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『竜門雑誌』第303号(竜門社, 1913.08)p.19-21

演説及談話

◎処世小観

青淵先生

本篇は青淵先生が「新日本」記者の訪問に対し語られたる所に係り同誌第三巻第八号に掲載せるものなり

 社会の事柄は年を迫[追]うて進んで来るやうにも見える。また学問も、内からと外からと、次第〳〵に新らしいものを齎らして来る。社会は日に時に進歩するには相違ないが、世間の事は久しくすると、その間に弊を生じ、長は短となり、利は害となるを免れぬ。特に因襲が久しければ、潑溂の気がなくなる。故に古人も曰つた。支那の湯盤銘に「苟日新日々新又日新」とある。何でもない事だが、日々に新にして又日に新たなりは面白い。形式に流れると精神が乏しくなる。何でも日に新たの心掛けが肝要である。

 政治界に於ける今日の遅滞は、繁縟に流れるからの事である。官吏が形式的に、事柄の真相に立ち入らずして、例へば自分に当てがはれたる仕事を機械的に、処分するのを以て満足してゐる。いや官吏ばかりぢやない。民間の会社や銀行にも此の風が吹きすさんで来つ〻あるやうに思ふ、一体形式的に流れるのは、新興国の元気欝勃たる処には少いもので、長い間、風習がつ〻゙ いた古国に多いものである。幕府が倒れたのはその理由からであつた。「滅六国者六国也非秦也」といつてある。幕府を滅したるは幕府の外になかつた。大風が吹いても強い木は倒れぬ。

 自分は宗教観念を今でも持たぬが、併しそれかといつて、外道で守る処がないといふのではない。私は儒教を信仰して、是を言行の規矩としてゐる。「獲罪於天無所祷」である。が、私一人はそれでよいが一般民衆はさうは行かぬ。智識の程度の低いものには矢張り宗教がなければならぬ。ところが、今日の状態は、天下の人心帰一する処なく、宗教もまた形式となつてお茶の流派流儀といつたやうな憾みがある。民衆に向ふ処を教へぬ。是は何とかせねばなるまい。

 此の状態に対して、善い施設をせねばならぬと思ふ。今日は迷信などがなかなか盛んである。そのお蔭で田を流したの、倉を無くしたのといふものが多い。宗教家がほんとに力を入れて起たなければ、それ等の勢は益々盛になる許りであらう。西洋人はいふ「信念強ければ、道徳は必要なし」と。その信念を持たせねばならぬ。

 商売は己れを利する事を眼目とする為めに、自分さへ利すれば、それでよい、他人の迷惑は知らぬ存ぜぬといふ考を持つてゐる人がある。それゆゑ、利殖と道徳とは一致せぬといふ人もあるが、是は間違ひで、そんな古い考は今の世に通用させてはならぬ。維新頃までは、社会の上流、士大夫ともいふべき人は利殖に関係せんで、人格の低いものが是に当るといふのであつた。その後此の風習は改まつたが、まだ余喘を保つてゐる。

 孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであるといつた。其後の学者が此の両者を引き離して了つた。仁義を為せば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとして了つた。商人は素町人として賤められ、士の齢すべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ儲け主義一天張りとなつた。是れが為めに経済界の進歩幾十年幾百年遅れたか分らぬ。今日は漸次消滅しつ〻あるが、まだ不足である。利殖と仁義の道とは一致するものである事を知らせたい。私は論語と十露盤とを以て指導してゐるつもりであるが。

 教育の事をいへば、どうも日本現在の教育の有様は、推しなべて、高等の教育に重きを置いてゐるやうで低い程度の教育は軽んぜられて居る傾がある。高遠な学理に力を入れて実際の方はお留守である。教へ方も密でなければ、学ぶ人も少いやうである。皆が皆大学に這入らねばならぬとする。青年はその学資や頭脳などを顧みず、その他四囲の情况に頓着なくして高い学校へと行かうとする。大将になる人がなければならぬ事は勿論であるが、皆が大将になれるものでもなし、なつて貰つても困る。兵卒がなければ軍隊は組織されぬ。今日の教育も、青年の志望も、学校の制度も、大将を余計に作らうとするのではあるまいか。

 高等遊民などがありとすれば、教育制度の結果であらう。今少し下の方から仕上げるやうにしなければならぬ。工手学校とか、徒弟学校だとか、中等の実業学校がもつと沢山出来て、子弟がそれに向ふやうにせねばならぬ。それからでも偉いものは矢張り偉くなる。偉くならんでもその分に安じて、是を家に譬ふれば、勝手道具の役を勤むるものがなければならぬ。文晁や応挙の掛物は沢山要らぬ。

 一体に学生の卒業年限を縮めたいと云ふは自分の希望であるが、是に反して年齢を最う少し高くしたいのは小学校の先生である。昔を慕ふぢやないが、以前一郷のお師匠さんは、年の寄つた一代の師表であつた。今日の小学校の先生は、失礼ながらまだ十代、或は二十代も一か二か位の、小僧さん見たいな人々が多いやうである。あれでは小学生徒の教養はドンなものであらうかと思はれる。今少し思慮分別のついた、相当の年齢の人が多く教鞭を取るやうにならねばなるまい。それについては、いろ〳〵先生方の待遇について講ずべき方法もあらう。

日新なるを要す(理想と迷信)

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