してやらうなんど云ふ雑念を払ひ、来者、往者、ひとしなみに友情を以て遇して居るから、往々世間に見る例の何派々々と云ふやうな閥閲は曾て作らぬ。世に倘し渋沢派がなど〻指す人があるならば、それは大変な鑑定違ひである。

人は平等なるべし(処世と信条)

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