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『竜門雑誌』第329号(竜門社, 1915.10)p.21-30
説話
◎時局に対する実業家の覚悟
青淵先生
本篇は九月十一日午後三時より築地精養軒に於て開かれたる東京商工懇話会総会に於ける青淵先生の演説速記なり(編者識)
全体此日本の経済界はどうも不幸な廻り合せになつて居るのである。大正二年から三年に掛けては大に改良されて、これから発展の時期に際会するやうになるであらうと予想した[、]蓋し我経済界は数年前から日露戦争以後の軍事及行政の費途が過度であつた、為めに、始終穏健の進みを為し得ないで、公債が下か[が]るとか、不景気が来るとか、金融が乱調になるとか常に苦情が絶えぬ。其間にも或事物の進歩は為しつ〻ありますけれども、詰り申すと三十七八年の戦後が日本のこれ迄進み来つた力不相応な事柄であつた為めに、其跡の政治設備が適度の分量を超越して居る。軍事に至つては尚更其度が強い為めに、商工業に対して例へば営業税を廃したいと云ふても廃する財源に苦む、其他通行税とか塩専売税とか、総て吾々多数の頭に関する所謂国の利益を進める要素に為るべき物に租税を課してある、而して其改正を求めても其事はなか〳〵運ばぬで、政費は段々に膨脹する。軍事施設は追々に進んで来る。数代前の西園寺内閣、次いで桂内閣[、]第二期の西園寺内閣、或は山本内閣、現大隈内閣迄殆ど五代の内閣で、頻に此政費節减、財政緊縮、行政整理と云ふ問題は、始終其声は高くあつたのですが、どうも其実行は甚だ不十分であつた。大隈内閣に於ては余程此点に注意されて、前の山本内閣では行政を整理して其整理から得た金を海軍に用いやうとしてコンミツシヨン問題で大分騒動しました。併し是は唯単にそれ計りではない。折角節倹したものを海軍の一途に供するやうな政策であつたから、総ての人気を損じたのであります。私共も其仕方に対しては実業家として甚だ面白くないと思つて居る。之に続いて大隈内閣も節倹を努めて前内閣の方針を持続し、尚ほ更にそれに附加へて尽力されたやうである。而して大に剰余金を生じたので昨年夏頃迄は此剰余金を如何に処置するかと云ふことに付いて、営業税を免ずるとか或は他の悪税を改廃するとか、多く実業界に力を与へる施設に出る筈であつた。必ずさうするだらうと思つたのである。然るに事予期に反して大戦乱が起つて来たに付いて、其始めは何か向川岸の火事のやうに考へて居りましたが、なか〳〵に其火の手が大きくなつて、遂にこちらに飛火した訳で、東洋の平和を維持すると云ふに付いては黙止して居られぬ。即ち昨年八月二十三日最後通牒の日限に宣戦の詔勅が発せらる〻やうなこと〻成つた。そこで交戦国の仲間入りをせざるを得ざるやうな塲合に立到つたのである。既に宣戦を布告せられてはこれに伴ふ費用の掛かることは勿論で、到頭多分の剰余金もそれ等の為めに残らず使ひ尽くされたではないにせよ、営業税の廃止を予約した人々も、先日の臨時議会に其事を言ひ出す勇気がないやうになつて寧ろより以上の犠牲を払はねばならぬと云ふことで、二箇師団増設は遂に議会に提出されるやうに成りました。但し今の内閣が偏武的の政策を取らうとは思はぬのであります。けれども時勢が左様に力を実業に専らにすることが出来ぬやうになつたのは、お互に不運と言はなければならぬのであります。詰まり実業家がいつもあとから走らねばならぬやうな次第にのみ傾くのは、誠に帝国実業界の不幸と思ひます。
