出典を読む
『竜門雑誌』第328号(竜門社, 1915.09)p.28-33
説話
◎時局に対する国民の覚悟
青淵先生
本篇は本年三月帰一協会に於ける青淵先生の講演なり
(編者識)
私の茲に申述べますのは甚だ未熟なる問題で、斯かる学説、知識の広い深い諸君に対して、意見を述べるではありませぬ。寧ろ如何にしたら宜からうといふ、御意見を拝聴する為めに一つの問題を掲げたのであります。時局に対する国民の覚悟と申しては、少しく文字が穏当でありませぬが、欧羅巴の戦乱は、何れ早晩終局を告げるでありませうが、我が国民は此際何ういふ覚悟を持つたなら宜からうかといふことを、各方面に於て考慮しなければならぬ、又研究もしなければならぬと思ふが、特に当帰一協会員たる我々は、逸早く此大問題を掲げて、充分に攻究する必要はありますまいか。斯く企望した所から、此の物々しい問題を此に掲げたのであります。私に於て斯くしたら宜からうといふ意見を提出するのではなくして、如何致したら宜からうかといふ疑問を発するものとお聴き取りを願ふのであります。
平和の時でも又は戦乱の塲合であつても、人の世に立つて尽すべき道は、大抵其人の分限に従つて相当なる程度がありますから、是に由つて行けば大なる誤りが無いといふても宜い。而して之を左右すべき標凖は、其人の守る処の主義に依つて幾分の相違が生ずるかも知れませぬが、或は己れの欲する所を人に施せといひ、又は己れ欲せざる所は人に施すこと勿れといふが如き、つまり働き掛けると受け身に居るの差といふても宜い位のものである。然るに今般の如き意外のことが勃発すると。[、]所謂是非に迷ふといふやうな有様で、我々頗る判断に苦しむのであります。誰やらの詩に「前歌後舞武王帰天下蒼生妄是非」といふ、伯夷叔斉を詠じた警句がありましたが、文王が天下を三分して其の二を保ちながら、猶ほ殷に服事したるに、其の子の武王が、父の死後、直ちに兵を起して殷を滅ぼしたといふは、天下の蒼生も善いか悪いか分らなくなつて来た。そこで伯夷叔斉は武王の行為を非であるといふことを言ひ現はす為めに、先づ疑問を起して後に断案したる傑作である。ずつと昔年に一読して僅に両句を記憶して居るのであります、成程世の中には是と非との判断に苦しむことが、時々生ずるものであると思つたことを、今も覚えて居ります。
私抔は、古い学問をしたと申す程でもありませぬが、孔子の教に由つて、人たるものは斯くありたい、国を治め天下を平かにするといふのは、斯かる道理を要するのである即ち明徳を天下に明かにするとか、或は至善に止まるとかいふ主治者の側に於る心掛けと又一方被治者の方からは孝悌忠信とか、仁義礼智とかいふものが一身を修むるの標凖で、それが延いて社会の教となり、尚ほ又広く国家の教となり、以て国家は生存し繁昌して行けるものと思つて居りました。故に個人でも国家でも何処までも道徳といふものは、飽くまで突き通し得るものと許り信じて居りました。もし其の道徳が中途で違却して個人も国家も自己の勝手我儘のみで差支ないとなる時にはこれこそ天下の蒼生が、是非に迷ふことになると思ふ、蓋し私は仁義道徳といふものは、世の進歩に随つて進化すべきものであると思つて居りましたが、唯其の進化は、仁義道徳をして普遍的ならしむるのではなくして、局遍的に止るのではないかといふ疑ひが生じて参つたのであります。昔語りになりますが私は少年の時に経書を読むで孔子教に感化せられ、又春秋戦国の歴史を見て当時の策士が能く言つた、弱の肉は強の食といふことは左様な道理はない筈である、此れは異端である邪説であると解釈して居りました。後に仏蘭西に渡航して仏語の教授を受ける時に同国に於ける一の俚諺で強い者の申分は何時も宜しくなるものである、といふ意味の言葉がある。仏蘭西語としては明確に記憶しませぬけれども、其の意味だけは今日も覚へて居ります。能く味ふて見ると、弱の肉は強の食、といふ事と同じ趣意にて吾々の標凖とする仁義道徳とは全く道行きが違ふ。詰りこれが西洋の功利を主とするより生ずる弊害で即ち其流義は異端であるか、若くは此れが国家社会生存上の必要と認めねばならぬものかといふことを大に疑ひつ〻あつたのであります。其後に日本に帰つて明治十年西南戦争の時分に、勝てば官軍負くれば賊といふ俗謡が流行りまして、維新の頃の活歴史に想到しても支那語でいふ弱肉強食、又仏蘭西語の強い者の申分は何時も善くなるといふのが、取りも直さず我が謡俗の勝てば官軍負くれば賊と全然同意味である。