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『竜門雑誌』第298号(竜門社, 1913.03)p.24-26

◎人生努力の習慣

青淵先生

本篇は雑誌「活人」記者の訪問に接し青淵先生が其問に答へられたるものにて三月一日発行の同誌上に掲載せるものなり(編者識)

▲活動に老壮の別なし

 予は本年最早七十四歳の老人である、それ故数年来成るべく雑務を避ける方針を執つて居るが、併し全然閑散の身となることが出きず、又た小さい銀行ではあるが、其世話をして居るといふ次第で、老いても矢張活動して居るのである、凡べて人は、老年となく若年となく勉強の心を失ふて終へば、其人は到底進歩発達するものではない、同時に其等の不勉強なる国民によつて営まる〻国家は到底繁栄発達するものではない、予は平生自ら勉強家の積りで居るが、実際一日と雖も職務を怠るといふことをせぬ。毎朝七時少し前に起床して、来訪者に面会するやうに力めて居る、如何に多数でも時間の許す限り大抵は面会することにして居る。

 予の如き七十歳以上の老境に入つても猶且つ斯くの如く怠ることをせぬのであるから、若い人々は大に勉強して貰はねばならぬ。怠惰は何処までも怠惰に終るものであつて、决して怠惰から好結果が生れることは断じて無い。即ち坐つて居れば立働くよりも楽なやうであるが、久しきに互[亘]ると、膝が痛んで来る、それで寝転ぶと楽であらうと思ふが、之れも久しきに互[亘]ると腰が痛み出す、怠惰の結果は矢張り怠惰で、それが益々甚しくなる位がオチである。故に人は良き習慣を作らねばならぬ、即ち勤勉努力の習慣を得るやうにせねばならぬ。

▲天下の事一に努力奮闘にあり

 世人は能く「智力を進めねばならぬ」とか。「時勢を解せねばならぬ」と云ふが成る程之れは必要な事で、時を知り事を選む上には、智力を進める事、即ち学問を修むる必要がある。とは云ふもの〻、智力如何に十分であつても、之を働らかさねば何の役にも立たない、そこで之を働かせるといふ事は、即ち勉強して之を行ふ事であつて、此勉強が伴はぬと、百千の智も何等活用を成さぬ、而して其勉強も、只一時の勉強では十分でない、終身勉強して初めて満足するものである。

 凡そ勉強心の強い国ほど国力が発展して居る[、]之に反し怠惰国ほど其国は衰弱して居る、現に我が隣国支那などは所謂不勉強国の好適例である。故に一人勉強して一郷其美風に薫じ、一郷勉強して一国其美風に化し、一国勉強して天下靡然として之に倣ふと云ふやうに、各自は啻に一人の為めのみでなく、一郷一国乃至天下の為めに、十分勉強の心掛が大切である。

▲空論を捨て実行の人となれ

 人の世に成功する要素として、智の必要なること、即ち学問の必要なることは勿論であるが、それのみを以て直ちに成功し得るものと思ふは、大なる誤解である、論語に、「子路曰く、民人有り社稷有り、何ぞ必ずしも書を読みて然る後に学ぶと為ん」とある、これは孔子の門人の子路の言である、すると孔子は「是故に夫の侫者を悪む」と答へられた、此意は「口ばかりで事実行はれなくては駄目である」といふ事である、予は此子路の言を善しと思つて居る、机上の読書のみを以て学問と思ふのは甚だ不可の事である。

 要するに事は平生に在る、之を例すると医師と病人との関係の如きものである、平生衛生の事に注意を怠つて居て、イザ病気と云ふ時に医家の門に駈け付けるといふやうなもので、医者は病人を治す職務であるから、何時でも治して呉れると思ふては大違ひである、医家は必ず平生の衛生を勧めるに相違ない。

 故に予は凡ての人に、不断の勉強を望むと共に、事物に対する平生の注意を怠らぬやうに心掛くることを説きたいと思ふのである。

人生は努力にあり(常識と習慣)

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