出典を読む
『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.118-125
一九、清濁併せ呑まざるの弁
余は動もすれば世人より誤解されて、渋沢は清濁併せ呑むの主義であるとか、正邪善悪の差別を構はぬ男であるとか評される。此の頃も或る者が来て真向から余に詰問し、『足下は日頃論語を以て処世上の根本義とせられ、又論語主義を自ら行はれつゝあるにも拘らず、足下が世話される人の中には全く足下の主義と反し、寧ろ非論語主義の者もあり、社会より指弾さるゝ人物をも足下は平然としてこれを近け、恬然として世評に関せざるが如き態度を取らるゝが、斯の如きは足下の高潔なる人格を傷つくるものではあるまいか。其の真意が聞き度い』とのことであつた。
成る程左様云はれて見ると、此の評も或は然らんと自ら思ひ当ることが無いでも無い。併し乍ら余は別に自己の主義とする所があつて、凡そ世事に処するに方つては、一身を立つると同時に社会の事に努め、能ふ限り善事を殖し、世の進歩を図り度いとの意念を抱持して居る。従つて単に自己の富とか、地位とか、子孫の繁栄とかいふものは第二に置き、専ら国家社会の為に尽さんことを主意とするものである。されば人の為に謀つて善を為すことに心掛け、即ち人の能を助けてそれを適所に用ひ度いとの念慮が多いのである。此の心掛が抑々世人から誤解を招くに至つた所以ではあるまいか。
余が実業界の人となつて以来、接触する人も年々其の数を増し[、]而してそれ等の人々が、余の行ふ所に見傚ひて各々長ずる所に拠りて事業を精励すれば、仮令其の人自身は自己の利益のみを図るの目的に出るとしても、従事する業務が正しくありさへすれば、其の結果は国家社会の為になるから、余は常に之に同情し其の目的を達しさせてやり度いと思ふて居る。是は単に直接利益を計る商工業者に対しての場合のみならず、文筆に携はる人に対しても、矢張同一主義の下に接して来た。例へば新聞雑誌等に従事して居るものが来て余に説を請ふ時にも、余が説を掲載して幾分なりとも其の価値を高め得るものとすれば、自説は仮令価あるもので無いと思うても、請ふ人の信実心より出たものならばこれを斥けないで、それ等の人々の希望を容れてやるのは、独り希望する人の為のみならず、社会の利益の一部分ともならうかと考へるので、非常に多忙の時間を割いて其の要求に応ずる次第である。自己の懐抱する所の主義が斯うであるから、面会を求めて来る人には必ず逢うて談話する。知人と然らざるとの別なく自分に差支さへなければ必ず面会して、先方の来意と其の希望を聞くことにして居る。それであるから来訪者の希望が道理に協つて居ることゝ思ふ場合ならば、相手の何人たるを問はず、其の人の希望を叶へてやる。
然るに余が此の門戸開放主義につけ込んで、非理を要求して来る人が有つて困る。例へば見ず知らずの人から生活上の経費を貸して呉れと申込まれたり、或は親が身代不如意の為め自分は中途から学資を絶たれて困るから、今後何年間学資の補助を仰ぎ度いとか、または斯々の新発明をしたから、此の事業を成立させるまで助勢を乞ふとか、甚しきに至つてはこれ〳〵の商売を始め度いから資本を入れて呉れとか、殆ど此の種の手紙が月々何十通となく舞ひ込んで来る。余は其の表面に自己の宛名がある以上、必ずそれを読むの義務があると思ふので、左様いふ手紙の来る毎に、訖度目を通すことにして居る。又自ら余が家に来りて、此の種の希望を述べる者もあるので、余はそれ等の人人にも面会するが、併し此等の希望や要求といふものには道理の無いのが多いから、手紙の方は悉く自身にては断り切れぬけれども、特に出向いて来た人に対しては、其の非理なる所以を説いて断る様にして居る。余が此の行為を他人から見たならば、何も左様いふ手紙を一々見たり、左様いふ人に悉く逢ふ必要はないと云ふであらう。けれども若しそれ等に対して面会を謝絶したり、手紙を見なかつたりすることは、余が平素の主義に反する行為となる。それ故自らは雑務が多くなつて、寸暇もなくなる故困るとは知りながらも[、]主義の為に余計な手数をもかける訳である。