是に於て私は迷ふた、成程斯うなると孔夫子の教といふものが、独り広く行はれない許りでなく、狭い範囲には行はれないことになる、是れは実に憂慮すべき事であつて、吾人の大に研究せねばならぬ問題と私は苦心して居つたのであります。殊に実業に従事する身は、出来得るだけ世界の平和を主義とし、又それを希望して居る。双方相対する仕事に付ても自己の満足のみを企望せずして社会全般の富を進め共に寺福[幸福]を享受して行くといふことが、一個人からいつても、国家社会から考へても、道理であると思はれるので、是非とも弱肉強食若くは強い者の申分がいつも宜くなるといふことが、縦令或る時勢に於ては道理があるにもせよ、それは事の変である、権道である、通常はさういふことを攻究せずに世の中は行き得ること〻のみ思ふて居つたのであります。
前にも申す通り総じて物の進化からして、論理も段段に変化して行くといふものではないか。果して然らば道徳も世の進化に随つて、其の解釈が幾分か違つて来るかといふことを曾て学者の方々と討論したこともありましたが、果して如何に変化しても斯く違却するといふことを論究した人もなかつた。例へば孝とか悌とかいふことよりも、信といふものが社会の進歩によりて必要が多い。世の中は段々人の交りが増すに随つて、信義といふものが別して必要になつて来るといふことは、甞て服部君が或る雑誌にお述べになつたのを拝見したことがあります。信といふ字が五常として仁義礼智の後に加はつたのは漢の時である。其前は五常ではなくて、仁義礼智であつた、信といふ字が後に加入したといふ服部君の御説であるが、もしも此れ等仁義道徳といふものが、世の進歩に随つて、幾分か変化するのではあるまいか。何うも自然に変つて来るやうになりはせぬかと恐れるのであります。
此の如く信といふものが甚だ必要になるといふ塩梅に仁義道徳といふものも何時も普遍的に必要であるならば、平和を主義とする相互の間は淘[洵]に都合が宜いやうであるけれども、た〻゙ 悲しいのは、是れが国際といふ問題になると、全く変化して来るやうに思はれる。何うかこれを変化させぬやうに遣り得る道があるかといふことは、果して痴人の夢で到底望みないものであるか。想ふに人類が余りに私利私欲に過ぎるから、此の如く社会が極端に成り行き、真正なる平和の意義が行はれないのである。独り仁義道徳が行れないのみか、相対のものでは人として為し得られぬ行動も国際間になると、論理が変つて来るやうに見受けられる。是れが現今世界の通弊で真に憂苦に堪へぬのであります。一国内の社会では、仁義道徳に基いて交際するのでも、国際になると其信義が武器と変ずる故に一国内の信義と、国際間の信義とは其意義が全く違ふといふことになるのは、結局是非に及ばぬといへばそれまで〻゙ あります。
私が前に申上げた、強い者の申分は何時も宜くなるといふことは、一つの諺として仏国に伝はつて居るけれども、段々文明が進めば、人々道理を重んずる心も平和を愛する情も増して来る。相争ふ所の惨虐を嫌ふ念も文明が進めば進む程強くなる。換言すれば戦争の価値は世が進む程不廉となる。何れの国でも、自づから其処に顧みる所があつて、極端なる争乱ほ[は]自然に减ずるであらう、又必ず减ずべきものと思ふ。明治三十七八年頃露西亜のグルーム[ブロッホ]とかいふ人が、戦争と経済といふ書を著作して戦争は世の進む程惨虐が強くなる、費用が多くなるから遂には無くなるであらう、といふ説を公けにしたことがあります。曾て露西亜皇帝が平和会議を主張されたのも、これ等の人の説に拠つたのであると、誰やらの説に見たことがあります。それ程に戦争は惨虐なものであるといふことが唱へられながら今度の如き全欧洲の大戦乱抔は、决して起るべきものでないやうに思はれて居つたが、丁度昨年の七月末に日々各新聞紙の報道を見た頃私は両三日旅行して、什うなるかといふ人の問ひに答へて、新聞紙で一見すれば戦争が起ると信ぜられるが、先年亜米利加のジヨルタン[ジヨルダン]博士がモロツコ問題の生じた時に、米国に有名なる財政家ゼー・シー・モルガン氏の忠言の為めに戦争が止んだといふことを、電報でいつて来たといふて、―博士は素より平和論者であるから、平和に重きを措いたのでもあらうが―特に手紙を寄越したことがある。私も其説を深く信じた訳ではなかつたけれども、世の進歩の度が増すに随つて人々が能く考慮するから戦乱は自然と减ずるといふ道理が起つて来る訳でそれは自然の勢ひと思はれます。
