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『竜門雑誌』第300号(竜門社, 1913.05)p.11-12

◎処世の要は忠恕のみ

青淵先生

 予の養生法、摂生法から割出した修養談をせよとの御希望でありますが、私は別に之と云つて際立つて養生をした事も無ければ亦摂生をした事もありません。殊に修養談などと取立て今の人に聞いて頂くやうな事は少しもありませんし、又多少私が今日迄経験もし感じた事があつたにしましても、今日と私の時代とは、時代が違ふのですから私の実行した通りに行つた処で成功するといふ訳でもなし、亦私の感じた事でも現代の人には何等の役に立たぬ事も多いだらうと思ひます。私は埼玉県の農家に生れましたので、若い時は百姓もする、行商もする、従つて酒も飲めば遊びもして、随分あばれたものです。其の頃は養生だの摂生だのといふ事は眼中になく、又精神の修養といふ事も一向しませんでしたが、只論語は好きで能く読みました。それから東京へ出て役人になり、洋行をして明治六年に官界を去つて実業界に身を投じてから今日に至る迄実に孔席墨突も啻ならざる程多忙で、寛々書物を読んでゐる閑も無ければ、又修養上の講話などを聞いてゐる暇も無かつたから、別段養生や、摂生や修養に意を止めた事もありません。唯近年歳と共に身体が弱りますので、御飯を喰べ過ぎないやうに、又甘い物だといつて度を過さないやうに、其他寒くないやうに熱くないやうにと、普通の注意は致しますもの〻、別段世間の人と変つた方法はありません。

 併し私の処世の方針としては、今日迄忠恕一貫の思想でやり通しました。古来宗教家道徳家といふやうな人に碩学鴻儒が沢山輩出して、道を教へ法を立てましたけれど、畢竟それは修身……即ち身を修めるといふ事の一事に尽きてゐるだらうと思ひます。其の修身も廻りくどく云へば六ケ敷が、解り易く云へば箸の上げ下しの間の注意にも充分其の意義が含まれてゐるだらうと思はれます。私は其の意味に於て、家族に対しても客に対しても其の他手紙を見るにも何を見るにも誠意を以てします。孔子は此の意味を入公門。鞠躬如也。如不容。立不中門。行不履閾。過位。色勃如也。足躩如也。其言似不足者。摂斎[斉]升堂。鞠躬如也。屏気。似不息者。出降一等。逞顔色。怡々如也。没階趨進。翼如也。複[復]其位。踧踖如也。の中に遺憾なく説いて居られる、又享礼、聘招、衣服、起臥に就ても、諄々と説かれ、食物の段に至つて、「食饐而餲、魚餒而肉敗不食。色悪不食、臭悪不食喰[食]。失飪不食。不時不食。割不正不食。不得其醤不食云々。」と云つてゐられる[、]是等は極く卑近な例だが、道徳や倫理は是等卑近の裡に籠つてゐるのだらうと思ひます。

 偖箸の上げ下しの注意が出来れば、次に心懸べきは自分を知るといふ事です、世の中には随分自分の力を過信して非望を起す人もありますが余り進む事ばかり知つて分を守るといふ事を知らぬと飛だ間違を惹起す事があります。私は蟹は甲羅に似た穴を堀[掘]るといふ主義で、渋沢は渋沢の分を守るといふ事を心懸て居ります。之でも今から十年ばかり前に是非大蔵大臣になつて呉れだの、又日本銀行の総裁になつて呉れだのといふ交渉も受けましたが、自分は明治六年に感ずる所があつて実業界に穴を堀[掘]つて這入つたのですから今更其の穴を這出すでもないと思つて固く辞しました、孔子は以て進むべくんば進み以て止まるべくんば止まり以て退くべくんば退くといつて居られるが実際人は其の進退が大事なのである[。]

 然しながら分に安んずるからと云つて進取の気象を忘れて了つては何にもならぬ。業若し成らずんば死すとも還らずとか、大功は細瑾を省みずとか、男子一度び意を决す[、]須らく乾坤一擲の快挙を試むべしとか云ふが、其間自から己が分を忘れてはならぬ。孔子は其の欲する処に従つて矩を踰えずと云はれたがつまり分に安んじつ〻進むのが可からうと思ふ。次に青年の最も注意すべき事は喜怒哀楽であります。独り青年のみならず、凡そ人間が処世の道を誤るのは主として七情の発作宜敷を得ざるが為で、孔子も関睢は楽んで淫せず哀んで傷らずといつて、深く喜怒愛[哀]楽の調節の必要なる事を述べて居られます[。]私共も酒も飲めば遊びもしたが、淫せず傷らずといふ事を常に限度としてゐました。之を要するに私の主義は誠意誠心、何事も誠を以て律するといふより外何物もありません、又他の事は兎に角此の一事は天下後世、何人と雖も行つて間違ひの無い事だと信ずるのであります。

蟹穴主義が肝要(処世と信条)

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