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『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.10-19
二、人生観
余が若し学者ならば広い範囲の社会、一般的の人生を観て然る後に人生観を説くから、その説は恐らく当らずと雖も遠からざる所があるであらう。然るに現在の余の如く、七十余年の生涯の大部分を実業界てふ一区劃中に過し、而も匇忙として他を顧みるの暇もない境遇の者が人生を論じたからとて、恐らく一方に偏した固陋の説となり終らねばよいがと聊か心配である。加之、未だ人生観に対する先賢古哲の意見に如何なるものが有るかすら調べたことの無い者が、茲に人生観を説かんとするは大胆千万の仕方であらう。併し乍ら平生自己の所信を披攊するに躊躇せぬ余は、敢て此の大胆なる挙動に出で、余が一流の人生観を述べて見ることにする。
凡そ人として生を此の世に享け来れる以上、其処に何等かの目的が無くてはならぬとおもふ。而して其の目的の如何に依つて人生観も変つて来るに違ひない[。]其の幾多の変つた人生観も之を側面より観察すれば結局二大別されて仕舞ふ。即ち自己の存在を客観的に観るのと、主観的に観るのとがそれである。客観的といふのは、自己の存在は第二として先づ社会あることを思ひ、社会の為には自己を犠牲にすることも憚らぬといふ迄に、自我を没却してかゝるものである。又主観的といふのは、何事も自家本位にし[、]自己あるを知つて然る後に社会あることを認めるといふ方だから、是は寧ろ或る程度迄は自己の為に社会を犠牲にしても構はぬといふのである。
併し人生観に対する主観といひ客観といふも、今自分が説明上の都合から当座間に合せに拵へた言葉であるから、之が学術上果して当嵌つた言葉であるかどうか、それは解らない。兎に角説明上此の言葉を用ひてゆくから、見る人もその積りに願ひ度い。
偖、前にも述べた如く、人は此の世に生れた以上必ず何等かの目的が無くては叶はぬことだが、其の目的とは果して何事であるか、如何にして遂げ得べきか。これは人の面貌の異れるが如く、各自意見を異にして居るであらうが、恐らくは次の如く考ふる人もあるであらう。それは自己の長じたる手腕にせよ、技倆にせよ、それを充分に発揮して力の限りを尽し、以て君父に忠孝を効し、或は社会を救済しようと心掛ける。併しそれも漠然と心で思ふだけでは何にもならぬ。矢張何等か形式に表して為なければならぬので、茲に己の修め得たる材能に依頼して、各自の学問なれ、技術なれを尽す様にする。例へば学者ならば学者としての本分を尽し、宗教家ならば宗教家としての職責を完うし、政治家も其の責任を明かにし、軍人も其の任務を果すといふ様に、各自に其の能力の有らん限りを傾けて之に心を入れる。斯の如き場合に於ける其の人々の心情を察するに、寧ろ自己の為といふよりは君父の為、社会の為といふ観念の方が勝つて居る。即ち君父や社会を主とし自己のことをば賓と心得て居るので、余は之をしも客観的人生観とは名くるのである。
然るに前陳の様なのとは全く反対に、唯々簡単に自分一人のことばかりを考へ、社会のことや他人のことなぞ考へない者もあるであらう。併し此の人の考の如く社会を観察すれば、矢張其処にも理窟が無いでもない。即ち自己は自己の為に生れたものである。他人の為や社会の為に自己を犠牲にすることは怪しからぬではないか。自己の為に生れた自己なら、何処迄も自己の為に計るがよいとの主張から、社会に起る諸事件に対し、出来得る限り自分の利益になる様にばかりしてゆく。例へば借金は自分の為に自分がしたのだから、是は当然払ふべき義務があるゆゑ払ふ。租税も自分が生存しつゝある国家の費用だから、当然に上納する。村費も亦左様であるが、此の上他人を救ふ為に、或は公共事業の為に義捐するといふ様な責任は負はない。それは他人の為、社会の為にはなるであらうが、自分の為にならぬからだとなし、何でも自己の為に社会を経営させようとする[。]即ち自己を主として他人や社会をば賓と心得、自己の本能を満足せしめ、自我を主張するを以て能事終れりとする。余は斯くの如きものを名づけて主観的人生観とは言ふのである。
