出典を読む
『竜門雑誌』第307号(竜門社, 1913.12)p.30-33
◎青年と金銭
本篇は十月発行の雑誌「向上」に掲載せるものなり。(編者識)
青淵先生
青年の重んずべき事は今更言ふ迄も無いが、殊に近来青年の覚醒と言ふ如き声が盛になつて、青年の活動が著しく世人の注意を惹き、識者の間に於ても大に青年に嘱望するの傾向が加はつた如に見える、青年諸君は特に自重して世の期待に背かず将来の使命を果す準備のために努力せん事を望むのである。
明治年間は創業時代であつたが、大正の御世は漸く整理の時代であるといふ人もあるが、余は此見解は適当とは思はぬ、成程明治年間は創業であつたが其創造新設は総て不規則に発達して来たから、大正の今日に一層努力して完全にこれを発展整理して真の国運を進めねばならぬのである故に、将来大なる活動は青年の力を待たねばならぬから、特に青年諸君の奮励努力を希望するのである。
壮年者老年者中には、明治年間の文運の発展国威の伸張に尽力して、相当の経験もあり老て尚其老熟したる手腕を奮ふ者も少からぬが、已に其活動の全盛期は過ぎたもので新時代には矢張り新しい活力ある青年に期待すべきであるから、青年諸君は老人頼むに足らずと言ふ程の意気込で責任ある奮闘をして貰ひたい。
陶淵明は盛年不重来一日難再晨と題し朱子は青年易老学難成一寸光陰不可軽と警めてある如く、殊更に空想に耽り、誘惑に陥り易き青年時代は、夢の如に過ぎ去つて終ふものである、余等が青年時代も真に早く経過して、明日ありと思ふて居たうちに矢の如く移り去つた、今日になつて後悔しても詮方の無い事である、青年諸君は深く此前車に注意して、余等の後悔の轍を踏まぬ如にして貰ひたい、諸君の奮励如何によりて将来国家の運命に影響する処大なるものがあるから、従来相当の覚悟ある人も更に其臍を固めねばならぬのである。
覚悟を新にするに就て、注意すべき点は限り無いのであるが、特に注意すべきは金銭の問題であらう、追々と社会の組織が複雑となつて来るが、昔でさへ恒産無くして恒心を保つ事は出来ぬと言はれた位であるから、活気ある世務に処する程金銭問題に関して充分の覚悟が無くては、意外の失敗を演じ過失に陥る事が無いとは限らぬ。
勿論金銭は貴いものであるが、又頗る卑しいものである、貴い点より言へば、金銭は労力の代表となり約束に依て、大抵のもの〻代償は金銭ならでは清算の出来ぬものが多いのである、蓋し茲に金銭と言ふは只金銀貨紙幣の類の通貨のみを指すのではなく総じて代償する事の出来る貨財は金銭を以て評する事が出来るので、金銭は財産の代称であるとも言ひ得ると思ふのである。
甞つて 皇太后陛下の御歌を拝誦した中に
もつ人の心によりてたからとも
仇ともなるは黄金なりけり
とあつた如に記憶して居るが、真に適切なる御評で吾人の感佩服膺すべき名歌であると思ふ。
然るに昔の支那人の書たものによると、一体に金銭を卑しむ風が盛である如に思はれる、左伝に、『小人玉を抱いて罪あり、』とある類から、孟子に陽虎の言として、『仁を為せば富まず富めば仁ならず、』とあるが如き其一例である、陽虎の如きは素より敬服すべき人物では無いが、当時にありては知言として一般から認められて居るのである、更に又、君子財多ければ其徳を損じ、小人財多ければ其過を増す、と言ふ如な意味の言を漢籍の中で読んだ事もある、兎に角東洋古来の風習は一般に金銭を卑しむ事甚敷いもので、君子は近づく可らざるもの、小人には恐るべきものとしたのであるが、畢竟貪婪飽くことなき世俗の悪弊を矯めんとして、終には極端に金銭を卑むやうになつたものと思はれる、是等の説には青年諸君は深く注意を払はねばならぬ。