そこで此時局に就いて将来を想像しますと、色々なる考案が生ずる。私は素より事業の実験がないから、何等意見も立ちませぬが、兎に角此戦争が如何に終局するかの問題が肝要であると思はれる、其始は東洋迄戦風が吹廻はす事はない、されば或点かふ言ふと商工業上仕合せのこともあるだらう、斯う云ふ事は困難でも斯る事は利益であらうと欧洲に戦端が開かれた当時は将来の予想をしたことが誰方にもあつたと思ふ[、]私にも同様であつた。所が思ひの外に所謂当て事は先きから外づれて良からうと思つた事は大に悪るかつたり、又其中には困難に打勝つこともあると思ふ。故に諺にいふ世は「塞翁が馬」の如く良いと思つた事が果して良いとも限らず、悪いと思つた事が悪いとも言はれぬやうな現况が見えるのであります。塞翁が馬と云ふことの講釈を此処でするの必要はありませぬ、諸君は好く御承知だらうと思ひますが、あれは支那の故事で何でも「塞」と云ふのは即ち要塞であつて、其処の番人が馬の事に付いて仕合せと思つたのが不仕合せとなり、不仕合せと思つたのが仕合せに成つて、塞翁が馬と云ふ喩が出来たさうであります。私は或る物識りに聴きましたのでありますが、その塞翁が一匹の馬を持つて居つて、此馬が遁げて了つたので、近所の人が気の毒だと言つて悔みを申しましたら、寒翁がイヤ世の中は悪い事計りでありませぬ、又良い事がありますと答へました。其後遁げた馬が外の馬を伴れて二匹でやつて来ました、そこで近所の人は成程悪い事計りではない[、]却て供を伴れて帰つて来たから仕合せであると言つて悦びを言ひますと、塞翁はイヤ仕合せな事計りではありませぬ、どんな悪い事があるか分かりませぬと言ひました。すると塞翁の家の小供が其馬に乗つて落ち、怪我をして不具と成つたから近所の人は気の毒だと又悔みを言ひますると、塞翁はイヤ悪い事ばかりありませぬ、又良い事がありますと言はれた、所が其後戦争が始まる事になつて、身体の丈夫な者は其戦ひに出兵せねばならぬと、塞翁の小供は不具に成つてゐた為に戦ひに出ずに済んだと云ふのであります、今日で申すと負傷して不具に成つて国家の為めに兵役の義務を竭くす事が出来ないのは幸か不幸か別問題でありますが、兎に角世の中には随分斯う云ふやうな事柄が沢山あります。例へば私は自分直接に関係して居る事でありますが、営業上最も重もなる金融は生糸に関係を持つて居ります、そこで昨年八月戦争の始つた頃の想像は、亜米利加は洵に豊年であつて、農作物の出来が良かつたから、欧羅巴に戦争があるに付いて亜米利加の農作物は必ず欧羅巴に多く売れるであらう。それで日本の生糸の輸出は欧羅巴にも多少ありますけれども殆ど亜米利加である。斯の如き戦争の為めに寧ろ欧羅巴の製糸が减ずるであらう、而して一方では亜米利加の農産物が欧羅巴に能く売れ〻ば亜米利加の景気は繁盛に違ひないから、日本の糸も沢山に亜米利加に売れるに相違なからうと云ふ想像を抱いて居りました。又それと反対に船舶の事に付ては東西洋ともに制海権を安全に取ることは出来ないから、必ず航海業者は困難を惹起すであらうといふ想像を抱きました。是は昨年の八月から十月迄の間には私のみならず誰もさう思ふたことだらうと考へます。所が時局の勃発に引続いて亜米利加は决して景気は好いどころでありませぬで大変に悪い。殊に其主もなる事はテキサス地方の綿が欧羅巴の方に出ない為めに、甚だしく農産物の販路を塞がれ、又主もなる有価証券は多く欧羅巴の資本に依つて維持されて居るに拘らず欧羅巴の資本が全く来ないと、あの大きな取引をして居る紐育ボストン費府等の取引所が有価証券の相塲を建てることが出来ない。下落し掛けたら益々低下すると云ふ勢に恐れて、到頭一時停止しました。此取引の停止は一般の人気に大変な影響を来たして、従つて他の様々なる取引も停止されたものがあります。其の結果生糸の買入も意外に减じて了ひました、そこで生糸は一梱千円と云ふ目的を以て経営して居る者が俄に七百円、六百八十円、甚だしきは六百円にも下落しやうと云ふ大打撃を受けて、昨年の冬には議会でも之を救済したら良からうと云ひ、政府も亦救済しなければならぬと云[ふ]ので、端なく救済の案の鉢合せとも言ふべき有様でありました。結局議会は解散されましたが、尚ほ政府は是非之を何とかしなければならぬと云ふので、其方法を講じました。私共も世話人に参加して多少相談に応じた次第であります。現在に左様であつて、各地の製糸家は悪く申せば青息吐息で困難して居りますが、昨年八月頃には生糸に付いては難儀があるどころではなく、大仕合せがあると思つて居りました。然るに事実は反対に左様なる有様であります。