而してそれ等の人の云つて来た事柄でも、又は知己から頼まれたことでも、道理に協つて居ることであれば、余は其の人の為、二つには国家社会の為に自力の及ぶ程度に於て力を貸してやる。詰り道理ある所には自ら進んでも世話をしてやる気になるのであるが、左様いふことも後日になつて見ると、あの人は善くなかつた、あの事柄は見違へたといふことが無いではない。併し悪人必ずしも悪に終るものでなく、善人必ずしも善を遂げるものとも限らぬから、悪人を悪人として憎まず、出来るものなら其の人を善に導いてやり度いと考へ、最初より悪人たることを知りつゝ世話してやることもある。
兎に角余は上述の如き心持で人に接するけれども、初めから欺く積りで来る者には、時として欺かるゝこともある。それは余の許へ来て云ふ所と、其の平生行ふ所と相反する人物に対しての場合で、余とても一々其の人に附随して行動を監視する訳にもゆかず、陰で行ふ所は如何あるか知らぬけれども、余の面前で云ふ所は信を置くに足ると思ふから、識らずして其の術中に陥されるのである。孟子に鄭の大夫子産が料理人の為に欺かれた話が載つて居る。子産といふ人は智者で、鄭の国を治めて非常に成績を上げた人だが、或る時他所から生ける鯉魚を贈られたので、早速料理人に命じて池の中に蓄はせた。然るに料理人は之を烹て食ひながら主人に復命して曰ふ、『始め魚を池中へ放した時は、さも驚いたといふ様子であつたが、暫時にして悠々として水底に入つた』と述べた。所が子産は此の復命を聞いて『其の所を得たる哉、其の所を得たる哉』と曰つて喜ばれた。料理人は此の有様を見て、後に人に告げて曰ふには『何で子産を智者などと謂はれよう。魚は手前が烹て食つたとも知らず、其の所を得たる哉と曰つて居る』と笑つたといふ話があるけれども、是は子産が愚なる訳でなく、料理人の欺瞞から起つたことで、子産を責める所は一点もないと思ふ。孔子は門人宰我から仁者を欺くことの問を発せられた時に『君子は逝かしむべし、陥る可らず。欺く可し、罔ふ可らず』と答へて、一度は欺くことは出来るが、終局まで欺き通せるもので無いと教へられたことがある。余も或る時は惑はされることは有るが、清濁併せ呑むことはせぬ。元来世の中は清のみ行はれなければならぬ筈のもので、濁の存することは根本より間違つて居る。故に清に与することは当然だけれども、濁をも併せ呑むの要をば認めぬのである。されば此等の意義よりして初めから正邪善悪は別けて居る積りであるが、子産が厨人に於ける如き場合には、神ならぬ身の欺かれることを避ける訳にはゆかぬこともあらう。始めから清濁併せ呑む積りで豪傑を気取り、欺かるゝを知つて欺かれるのでは無いのである。
昔は信賞必罰を以てよい事としてあつたが、今日から考へて見ると[、]必罰は人を率ゐるの道であるか如何か。此の意義より見れば自分は真に欺かれ易い主義の下に立つて来たから、世間から誤解される場合の出来るのも已むを得ざる次第である。而して斯の如きは素より余の短所であらうが、時としては余に取つての長所とすることもあると思ふ。余の門下生と称する者、余に私淑せる者の中にも、其の行動が余と反対なものもあるであらうが、それ迄は余の力の及ぶ所でないから、それを捉へて余に罪を問ひ、清濁併せ呑む者と為しても、そは見る人の誤解と弁ずるより外道は無いと考へる。