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『竜門雑誌』第320号(竜門社, 1915.01)p.14-18
演説及談話
◎竜門社秋季総集会に於て
青淵先生
本篇は、昨年十月廿五日飛鳥山曖依村荘に於て開かれたる本社秋季総集会講演会に於ける青淵先生の講演なりとす(編者識)
秋季の総会に多数の諸君に御目に懸ることを愉快に思ひます、例に依て私も一言述べますが、時間が少なうございますから成るべく切詰めて御話をすることに致します、今日は欧羅巴の戦乱に就て詳しい御話を伺ひたいと云ふ希望から長尾君に臨塲を請うて諸君と共に南北両方面の戦况を拝聴しましたが、私は欧羅巴の地理に暗きものですから伺ひつ〻も其地名などは殆ど耳に残らぬのを遺憾としますけれども抑も戦の発端から動員の手続戦塲の地勢両方面の戦况と順を逐うて詳しく御指示なされ、又両方面に於る聯合軍露国軍及独逸墺地利の軍容に就て、原因は此処である、注意は此点であるといふ事まで詳細に御説明下されたのは諸君と共に深く悦び、長尾君に対して厚く感謝致さなければなりませぬ、吾々商工業者は、常に平和を希望致しますけれども、併し世の中に斯かる事変の起るのは自から求めぬでも免れ得ぬものでありますから、事ある時のみならず平素に注意をせねばなりませぬが、殊更斯かる戦乱に対しては能く其実况を詳知して深く自から戒めねばなるまいと思ひます。
私が茲に述べたいと思ふ事は、左様な軍事的の御話でなく方面違ひの実業者のみならず総じて人として斯く有るべきものであらうかと平常心に思ふて居つたことを開陳して諸君の御参考に供へて置くのであります、私共の発起で昨年から東京に組立られた帰一協会と云ふものがある、是は近来思想界が混乱して居るといふ説も多く、事実に於てもさう云ふ有様が見える、而して人は其徳義心を唯論理上に於て了知して居つて宜いか特に一の宗教心を抱持して初めて道徳と云ふものが堅固になり得るものであるが、西洋の哲学にしても余程研究を要すべきものである、而して現在の日本の宗教を見ると先づ第一に国教といふべき神道が在る、又古来より移入せし儒道が在る、仏法が在る、近頃は耶蘇教も在る、此四教の宗派が又沢山分れて居るから殆ど適従する所に迷ふやうである、此他に淫祠邪説迷信とも云ふべきものが多々見えます、斯の如き有様では道徳心を堅固にすべき宗教信念が必要であると云ふても孰れに依るべきものであらうか其定め方も難かしい、基督教者は耶蘇教が最高の宗教であると言ふだらう、儒教も仏教も皆自説を主張する、それを綜合調和して一に帰せしむる事は出来ぬものであらうか、といふ考案からして帰一協会といふものを組織して研究しつ〻あるのであります、故に其会員には神道儒道耶蘇教仏教、果してさう云ふ専門的の学者でなくても、吾々実業家も加つて毎月集会して相当の問題に就て頻りに評論をして居る、此帰一協会に私が三四ケ月前に一の問題を提出して置いたが今日は其事に就て茲に一塲の御話をして見やうと思ふのであります、二三提出しました問題中の一が道徳といふものは他の理学化学のやうに段々進化して行くものであるか[、]詰り道徳は文明に従つて進化すべきものであるかと云ふのであります、一寸了解し難い言葉であるけれども前にも言ふ如く宗教信念を以て道徳を堅固にするが宜いか、さなくとも論理の上から徳義心は維持出来るものであると云ふやうに追々其解釈が進化し来りはせぬか、蓋し道徳といふ文字は支那古代の唐虞の世より王者の道といひ王者の徳といふのが即ち道徳の語原である、故に道徳といふ文字は余程古い[、]もしもダーヴインの説に拠りて古いものは自然に進化すべしと言は〻゙ 科学の発明、生物の進化に伴つて追々に変更するといふことになつて然るべき訳ではないか、但し進化論は多く生物に就て説明したやうでありますけれども、研究に研究を重ねて往つたならば生物でなくても追々推移変更するものではないか、変るといふよりは寧ろ進み行く有様がありはせぬか、何時頃の教であるか知らぬが、支那で唱へる二十四孝は種々なる孝行の例を二十四挙げてある、其中に最も笑ふべきは郭巨と云ふ人が其身貧にして親を養ふ資財なく為に我児を生埋にしやうと思つて土を掘つたら釜が出た、其釜の中に多くの黄金があつたので我児を生埋にせずとも親を養ふことが出来た、即ち孝の徳であると云ふて居る、若し今の世の中で親孝行の為めに我児を生埋にすると云ふたならば、馬鹿な事をする困つたものだと人が評するに相違ない、即ち孝の一事にしても世の進歩に連れて人の毀誉が異ると云つても宜いと思ふ、更に一の例を言へば王祥が親を養ひたい為に鯉魚を捕ふるとて裸体