又困難しやうと思つた船舶即ち海運業は思ひの外に好都合で非常の利益があるとの事である、大会社も小会社も持船は皆な欧羅巴が御用船の為めに船腹を塞がれて居るから意外なる好况を呈しまして、それこそ塞翁が馬の譬の如く悪いと思つた事が良くなつたのであります。私はどつちも自分直接に経営して居るのではありませぬが昨年の戦争の勃発した頃ほひから諸方面の評判に付いて懸念しつ〻あつた事が前に述べます如く予想に反して困難となり、又は予想以上の仕合となることがありますが、主もなる事業に付いて良いと思つたことに困難が来たり、懸念したものが却て仕合せであつたのであります。私は此時局に付て最も困難だと思ひます中に御同様大に協力して此困難に打勝つのが実業界に在る者の義務でもあり同時に楽みでもあると思ふことは、殊に独逸に関係する商工業であると思ふ。今茲に此品物此機械を悉く例を挙げて申上げる訳には参りませぬけれども、多くは化学工業に付いて、従来独逸から輸入を仰いだ物品が其価格が他国からの輸入より安く附くから、それに狃れて、こつちで心配せぬでも舶来で間に合はせると言つた者が頗る多いと思ふ、然るに戦乱の為め俄に其価額を騰貴せしめた為めに、爾来一生懸命になつて内地製造を努めると云ふやうになつたものが大分あるやうに承知致します。曾つて服部金太郎君の工塲にて製造さる〻時計の薇のこと抔も其一例として承知しました。どうしても輸入が杜絶したに付いて余儀なく自身で刻苦してどうやら斯うやら内地の製造品で間に合ふやうになつたと言つて居られました。又化学品に於ても此間に或人が燐に就いて黄燐とか赤燐とか私共素人には一寸聴いた丈けでは能く分かりかねますが、燐寸に用ゐる燐の製造を頻に努めて居ることを承知しました。但し如何なる種類の物でも皆困るに付いて内地で出来るやうにすると云ふ訳にもいかぬか知りませぬが、元来安逸に狎れて自から苦むことの尠くなるのは人情の常で吾人の深く注意すべき処も茲に在りて存すること〻信じます。お話は違ひますが国産の奨励と云ふことに付いても私は各種の商品を自身手を掛けて製造したこともなければ、又品物を販売する智識も持つて居りませぬから、嗚呼ケ間しく口を利くこともお耻しいのでありますけれども、昨年の冬農商務省に於て、此機会に於て是非共奨励会を組織して国産の奨励に努めたいものだと大浦内務大臣が其頃農商務大臣で居られて頻に心配せられて居りましたので、武井守正君、平山成信君及農商務省の当局の人々と協議して遂に国産奨励会が成立致しました。それが前にも述べました如く窮するから達することに立到ると云ふのであります。農商務省に於て開催せられた、私も発起人の一人でありましたから総代としてお集会の諸君に国産奨励の趣意は斯くありたいと云ふことを演説したのでありました。
維新後に於る日本の商品は学問から物品を製造する仕向けに相成つて来て、古来の農業に依て生産する物品は其の数が少なくなつて多くは機械若くは化学工芸の製品となつた。是は欧米の物質の進歩が発達して追々学問的工業となりて、製作品を他国に売りて天然物を買ふことになつた故に、之に反して天然物を売つて製作品を買ふ国は必ず貧乏である。又天然物を買つて製作品を売る国は富国である、英吉利独逸の如きは全然それであります。支那朝鮮などは天然物を売つて製作品を買ふ国であつた。故に是れではならぬといふて我邦は自国で製品の出来るやうに努めて居るが、其製品を努める精神が先づ彼れに見習つてやると云ふのが主であります。即ち模倣的に発達して来た。自発的でない、是を以て日本の製作品には精神が薄い、人の真似をするに勉めて、自己に確乎たる覚悟を以て居らぬから其態度が鞏固でない。自主でない、各人日常の動作でも自分の心から出るのと人の真似をするのとは大分違ふ。日本の製作品にもさう云ふ弱身があるのであります。是は此時局に就て願くば禍を転じて福とする為めに自発の精神を強むるには国産の奨励が必要であると云ふことは頻に申しました。