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◎日新なるを要す

 社会の事柄は年を逐うて進んで来るやうにも見える、また学問も内からと外からと、次第々々に新しいものを齎して来る、社会は日に月に進歩するには相違ないが、世間のことは久しくすると、その間に弊を生じ、長は短となり、利は害となるを免れぬ、特に因襲が久しければ、潑溂の気がなくなる、故に古人も曰つた、支那の湯の盤の銘に『苟日新、日日新、又日新』とある、何でもないことだが、日々に新にして又日に新なりは面白い、総て形式に流れると精神が乏しくなる、何でも日に新の心懸が肝要である。

 政治界に於ける今日の遅滞は、繁縟に流れるからのことである、官吏が形式的に、事柄の真相に立ち入らずして、例へば、自分にあてがはれた仕事を機械的に処分するを以て満足して居る、イヤ官吏ばかりでない、民間の会社や銀行にも、此の風が吹き荒んで来つ〻あるやうに思ふ、一体形式的に流れるのは、新興国の元気欝勃たる所には少いもので、長い間、風習がつ〻゙ いた古国に多いものである、幕府の倒れたのは其の理由からであつた、『滅六国者六国也、非秦也』と曰つてある、幕府を滅したるは幕府の外なかつた、大風が吹いても強い木は倒れぬ。

 自分は宗教観念を今でも持たぬが、併し其れかと言つて外道で守る所がないと云ふのではない、私は儒教を信仰して、是を言行の規矩として居る、『獲罪於天無所祷』である、私一人は其れで可いが、一般民衆は爾うは行かぬ、智識の程度の低い者には、矢張り宗教がなければ、ならぬ所が、今日の状態は、天下の人心帰一する所なく、宗教も亦形式となつて、お茶の流派流儀と云つたやうな憾がある、民衆に嚮うべき所を教へぬ、是は何とかせねばなるまい。

 此の状態に対して善い施設をせねばならぬと思ふ、今日は迷信などが中々盛んであつて、そのお蔭で田を流したの、倉をなくしたのといふものが多い、宗教家が本当に力を入れて起たなければ夫等の勢は益〻盛んになるばかりであらう、西洋人は言ふ、『信念強ければ、道徳は必要なし』と、その信念を持たせねばならぬ。

 商売は己を利することを眼目とする為に、自分さへ利すれば其れで可い、他人の迷惑は知らぬ存ぜぬといふ考を持つて居る人がある、それ故に利殖と道徳とは一致せぬといふ人もあるが、これは間違ひで、そんな古い考は今の世に通用させてはならぬ、維新頃までは、社会の上流、士大夫ともいふべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものが之に当るといふのであつた、その後此の風習は改まつたが、まだ余喘を保つて居る。

 孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであると曰つた、其後の学者が此の両者を引き離して了つた、仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠かるものとして了つた、町人は素町人と呼びて賤められ、士の倶に齢ひすべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一天張りとなつた、是が為に経済界の進歩は幾十年幾百年遅れたか分らぬ、今日は漸次消滅しつ〻あるが、まだ不足である、利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい、私は論語と十露盤とを以て指導して居る積りである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.205-209

出典:処世小観(『竜門雑誌』第303号(竜門社, 1913.08)p.19-21)

サイト掲載日:2024年11月01日