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『竜門雑誌』第311号(竜門社, 1914.04)p.15-18

◎学問と社会

青淵先生

 学問と社会との関係に就ては、一般の人々の常に考慮を費す処で、世の識者先覚者と言はる〻人々の間に於ては、殊に重要なる問題として研究せられて居るが、総じて学生間には余りに学問を過重視する傾向があるので、学問と言ふ学問は直ちに全部社会に応用の出来るものであると言ふ如き考を持ち易い、随つて相当に学問を修めると既に豪い人物に為つた気になり、十分なる活動が出来ると思つて社会に出るので、案外学生時代の予想の行はれぬので失望、落胆する者が多い。

 勿論学問と社会とは左程大なる相違は無いものであるが、学生時代の予想が余りに過大であるから、面倒なる活社会の状態を実見して意外の感を催ほすのである。

 今日の社会は昔とは異なりて種々複雑と為つて居るから、学問に於ても多くの科目に分れて、政治科、経済科、法律文学又は農とか商とか工とかに区別され然も其の各分科の中に於ても工業の中に電気、蒸気、造船、建築、採鉱、冶金抔と各分科が有り比較的単純に見へる文学でも哲学とか歴史とか色々に分れて教育に従事するもの小説を作るもの各其企望に従つて甚だ複雑多岐である、故に実際の社会に於て各自の活動する筋道も学校に在りし時に机上に於て見た如く分明で無いから、兎もすれば迷ひ易く誤り勝になる学生は常に此等の点に注意して大体に眼を着け大局を誤らずして自分の立脚地を見定めねばならぬ、即ち自己の立塲と他人の立塲とを相対的に視る事を忘れてはならぬのである。

 元来人情の通弊として兎角に功を急ぎ大局を忘れて、勢ひ事物に拘泥し僅かな成功に満足するかと思へば左程でも無い失敗に落胆する者が多い、学校卒業生が社会の実務を軽視し実際上の問題を誤解するのも多くは此の為である、是非とも此の誤れる考は改めねばならぬが、其の参考として学問と社会との関係を考察すべき例を挙げると、恰も地図を見る時と実地を歩行する時との如きものである。

 地図を開いて眼を注げば、世界も只一目の下にある一国一郷は指呼の間に在る如くに見える、参謀本部の製図は随分詳密なもので、小川小邱から土地の高低傾斜までも明かに分る如くに出来てゐるが、夫れでも実際と比較して見ると予想外の事が多い、夫れを深く考慮せず十分に熟知した積りで愈実地に踏出して見ると、茫漠として大に迷ふ山は高し谷は深し森林は連なり川は広く流る〻と言ふ間に道を尋ねて進むと、高岳に出遇ひ、何程登つても頂上に達し得ぬ或は大河に遮られて途方に暮れる事もあらうし、道路が迂回して容易に進まれぬ事もある、或は深い谷に入つて何時出る事が出来るかと思ふ時もある到る処に困難なる塲所を発見する、若し此の際十分の信念が無く大局を見るの明が無いなら、失望落胆して勇気は出でず自暴自棄に陥つて野山の差別なく狂ひ廻る如き事となつて、遂には不幸なる終りを見るであらう。

 此一例は学問と社会との関係の上に応用して考へると直ちに了解し得る事と思ふが、兎に角社会の事物の複雑なる事を前以て充分に会得して、如何に用意して居ても実際には意外な事が多いものであるから、学生は平常一層の注意を払つて研究して置かねばならぬ。

 私が常に官途とか会社銀行等に勤仕する人々から聴いて居る話に、学校では秀才とか優等生とか言はれて社会に出る人々が、其仲間から賞賛せられるのを頼んで、自身は必ず他人以上の出世をなし、予期する位置にも直ぐ登れると言ふ考を抱いて居る様でも、実際に於ては思ふ通りに行かないで、就職後杳として世に現はれず、人も其存在を怪しむと言ふ如き事となる、然し此の際が実際に於ての大切な学問の時代で、即ち谷に入り森林の中に徘徊して居る時代である、若し此の間に志を変へず力を落さずに猛進するならば軈がて人が意外とする所に達し、成る程能く耐忍したと言はれる時が来るものである。

 要するに今日の如く学問を学校に於てのみ学ぶものと考へ学校で十分に勉強をして置けば、社会に出て、直に満足な仕事が出来ると思ひ実社会を学校と心得ず、実際的の学問を机上の学問より軽視する傾向があるが、是は学問を修めし人の処世上多くは失望落胆して大失敗を演ずる原因であらふ。

 元来我が国では維新後成るべく早く立憲政治を施さんとして、欧米より範を採つたので、泰西の政治に通暁する人物を需むる事の急なりし結果自然政治学問に熱狂するの傾向となり其弊や又官途の企望者多きに過ぎて遂には文官試験制度を設けて官吏の進路に制限を加へる如くになつたのである。

 尋で政治熱同様に実業熱が盛となつて、銀行会社等に就職を希望するものが夥しくなりて、又々就職難に苦しむ如くになつたのである。

 畢竟今日は尚ほ過渡の時代で、国家社会の内容が充分に整はず、只々先進国の長所を適用する事に苦心して居た結果、机上の学問を尊ぶに過ぎ修学の目的は単に他人に使はる〻に限るといふ傾向があつたが、此の傾向は社会の進歩と共に次第に改まる事と思ふ、如何しても人各天稟の能力が有る筈だからよく〳〵自分の才能境遇を考察して、普通教育以上の学問は、自分に適当したるものを選んで自己の為めに研究せねばならぬ。

 此の点に就いては故矢野次郎氏の如きは深い注意を払つてなか〳〵行き届いたものである。久しい間東京高等商業学校で模範校長と言はれた程で学生との関係は親子兄弟の如きものであつた、然して平常学生と親みて赤誠を以て薫陶感化し其の間に各学生の性格才能を知悉し卒業後適処に就くに於ても行届いた世話をしたものである、寧ろ干渉と思はれた位であつた、学生は何程其の恩情に浴したか知れぬ。

 現名古屋商業学校長市村芳樹氏も其の学生の一人で、矢野氏の薫陶を受けた人である、此の師にして此の弟子ありで、私は先日其三十年紀念祝典に招待されて親しく其の実况を視察したが実に就職以来今日に到るまで氏が二十年間の苦心は、遂に今日の名古屋商業学校をして、彼の婬靡なる士地に在りながら模範的学校の名を得る如にした、創立以来三十年間に卒業した三千三百人の学生が到る処に真面目な活動をして居るのを聴いて実に頼母しいものであると思ふた、市村氏の教育法は即ち矢野氏の如き周到なる注意に加へて更に一歩文明的に進められたものである。

 其の師弟間の情誼の温かい事は言ふ迄もなく、全校を一大家庭の如くにして、生きた教育を施しつ〻ある教育勅語の如きも単に形式に止めずして赤心より奉読すると共に真に其の精神を体得せしむるに努めると言ふ如な有様である又其学科の如きも前申した地図の例の如く、努めて実際に遠ざからぬ様に、少からず苦心して居るから随つて卒業生の就職先も、銀行会社の雇人となるものは少なくして多数は其家庭で家業を励み、或は独立の準備を為すと言ふ如な有様であるから、学問と社会との関係が都合よく行はれてゐるのである。

 蓋し一校の事は一律に出来るものでは無いが、何れの学校に学び何れの学科を修めらる〻人にしても、前に述べた事共を参考として十分なる注意を払はれ且完全に勉強せられむことを望む。

(雑誌向上掲載)

社会と学問との関係(立志と学問)

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