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『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.475-480

六四、習慣性に就いて

習慣の力

 吾人の日常生活に於て習慣は大切なものゝ一つであらう。『習慣は第二の天性なり』と古人の唱へたるは蓋し至言たるを失はない。故に吾人は日常生活に於て注意を怠らず、相共に良習慣をつけることに努め、悪習慣をば出来得る限り除くやうに心懸け度いものである。併しながら習慣として一つの事が固有性になる迄には相当の日子を費すもので、一日にして成る訳のものではない。また一日にしてこれを養成することも出来ない。ダルウインの進化論に拠つて見れば、鮃の目が一方にばかり附くのは、次第に形が変つたので、又鯨の手足が鰭となつたのも必要に迫られての変化であると云ふ。此等は直ちに習慣とは云ひ難いかも知れぬが、近い例を挙ぐれば、日本人の如く座する習慣の国民は身体が長大にならぬといふ。何故かといふに、度々座る為に脚部の発育が十分でないからだとのことである。此等に徴しても習慣は如何なる結果を齎すものであるかといふことが知れ、それと共に習慣の忽せにすべからざることが明かになるであらう。

 由来習慣とは人の平生に於ける所作が重り重つて一つの固有性となるものて[で]あるから、それが自ら心にも働きにも影響を及ぼし、悪いことの習慣を多く持つ人は悪人となり、良いことの習慣を多くつけて居る人は善人となると云つた様に、遂には其の人の人格にも関係して来るものである、故に何人も平素心して良習慣を養ふことは、人として世に処する上に大切なことであらう。

習慣は感染性を帯ぶ

 又習慣は唯一人の身体にのみ附随して居るものでなく、他人に感染するもので、動もすれば人は他人の習慣を摸傚したがる。此の他に広まらんとする力は、単に善事の習慣ばかりでなく、悪事の習慣も同様であるから大に警戒を要する次第である。言語動作の如きは、甲の習慣が乙に伝はり、乙の習慣が丙に伝はる様な例は珍しくない。著しい例証を挙ぐれば近来新聞紙上に折々新文字が見える。一日甲の新聞に其の文字が登載されたかと思ふと、それが忽ち乙丙丁の新聞に伝載され、遂には社会一般の言語として誰も怪しまぬ事になる。彼のハイカラとか、『成金』とかいふ言葉は即ち其の一例である。婦女子の言葉なども矢張左様で、近頃の女学生が頻りに『よくつてよ』とか『さうだわ』とかいふ類の言語を用ひるのも或る種の習慣が伝播した者といつて差支ない。また昔日は無かつた『実業』といふ文字の如きも、今日は最早習慣となり、実業といへば直に商工業の事を思はせるやうになつて来た。彼の『壮士』といふ文字なども、字面から見れば壮年の人でなければならぬ筈であるのに、今日では老人を指しても壮士といひ、誰一人それを怪しむ者なきに至つて居る。以て習慣が如何に感染性と伝播力とを持つて居るかを察知するに足るであらう。而して此の事実より推測する時は、一人の習慣は終に天下の習慣となり兼ねまじき勢であるから、習慣に対しては深い注意を払ふと共に、亦自重して貰はねばならぬのである。

大切なる少年時代

 殊に習慣は少年時代が大切であらうと思ふ。記憶の方からいうても[、]少年時代の若い頭に記憶したことは、老後に至つても多く頭の中に明確に存して居る。余の如きも如何なる時のことをよく記憶して居るかといへば、矢張少年時代のことで、経書でも歴史でも、少年の時に読んだことを最もよく覚えて居る。昨今幾ら読んでも其の方は読む先から皆忘れて仕舞ふ。左様いふ訳であるから習慣も少年時代が最も大切で、一度習慣となつたならそれは固有性となつて終生変ることがない。のみならず、幼少の頃から青年期を通じては、非常に習慣の付き易い時である。それ故此の期を外さず良習慣をつけ、それをして固性とする様に仕度いものである。余は青年時代に家出して天下を流浪し、比較的放縦な生活をしたことが習慣となつて、後年まで悪習慣が直らなくて困つたが、日々悪い習慣を直し度いとの一念から、大部分はこれを矯正することが出来た積りである。悪いと知りつゝ改められぬのは、詰り克己心の足らぬのである。余の経験に依れば習慣は老人になつても矢張重んぜねばならぬと考へる。それは青年時代の悪習慣も、老後の今日に至つて努力すれば改められるものであるから、今日の如く日に新たなる世に処しては、尚更此の心を持つて自重してゆかねばならぬのである。

習慣を敬へ

 兎角習慣は不用意の間に出来上るのであるから、大事に際してはそれを改めることが出来るのである。例へば朝寐をする習慣の人が、常時は如何しても早起が出来ないけれども、戦争とか火事とかいふ場合に方りては、如何に寐坊でも必ず早起が出来るといふことから観ても左様思はれる。然らば何故に左様なるかといふに、習慣は些細のこととして軽蔑し易いもので、日常それが吾儘に伴うて居るからである。斯うした風に習慣を馬鹿にしてかゝるので、それが為め遂に一身を誤るに到らぬとも限らない。それも其の人一人なら未だしもであるが、前にも述べた通り、延いては家庭若しくは社会にまで害悪を及ぼすことになるから甚だ困る。故に男女となく老若となく、心に留めて良習慣を養ふやうにすれば、大にしては国家社会の為となり、小にしては家庭の平和円満を来し、更に自己一身が立身出世の素因ともなる。豈勉励せずして可ならんやである。

習慣の感染性と伝播力(常識と習慣)

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