になつて氷の上に寝て居つたら鯉が飛出したと云ふ事がある、是は戯作かも知らぬが若し事実としたならば如何に孝道なればとて其心の神的に感ずる前に身体が凍死したならば却て孝道に反するであらう[、]想ふに二十四孝の教旨の如きは仮設のものにて的例にはなり難きも善事といふことに就ては見方が世の進歩と共に色々に変はると云ふことがありはせぬか、若し或る物質に就て考へたら即ち電気もなく蒸汽もなかつた時のことを今日から回想して殆んど並べ較べにならぬやうになる[、]故に道徳と云ふものも左様にまで変化するものであれば昔の道徳と云ふものは余りに尊重すべき価値はなくなるが併し今日理化学が如何に進歩して物質的の智識が増進して行くにもせよ、仁義とか道徳とか云ふものは、独り東洋人が左様に観念して居る許りではなく、西洋でも数千年前からの学者、もしくは聖賢とも称すべき人々の所論が余り変化をして居らぬやうに見える、果して然らは[ば]古聖人の説いた道徳と云ふものは、科学の進歩に依て事物の変化する如くに変化すべきものではなからうと思ふのであります、而して其進化推移の有様が如何なる程度に動いて行くかと云ふことを攻究して見たいと乃ち一の問題として帰一協会に提出したのであります、頃日穂積博士が八十島氏の嬰児に命名するに、道徳進化論が記載してあつた、初は父子の関係から孝を論じ、君臣の関係から忠を論じ、一歩進んでは社会の関係から信を論ずる、即ち是が道徳の進化であると斯う云ふ順序に孝、忠、信を比較論究して詰り此子には信と云ふ字を以て名付けたと云ふてあつた、是は博士の一学説として述べられたので、果してそれが道徳進化の階段であるか知れぬが、道徳と云ふものが他の生物と共に時代の経過に随て進化して行くものであるかと云ふことは大に疑問である、そこで私が更に考へて見ると道徳と云ふものを完全に発展せしむるには、曾て露西亜帝が提案せられ其後米国のカーネギー氏の主張する真成の平和と云ふものが国際間に行はれるやうにならなければ道徳の完備は期せられないと思ふ、蓋し国と国との関係になると、自然と不道徳たらざるを得ぬのである、他国に取られてはならぬ、自国の利益を謀らなければならぬ、斯る念慮を以て国際間の事を処理するに於ては如何に道徳を守らうとしても孔孟の説のやうには保持し得られぬ。想ふに個人間又は国内の相互に在つては、自己の知識と勉強とを以て人に勝つことを求むるとて决して不道徳とは言ぬ、例へば銀行業に在つても自己の銀行の信用が他よりも厚いやうに思はせたいと努力するは当然の務である、独り銀行許りでなく各種の業体が相共に自己の繁昌を望むことは如何に望むとも、决して人を妨害するとか圧迫すると云ふことは决してない、然るに国と国との間になると、大にこれと異るのである、例へば英吉利が彼の利権を獲得する、亜米利加が此の利益を妨害すると云ふことがあれば遂に国際上に相軋る事になる、此に至ると道徳といふ観念は殆ど薄くなるやうに思ふ[、]故に真成に道徳の完全を改むるには所謂平和主義が満足に行はれるより外、望み得られぬものではないかと考へられるのであります、殊に前席にて長尾君から伺ました欧洲戦乱の起つた原因はスラヴ人種とゼルマン人種との争もありましたらうが、是は其名にして実を云ふと独逸皇帝が今日の英吉利が世界に於ける経済上の全権を占めて金融界の総支配をするが如き有様を快く思はぬで折もあらば我が取つて代らうと云ふ考から斯の如き大戦乱を起したと云ふても敢て過言ではなからうと思ふ、若し之を道徳論から見たならば即ち大学に所謂一人貪戻なれば一国乱を作す、独逸皇帝御一人の考から全欧洲に斯の如き禍乱を起したと申しても誣言にはなるまいと思ふのでございます、是を以て道徳心といふものは何千年経つても何れの国に在つても甚だ必要なるものである、斯く考へて見ると道徳といふものは何処までも維持して行かなければならぬと思ふ、私は前に述べた道徳論からして独逸皇帝のなされ方を徹頭徹尾敬服致さぬけれども、もしも此暴戻に五大洲を挙げて服従するやうになつたならば、是ぞ即ち独逸皇帝一家の道徳であつて孔孟の教へた道徳は全く滅却するのである、斯の如くして個人間の道徳も勝てば官軍負くれば賊と云ふやうになつたならば、それこそ道徳は皆無となるから私はどうしても此世の中に許すべきものでは無いと思ふ、果して許すべきものでないとすれば即ち道徳壊乱者は如何に皇帝たる御方であつても、道徳の罪人と申上げる外なからう、目下道徳の進化に就て帰一協会に於て頻りに攻究しつ〻ありますが、此道徳の普及に就ては国際上に於て差支へるやうな観念が起りますから私は斯く思ふて居るといふことを諸君の御参考に供したのであります」(拍手)