余は今これ等二者の中、事実に於て如何と考ふるに、若し後者の如き主義を以て押し通すときは、国家社会は自ら粗野となり、鄙陋となり、終には救ふ可らざる衰頽になりはすまいか。それに反し前者の如き主義を拡充してゆけば、国家社会は必ず理想的のものとなつてゆくに相違ない。故に余は客観派に与して主観派をば排斥するものである。孔子の教に『仁者は己立たんと欲して先づ人を立て、己達せんと欲しては先づ人を達す』といふてあるが、社会のこと人生のことはすべて斯う無くてはならぬことゝ思ふ。己立たんと欲して先づ人を立てといひ、己達せんと欲して先づ人を達すといへば、如何にも交換的の言葉の様に聞えて、自慾を充たさう為に、先づ自ら忍んで人に譲るのだといふ様な意にも取れるが、孔子の真意は決してそんな卑近なもので無かつたに違ひない。人を立て達せしめて然る後に自己が立ち達せんとするは其の働を示したもので、君子人の行の順序は斯くあるべきものだと教へられたに過ぎぬのである。換言すればそれが孔子の処世上の覚悟であるが、余も亦人生の意義は斯く有る可き筈だと思ふ。
孔子はまた『克己復礼』といふことを説いた。自己の我儘な心に打勝つて、礼に従つてゆきさへすれば世の中に間違はない訳で、詮ずれば此の旨意も余がいふ所の客観に当るのである。此処で一寸一言して置かねばならぬことは、『復礼』の礼は今日に所謂礼儀作法といふ様な狭い意味の文字ではない。孔子時代の礼字はもつと広い意義が含蓄されて居たので、精神的の事以外は総て此の文字中に含まれたものだ。例へば刑法とか裁判とかいふことから、一身上の制裁に関する事柄が皆それで、彼の『礼記』といふ書物を見れば如何に礼の意義の広かつたかゞ解ることである。それは兎に角、孔子は自己の存在は社会の為に図る所あらんとするものだといふ客観論者で『己に克ちて礼に復れば天下仁に帰す』と迄いうて居る。又門人の曾子は孔子の道を解釈して『夫子の道は忠恕のみ』といつた。云ふまでも無く『忠』とは君に対し或は他人に対して忠実にするの謂で、『恕』とは思遣り厚く、人の為、社会の為になれかしと考へて居ることである。して見れば曾子の所謂『忠恕』も亦余が説く所の客観説と合致するわけで、自己を犠牲に供して迄も他人の為を計ることになるのである。人生の目的は社会の為、他人の為を策るにありと、明かに論語に記してあるわけではないけれども、『仁』と『不仁』とを論ずる言葉より察するに、一般を目的として多数人に利ある様にと説いて居る。之を要するに自己の為ばかりを思ふ者が仁者でないことは知れ切つて居るから、結局客観的に人生を見るといふ方が道理正しいことになると思ふ。而して孔子も亦斯の如く客観論者であつたのだ。
凡そ人は国家の為、はた君主の為にその力を尽すべく生れた者であるが、其間に余裕があるならば家庭の為、朋友故旧の為に尽す、即ち客観的見地に立つて人生を過すことが人間としての本分であるとは、以上に説ける所に依つて解る所であらうと思ふ。余は近頃米国の大富豪カーネギー翁の著書を読んで、斯くの如き思想は独り東洋人たる吾々の間にのみ存在する者でなく、欧米人の主義も矢張此処に近いものがあることを知つた。今其の言葉の大意を摘んで見れば『人の一身の幸福が世に処する間に自己一人にて発達すると思ふは大なる誤解である。社会の力の功徳が之に与つて重きを為すもので、独り自己一人の智恵ばかりに依るものではない。故に人は社会の恩恵を忘れてはならぬではないか。この故に如何に自己一人で蓄積した資産だとはいへ、これを其の血統の者にばかり譲り渡すのは甚だ不当で、社会の恩恵を思へば之を一般社会にも分けるのが当然である。此の意味から打算して相続税は取れるだけ高く徴収するがよい。而して其の資産を一人に私せしめず、汎く社会にも分配せしむる様にしなくてはならぬ』との意見である。是は相続税に関せし所論の一端であるが、兎に角余の人生観と一致するものだと思ふ。
