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『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)p.22-26

◎青淵先生鶏肋談

青淵先生

本篇は国民時報記者が左の如き前書を加へて七月一日発行の同誌上に掲載せるものなり(編者識)

記者は夙に男爵の偉大を敬慕してゐるので、日常其の高風を仰ぐに足るべき揮毫をお願ひ致さんと曖依村荘に老男爵を訪ふ、男爵談論風発、膝を交へて倦まざるの風あり、元より何等話題を撰は[ば]ず、談且談、枝より枝に入りて忙中の静観頗る味ふべきものあり、録して鶏肋談といふ、実に鶏肋捨つるに忍びざるものあればなり、

▲吐哺梳髪の美風

 私は老人の冷水と云ひませうか老婆心と云ひませうか、此の年になつても国家社会の為には朝夕駆廻つて居ります。自宅へも皆さんが種々な事を云つて見えますが、それが必らずしも善い事ばかりではありません。否、寄附をしろの資本を貸せの、学資を貸与して呉れのと、随分理不尽な事を云つて来る人もありますが、私はそれらの人に悉く会つて居ます。世の中は広いから随分賢者も居ればエライ人も居る。それを五月蠅い善く無い人が来るからといつて、玉石混淆して一様に断はり、門戸を閉鎖して了ふやうでは単り賢者に対して礼を失するのみならず、社会に対する義務を完全に遂行する事が出来ません。だから私は何誰に対しても城壁を設けず、充分誠意と礼譲を以てお目にか〻る。而て若し無理な註文が出れば断るし、出来る事は尽して上るやうにする。昔支那の語に『周公三度び哺を吐き、沛公三度び髪を梳る』といふ事がある。即ち周公と云ふ大政治家は御飯を喰べて居る時に訪問客があると喰べかけた御飯を吐き出して客を迎へて用件を聞く。客が帰ると又御飯にか〻るが其処へ来客あると又御飯を吐き出して面会する。かくて一回の食事中に三度も哺を吐いて来客に接すといふ程客を優遇した。又沛公は漢八百年の基を開いた高祖であるが、此の人も周公に私淑し克く広く賢者に俟つといふ主義で、朝髪を梳いて居る時来客があると髪を梳つた儘引見する。三度髪を梳るといふのは、三度び結ひかけた髪を中止して迄訪客に接するといふ非常に客を歓迎する意味を現はしたものである。私は敢て周公沛公の賢に比するといふ訳では無いが、広く賢者に俟つといふ意味で何誰にでもお目に懸る事にしてゐる。然るに世間往々にして客を引見する事を臆劫がる人が多い。否、富豪だとか名士だとか云はる〻階級の人には、殊に来客を厭ふの風が甚だしいやうであるけれども五月蠅いとか、臆劫だとかいつて引込んで居つては国家社会に対して徳義上の義務を全ふする事は出来まいと思ふ。

▲富豪の徳義的義務

 私は過日某富豪の子息で大学を卒業したばかりの御方にお目に懸つた。之から社会に立つに就て色々御注意に与りたいといふのでお見えになつたが、私は其の時恁那話をしては貴方のお父さんに渋沢は余計な事を云ふと蔭で恨まれるかも知れんがと冒頭して次のやうな話をしました。今時の富豪は兎角引込思案ばかりして、社会の事には誠に冷淡で困るが富豪といへども、自分独りで儲る訳では無い。言は〻゙ 社会から儲けさせて貰つたやうなものである。例へば地所を沢山所有してゐるとして、地主は地代が安くて困るとか、借手が無くて空地が多くて困るとか云つてゐるが、其地所を借りて地代を納めるものは社会の人である[。]社会の人が働いて金儲をし、事業が盛になれば空地も塞がり、地代も段々高くなるから地主も従つて儲かる訳だ。だから自分の斯く分限者になれたのも一つは社会の恩だといふ事を自覚し、社会の救済だとか、公共事業だとかいふものに対し、常に卒先して尽すやうにすれば、社会は益々健全になる。それと同時に自分の資産運用も益々健実になるといふ訳であるが、若し富豪が社会を無視し、社会を離れて富を維持し得るが如く考へ、公共事業、社会事業の如きを捨て顧みなかつたならば、茲に富豪と社会民人との衝突が起る。富豪怨嗟の声は軈て社会主義となり、ストライキとなり、結局大不利益を招くやうにならぬとも限らぬ。だから富を作るといふ一面には常に社会的恩義あるを思ひ、徳義上の義務として社会に尽す事を忘れてはならぬ。