国産奨励の事はまだ十分に行はれて居るとは申されませぬ。看板は大きく掛けたけれども其効能は至つて微々として居るやうでありますが、併し是は奨励会のみを咎める訳には往きませぬ。若し今日の製作品が全く自発的に出来るやうになつたなれば、それこそ此戦争は一時困難を吾吾に与へますけれども、其困難は吾々に良き教訓となりて或点からは我が製作品の精神からは一新紀元を劃するものでありはしないか。どうぞさう言ひ得る迄に実業家諸君の御奮励が最も必要と思ふのであります。是等の事柄に付いても前に申上げました実業界の未来の改善に付いては御互に、仮令政治界若くは一般社会から、吾々の本能を発揮するに十分なる助力は得られぬとしても、今日実業界の人の最も注意せねばならぬことはどうしても商業の道徳の進歩にあると思ふのであります。而して是れは各自の衷情の発動にあつて、唯人頼みではいけないと深く信ずるのであります。恰も国産の奨励が総ての製作品に我自ら古を成すの精神がなければいけないと同様に、凡そ此商工業に従事する人に真正なる道徳がなければ必ず本当の効果を見ることは出来ぬと私は思ふのであります。色々むづかしい哲理を述べますると、道徳と云ふものは世の進むに伴れて追々進化するものである。孔子の言はれた二千五百年前の道徳と、大正四年の道徳とは、甚[其]働きに変りはないとしても、段々に進化して来るから随てこれを攻究して往かなければならぬ。而して此道徳の最も必要なるものは例へば孝悌忠信と云ふて、孝は親子の間、悌は兄弟又は長幼の間、忠は君臣の関係、信は朋友に関するものである。又仁義礼智に「信」を加へて五常としたのは、此「信」が最も以て必要なものである。世の交際が益々進み、人の智識の愈々発達するほど、「信」が堅固でないと総てのものが皆違却して仕舞ふ。如何に知識が進んでも「信」が欠けたならば人事は多く破滅する。寧ろ愚の方が良いかも知れませぬ。故に商工業者には「信」と云ふものが根本に立たないと决して真正の繁昌、正当の富貴は得難いものと思ひます。古人の言にも「信」を万事の本と為すとか、一信万事に敵するといふ句がありますが、至つて簡単なる言葉であつて、却て適切に感ずるのであります。目下露西亜から種々なる軍需品の注文がある。現に靴の製造のことに付いて何れの当業者であつたか、引受けた品物に粗製品があつた為めに、露国の官憲からどうか日本の政府に監督して呉れと其筋に言つて来たと云ふことを聴きました。是は私は直ちに聴いた話でないから或は間違ひであつたら仕合せであるけれども、若しさう云ふことが事実としたならば、此当業者は斯かる機会に乗じて不条理なることを働いたに相違ない。而して此人の行為が御互ひの面目を損じ信用を欠いたことは容易なものではないと思ひます。兎角此実業界が政府からの干渉を受けたり或は監督をせらる〻と云ふことの多いのは一般に商業道徳の普及せぬからである、而して斯る事柄が数々あると其極日本の実業界は幼稚である、野卑である、信を置く事は出来ぬといふことになつ[て]了ふのである。俺れ独り位はどうでも良いといふて、甚だしきは自暴自棄の者がある。さう云ふ僅々なる関係が吾人全体に対して大なる批難の声を聞くやうになる、実業界の人格が低いとか、或は道徳を修まらぬとか云ふことは、私は諸君と共に余程覚悟しなければならぬことのやうに思ひます。是は决して時局に付いての事ではありませぬ。時局に対する実業家の覚悟として論ずるのでないのは勿論でありますが、時局に際しては商業道徳はどうでも良いとなると尚いけませぬ。甚だしきは世界の或る方面に於ては此物質の発達に勉むると共に益々武力の増進を努めて其の極世界の富を一身に集め宇宙の権力を握ると云ふが如き妄想狂を演ぜぬとも限られぬ。現に独逸のカイゼルの如きは此狂態を現はす為め欧洲に斯の如き大戦乱の起つたのであるといふてもよからうと思ふのであります。而して此独逸の現状を或る点から観察しますと学問と云ひ実験と申し一般の人の真面目にして惇朴なる勇敢にして勤勉なる、どの方面から論じても実に敬服すべきものに相違ない。