若し人の心より自我を取り去り、自己を客観の地に置いて働くことが出来るならば、国家社会は必ず尭舜の治世となり得るであらう。最も卑近の例を取れば[、]労働者の働くは自己の本分で、必ずしも自分の利益を得ようとするのではない。詰り家族の為、親の為に働くのだと考へて働くならば、自己の不平が無いのみか、延いては傭主に満足と安心とを与へ、大にしては国家の為に利益することゝなつてゆく。一労働者すら既に左様であるとすれば、彼等より更に以上に他の枢要の地位に居るものが、皆此心を以て心とするに到らば、天下は平静にして而も隆昌になりゆくであらう。然るに若し之と反対に、労働者を始め銘々主観的に考へて、自己一身の利ばかりを思うたなら、如何にして社会の秩序を保ち、一国の統治を行ふことが出来よう。それこそ孟子に所謂『奪はずんず[奪はずんば]饜かず』の極となるに相違ない。国民に忠恕の念が盛な国は文明であるが、之と反対の国が野蛮であることは、余が茲に事々しく述べる迄も無く、世界各国を通覧すれば直ちに知らるゝ所である。
それに就き余は自己の経験したる養育院の浮浪人に関する好箇の例証を持つて居る。一体養育院の世話にならなければならぬ位のものは不仕合せ者ばかりで、彼等が斯かる不幸に陥つた原因を尋ぬれば、随分色々変つたものがある。女色に溺れ、賭博の為に身を損じ、或は酒に依つて産を破つたといふ様な、兎に角感心の出来ない者の方が多い。併し彼等多数の窮民を統計的に研究して見ると、彼等には必ず一貫した通有性がある。それは何であるかといふに、種々なる悪癖の中で最も甚しいのは、自分さへ宜しければ他人はどうでも構はぬといふことを常に考へて居る。即ち自我的に自己の都合だけを主として居る。是は又不思議と彼等の必ず持つて居る通有性だが、若し彼等の主張通り自分一身の都合ばかりを考へて居るなら、必ず彼等は大変に都合のよい身分になつて居てよかりさうであるのに、其の実際は却て理想と反し、結局養育院のお世話にならねばならぬ始末である。この例は余が所謂主観的人生観を抱く人の極端なる結果を具体的に示したものだが、主観的が如何に人生の真意義と撞着するかは、これに由つて何人にも了解されるであらう。而して浮浪少年が自身のことばかり考へて居ることが却て我が不為となり、不幸に陥る原因となるとすれば、それと反対に客観的に我が身を処する人は、人の為を策ることが却て如何に我が身の為となり来るか、蓋し推測に苦しまぬ所であらうと思ふ。
要するに仁義道徳の念なきものは、世に処して遂に敗者とならねばならぬ。孔子の所謂『忠恕』が人生に於て如何に必要なものであるであらうか。二千五百年以前の人情も今日の人情も人情に於て変りはない。故に何人も人生を観るに、孔子の心を以て心とすれば過誤はない。左もなければ間違つた結果に陥るの悔あるも後からは及ばぬことである。余は青年時代より儒教に依つて立ち、論語は余に取つてのバイブルである。而して其の奉ずる所は仁義道徳で、人生に存在する意義は、自己の為に非ずして社会の為、他人の為であるとの強い観念は、何時とはなしに余が頭脳中に養成された。故に余は五十年来この心を以て心となし、人生を観るの眼は余り変らずに来た積りである。
余がこれまで人生に存在せる意義及び目的は実に上述の如きものであつた。又今後ともこの心は必ず変らぬ積りである。