恁那事を云つては富豪から憎まれるかも知らんが、実際私共でさへ上述の立塲から出来るだけ尽してゐるのに、何ういふものか世間の金持は引込思案で困る。此間も久弥さんに貴方がたが最う少し社会に口を出して下らなくては困るといふと、何うも面倒臭くてと云つて居られたが、単に五月蠅いからと云つて引込んでゐられては私共ばかり躍起になつても誠に旨く行かないで困ります。現に私共がお先棒になつて、明治神宮の外苑建設を企画して居りますが、之は代々木か青山辺に明治神宮の外苑として宏大なる公園様のものを造り帝国中興の英主たる先帝の御遺徳を永く後昆に伝ふべき記念図書館、若くは各種教育的娯楽機関を設けたいといふのが趣意で、約四百万円の費用を要する見込である。斯る企は社会教育の上から見て誠に適截なる事業だと信ずるのであるが、サテ是だけの費用を寄せるには容易で無い。恁ういふ塲合には岩崎さんや三井さんに是非一と奮発して貰はなければならぬが、それと同時に世の大方富豪が社会に対する徳義上の義務として常に公共事業に尽されん事を望むのである。

▲新市長と電灯問題

 奥田市長の就任条件として、例の五十銭放棄の覚書を交付したとかせぬとか噂ですが、其の真否は兎に角詮衡委員が五十銭案を固執しなかつたのは事実でありませう。要するに余り六ケ敷い事を云つては誰も就任する者は無いから、電灯問題は市長の調査に一任する事にして、五十銭で無ければ不可といふ条件を付なかつた。畢竟流石の市会議員も我を折つたといふ事になる。前市長辞職の原因たる五十銭案が放棄されたといふ事になると其の辞職は全く無意味で謂はば寃罪?が証明されたやうなものだ。若し阪谷が五十銭で出来ぬのを後任市長が立派に五十銭 [で]遣り抜けるといふ事であれば阪谷の不面目之に過ぎたものは無いが、誰がやつても五十銭では出来ぬとなれば阪谷は寧ろ満足すべきである。東京市としては、何うせ五十銭案を放棄し、将来相等な処で統一を図るといふ事ならば、寧ろ此春思ひ切つて話を纒めて了つた方が得策であつたかも知れぬ。あの時は日電の方は既に承諾して呉たし、東電の方は浅草の火力発電所さへ買へば纒りが着いたのであるが、市側では火力発電所を買つては五十銭で出来ぬから二の足を踏むだ。私は一時纒めてさへ了へば市会の方は亦何とか方法もあらうから、中野さんに思切つてあれを買つては何うかと勧めても見たが、強ひて勧めては阪谷を庇ふやうにも当るから一応の勧告だけで手を引いて了つた。今後市が統一を希望するにしても火力を引放しては到底東電が承知しまい。それと同時に、既に五十銭案の放棄された以上、自然火力発電所を買はぬといふ意見も放棄された事となり、茲に私共の勧告も亦無理で無かつた事が証明された訳だ。総じて世の中の事は帰着点は大抵同じであるけれど其処に到達する径路に、色々六ケしい駆引や感情の暗礁が横はるのである。

▲対支外交失敗

 彼の日支交渉の如きも幾多の波瀾曲折を経た結果、加藤外相としては予定の成績を収めたけれど、列国の感情や日貨排斤[斥]の事実を相殺して果して成功と謂ふを得べきや否や、国民の生霊を犠牲にして獲たる青島還付を声明して、交換的に贏得したる利権は然程大したものに非ざるにも係らず、列国より猜疑の眼を以て迎へられ、多数支那人の反感を激発したるは何が故ぞ、私の観る処に由れば余り懸値をしたからである。最初から誠心誠意懸値無しの談判をすれば、最つと早く纏まりも着いたらうし又列国の誤解や支那人の反感を買はす[ず]に済だかも知ぬのである。

富豪と徳義上の義務(仁義と富貴)

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