聞く処によると独逸の今日の国風になつたのは左様に古いことではない。百年前の普魯西の民風は哲学に傾き理論に趨る風であつたが、先帝又は当時の賢相の用心にて今日の実質に変化して遂に無限の帝国主義となり、其極彼の支那周末の戦国七雄の時に当りて秦国が他の六王を併呑せむとしたる如くに全欧は勿論五大洲をも、自己の一手に掌握しやうと考へたる様に見えます。併しながら私は如何にカイゼルが大英雄であつても、又独逸国民が勤勉励精であつても此世界併呑主義は决して良い事ではないと思ふ。日本に於ても世界の富を己れ独りで集めやうと考へたならば、それは必ずや成功せずして亡国となるに違ひない。さう云ふことでは社会は立ち続くものでない。そこで私の理想は王道と覇道との差別となるのである。蓋し王道は仁義道徳によりて行はれ、覇道は権謀術数に依て立つものである。覇道を主としても或塲合には成功せぬとは言はれぬから、我帝国抔も他国から覇道と誤解されぬとも限られぬ、去りながら政事界は兎も角も実業界丈けは覇道に奔らずして王道を以て進行せねばならぬと思ひます。素より吾々は覇道に傾く恐れはありませぬが、帝国内でも或方面には無闇に強い事を珍重する人もある。成程戦争して負けては困りますか[が]、唯国力を挙げて戦争にのみ奔ると云ふことは王道に適するものではない。今日の時局に対して吾々は左様な事迄心配せぬでも良い訳であるが、吾々は前にも述べた如く、是から先きの商工業は如何にしたらよからうか、平和が克復したら其後の実業界はどうなるかと云ふやうなことに付いては意想外なる変化を生じて、中には悪いと思つた事が善く成り、善いと思ふた事が悪るくも成りましやうから、今日から臆断は出来ませぬ。併し人は未来の事に向つて是非とも理想は持つべきものであるから、仮令違却するとも一定の主義に依て行ふと云ふやうなことがなければなりませぬ。詰り能く思ひ審かに考へて事に当れば必ず過ちは尠ないものであります。戦争の如き事変の勃発には、曾て想像したるものに違却を生ずることはありますが、凡そ人の世に処するには相当の趣味と理想とを以て道理から割出して進むのが必要であると思ひます。只其間に所謂商業の徳義はどうしても立て通ほすやうにして最も重要なるは「信」である。此「信」の一字を守ることが出来なかつたならば、吾々実業界の基礎は鞏固と言ふことは出来ないのであります。申述べた事が甚だ錯雑致して趣旨が一向に纏りませぬけれども、時局の平和となつた暁には別して吾々実業に従事する者の責任が重くなるであらうと思ひます。独り責任が重いのみならず諸君御経営の御事業に就いても、是が如何になるかと云ふことを予想して、其予想から十分なる道理を考定して、是に由つて御活動せらる〻やうにありたいと考へます。「道理ある希望を持つて活潑に働く国民」と云ふ評語は概括的な言葉でありますが、先頃或る亜米利加人が我が同胞を評して日本人の全体を観察すること各人皆な希望を持つて活潑に勉強する国民であると言はれて私は大に悦びました。私も斯く老衰しては居りますが向後益々国家の進運を希望として居ります。又多数の人々の幸福を増すことを希望として居ります。実業家諸君も亦同様であらうと思ふ。時局の有無に拘らず苟も実業に従事する者は斯くありたい、将来は斯うしなければならぬと云ふ希望は誰も有るに相違ない。况んや斯かる大戦に際しては将来どう変化するだらうかと云ふ予想は、最も慎思熟慮を要すること〻思ひます。其経営せらる〻事業に応じて宜しきを制して往くと云ふことは必要だらうと思ひますが、之を処するに付いて是非一つ守らなければならぬことは、前にも申しました商業道徳でございます。約すれは[ば][「]信」の一字である。是が御同様実業者に健全に行はれて往つたならば、私は日本の実業界の富は更に増大して同時に人格も大に進むであらうと思ひます。単に時局に付てのみ希望する訳でありませぬが、斯かる時機は別して変化が多いことを予想しますと、お互に負担して居る職分から深く考へたら宜しきを制することが出来るであらうと思ひます。