余は平生の経験から、自己の説として論語と算盤とは一致すべきものであると言つて居る、孔子が切実に道徳を教示せられたのも、其間経済にも相当の注意を払つてあると思ふ、是は論語にも散見するが、特に大学には生財の大道を述べてある。勿論世に立つて政を行ふには、政務の要費は勿論一般人民の衣食住の必要から金銭上の関係の生ずる事は言ふ迄も無いから、結局国を治め、民を済ふために道徳が必要であるからは経済と道徳とを調和させねばならぬ事となるのである、故に余は一個の実業家としても経済と道徳との一致を勉むる為に常に論語と算盤との調和が肝要であると手軽く説明して、一般の人々が平易に其注意を怠らぬ如に導く積りである。
往昔は東洋ばかりでなく西洋も一体に金銭を卑しむ風習が極端に行れた如であるが、是は経済に関する事は得失と言ふ点が先に立つものであるから、或る塲合には謙譲とか清廉とか言ふ美徳を傷ける如に観えるので、常人は時として過失に陥り易いから強くこれを警戒する心懸けより斯かる教を説く人もありて自然と一般に風習となつたであらうと思ふ。
甞て新聞紙上にアリストートルの言ふたとして、「総べての商業は罪悪である」といふ意味の句が有つたと記憶して居るが、随分極端な言ひ方であると思ふたが尚再考すれば、総べて得失の伴ふものには人も其利慾に迷ひ易く、自然仁義の道に外れる塲合が生ずるものであるから、夫れ等の弊害を誡しむるために斯様な過激なる言葉を用ひたものかと思はれる。
如何しても人情の弱点として、物質上の事に眼が着き易く、精神界を忘れて物質を過重する弊害の生ずる事は止むを得ない事であるが、思想も幼稚であり、道徳上の観念の卑しい者程此の弊害に陥り易いのである、故に昔は全体から観れば、知識も乏しく道義心も浅薄であつたので、得失の為めに罪悪に陥るものが多かつたのであると思はれるので、殊更に金銭を卑しむ風が高まつたであらう。
今日の社会の状態は昔よりは知識の発達が著しく進んで思想感情の高尚な人が多くなつた、更に言ひ換ふれば一般の人格が高まつて来て居るのである。故に金銭に対する念慮も余程進んで来て、立派な手段を用ひて収入を計り、善良な方法を以て使用する人が多くなつたので、金銭に対する公平なる見解を為す如になつた、然しながら前に申した人情の弱点として、利慾の念より兎もすれば富を先にして道義を後にする弊を生じ、過重の結果金銭万能の如く考へて、大切なる精神上の問題を忘れて、物質の奴隷となり易いものであるが、斯くなつては責其人にあるとは言ふもの〻金銭の禍を恐れて、其価値を卑しく観る如になつて、再びアリストートルの言を繰返さしむるに至るであらう。
幸にして世間一般の進歩と共に金銭上の取扱も改つて、利殖と道徳と離れまいとする傾向が増して来た、殊に欧米に於ては真正なる富は『正当なる活動によつて収得せらるべきものであると、』[』と]言ふ観念が普及し、着々実行されて来て居るが、我が国の青年諸君も深く此点に注意して、金銭上の禍に陥らず、益〻道義と共に金銭の真価を利用する如に努められむ事を望むのである。
不正の行動をなして収得したる富、或は差たる労役をせずして収得したる富は、甚だ割の好い如であるが、結局長く維持されるも[の]でない、其使途に関しても兎もすれば、悪用せられ易くして其人に禍する塲合が多い、此等の事は世上幾多の例のある事であるから、着実なる眼を配つて、富の価値を理解し、仁義道徳を守つて収益する所の富を集め、更に世のために利用せん事を望む次第である。