然るに今日欧羅巴の戦争の有様は、細かに承知は致しませぬが、実に惨澹たる有様である。殊に独逸の行動の如きは所謂文明なるものは何れにあるか分らないといふやうな次第である。蓋し其の根源は前にも申した通り、道徳といふものが、国際間に遍ねく通ずることが出来ないで遂に是に至るものと思ふ。果して然らば凡そ国たるものは斯かる考を以てのみ、其国家を捍衛して行かねばならぬものであるか、何とか国際の道徳を帰一せしめて、所謂弱肉強食といふことは、国際間に通ずべからざるものとなさしむる工夫が無いものであらうか。畢竟政治を執る人、及び国民一般の覯[観]念が、相共に自己の勝手我儘を増長するといふ慾心が無かつたならば、此の如き残虐を生ぜしめることは無からうけれども、一方が退歩すると他方が遠慮なく進歩して来るやうでは、此方も進まなければならぬから勢ひ相争ふ様になり、結局戦争せねばならぬことになる。殊更其の間に人種関係もあり、国境関係もありませうから或る一国が他の一国に対して勢力を張るのは其意を得ない、これを止めるには平和ではいかぬといふので、遂に相争ふ様になるのであります。葢し己れの欲する所を人に施さないのであつて、た〻゙ 我を募り慾を恣にし、強い者が無理の申分を押し通すといふのが今日の有様であります。
一体文明とは如何なる意義のものであるか、要するに今日の世界はまた文明の足らないのであると思ふ。斯く考へると、私は、今日の世界に介在して将来我国家を如何なる風に進行すべきか、又我々は如何に覚悟して宜いか、已む事を得ずば其渦中に入つて弱肉強食を主張するより外の道はないか。是非これに処する一定の主義を考定して一般の国民と共にこれに拠りて行くやうにありたいと思ふ。我々は飽く迄己も[も己]れの欲せざる処は人にも施さずして東洋流の道徳を進め弥増しに平和を継続して各国の幸福を進めて行きたいと思ふ。少くとも他国に甚しく迷惑を与へない程度に於て、自国の隆興を謀るといふ道が無いものであるか、換言すれば相争ふの極戦乱の惨虐を見るが如きことなき仕方は無いものであるか、首道者間にて深く考へたならば、必ず方法が無いとは云はれますまいと思ひます。国民全体の希望に依つて、自我をのみ主張することを罷め、単に国内の道徳のみならず、国際間に於て真の王道を行ふといふことを思ふたならば、今日の惨害を免れしめることが出来やうと信ずる。是に於て私は特に講究したいのは王道と覇道との相違である。世界各国協約して成るべく王道によつて進んで行くことが出来やうと思ふ、もしも之に反して益々覇道を進めて行くならば、常に相呑噬するの外は無い。斯の如きは時として自己の申分を押し通すことも出来ようが、更に他のより優勢なる国の申分と衝突して相争はざるを得ないことになる。
私は今日直に国民全体に此覚悟を持たしめるといふ訳には行かぬと思ふ。併しながら、斯かる世の中に処するには成るべく挙国一致の希望とし、之を一般の国情として行くことに致したいと思ひます。此の戦局が収まつた後に於て、全国民の希望が斯くありたいといふことを、此際我帰一協会より発表して自然他を感化せしめて、所謂輿論を作る道を講ずることは出来まいか。併し諸君の御意見の多数が、それは到底不可能事であるから、已むを得ず弱肉強食の渦中に這入るが宜いと言はれるか、もしも必ず行はれるといふ確信はなくとも相誓ふて斯の王道を講ずるならば、幾分か防ぐことが出来やうと思ふ。私は今度の戦争に就いて、孔孟の道徳も、何処に標凖を立て〻宜いか、少しも当てにならないやうになつた気が致すのである。さらばとて人たるものは、如何に個人々々の利益を考へて見ても、甞て申した如く、仁義道徳と生産殖利とは、决して不一致のものではない、仁義道徳は其富を進めると同時に其人の人格をも進めるものに相違ない。果して仁義道徳と生産殖利とが一致するものならば、道徳は何処までも長く人の守るべきものであるが、た〻゙ 国際間にそれが行はれないといふのは実に情けない話であります。何としても国際上には必ず仁義道徳は応用し得ないものであるか、それは主治者が王道を知らぬからであると思ふ。政[故]に我々は此際大にこれを融和する道がある、調節する方法があると思はれる[の]でありあります[あります]、其のことに就いて諸君はどうか私の蒙を啓かる〻やうに願ひたいと思ふ。