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 実業と云ふものは如何に考へて宜いものか、勿論世の中の商売、工業が利殖を図るものに相違ない、若し商工業にして物を増殖するの効能がなかつたならば、即ち商工業は無意味になる、商工業は何たる公益もないものになる、去りながら其の利殖を図るものも、若し悉く己れさへ利すれば、他はどうでも宜からうと云ふことを以て利殖を図つて行つたならば、其の事物は如何に相成るか、六ケ敷いことを云ふやうであるけれども、若し果して前陳の如き有様であつたならば、彼の孟子の言ふ、『何ぞ必ずしも利を曰はん、

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又仁義あるのみ』云々、『上下交々利を征りて国危し』云々、『苟くも義を後にして利を先にすることをせば、奪はずんば饜かず』となるのである、それ故に真正の利殖は仁義道徳に基かなければ、決して永続するものでないと私は考へる、此く言へば、兎角利殖を薄うして人慾を去るとか、普通外に立つと云ふやうな考へに悪くすると走るのである、其の思ひやりを強く、世の中の得を思ふことは宜しいが、己れ自身の利慾に依つて働くは俗である、仁義道徳に欠けると、世の中の仕事といふものは、段々衰微して仕舞ふのである。

 学者めいたことを言ふやうであるが、支那の学問に、殊に千年ばかり昔になるが、宋時代の学者が最も今のやうな径路を経て居る、仁義道徳といふことを唱へるに付きては、斯かる順序から此く進歩するものであると云ふ考へを打棄て〻、総て空理空論に走るか

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ら、利慾を去つたら宜しいが、其の極其の人も衰へ、従つて国家も衰弱に陥つた、其の末は遂に元に攻められ、更に禍乱が続いて、とう〳〵元と云ふ夷に一統されて仕舞つたのは宋末の惨状である、唯兎角は空理空論なる仁義といふものは、国の元気を沮喪し、物の生産力を薄くし、遂に其の極国を滅亡する、故に仁義道徳も悪くすると、亡国になると云ふことを考へなければならぬ、左れば利殖を主義とするか、己れさへ利すれば宜しい、人は構はぬといふ方の主義に基いて遣つて行くか、今いふ隣国の或る一部分、元の当時の有様はそれである、人は構はぬ己れさへ宜ければ良い、国家は構はぬ、自己さへ宜ければ良い、其の極国家は如何なる権利を失ひ、如何なる名声を落すとも、個人の発達を考へて国家を顧みる人は、殆んど稀だといふ有様である、宋の時代には前述の道徳仁義に付て国を亡ぼしたし、今日は又利己主義に於て身を危うすると云はねばならぬ
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のである、是は独り吾が隣国ばかりでない、他の国々も皆同一であつて、詰り利を図ると云ふこと〻、仁義道徳たる所の道理を重んずるといふ事は、並び立つて相異ならん程度に於て始めて国家は健全に発達し、個人は各〻其の宜しきを得て富んで行くと云ふものになるのである。

 試みに例へば石油であるとか、若くは製粉であるとか、或は人造肥料であると云ふやうな業務に付て考へて見ても、若し利益を進めるといふ観念がなくて、成行き次第でどうでも宜いと云ふやうな風に遣つたならば、決して事業が発達するものでは無い、富の増進するものでないことは明かである、仮りに若し其の仕事が自己の利害に関係せず、人毎に儲かつても己れの仕合せにならぬ、損しても不仕合せにならぬと云ふことであつたならば、其の事業は完全に進まぬけれども、己れの仕事であれば、此の物を進めたい[、]

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此の仕事を発達せしむると云ふことは争ふべからざる事実である、去れば若しさういふ観念から他の事を凌いで、或は世の中の大勢を知らず、或は事情を察せずに、吾さへ善ければ宜いと云ふことであつたならば、如何になるか、必ず共に其の不幸を蒙つて、己れ一人を利さうと思つた、其の己れも亦不幸を蒙むるといふことになるのである、殊に極く昔の事物の進歩せぬ時代は、或は「マグレ」幸と云ふことがあつたけれども、世の進むに従つて総ての事物が、どうしても規則的にやつて行かなければならぬ時代に於て、己れ自身さへ都合が宜いと云ふならば、例へば鉄道の改札場を通らうと云ふに、狭い場所を己れさへ先へ通らうと皆思つたならば、誰も通ることが出来ぬ有様になつて、共に困難に陥る、近い例を云ふと、己れをのみと云ふ考へが、己れ自身の利をも進めることが出来ぬといふは、此の一事に徴しても分るだらうと思ふのである、是に於て私が常に
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希望する所は、物を進めたい増したいと云ふ慾望といふものは、常に人間の心に持たねばならぬ、而して其の慾望は道理に依つて活動するやうにしたい、此の道理といふのは仁義徳相並んで行く道理である、其の道理と慾望とは相密著して行かなければ、此の道理も前にいふ支那の衰微に陥つたやうな風に走らないとは云へない、又後にいふ慾望は如何に進んで行つても、道理に違背する以上は、何時までも奪はずんば饜かずといふ不幸を見るに至るであらうと思ふのである。

 金は尊いものであるとか、又は貴ばねばならぬものであるとか云ふことに関しては、古来随分多くの格言もあり、俚諺もある、或人の詩に『世人交りを結ぶに黄金を以てす、

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黄金多からざれば交り深からず』とある一句などは、黄金は友情といふ形而上の精神までも支配するの力あるものとも取れる、精神を尊んで物質を卑める東洋古来の風習では、黄金によつて友情をまで左右されるのは、人情の堕落思ひやられて甚だ寒心の至りであるが、併し斯ういふことが我々の日常よく出会ふ問題である、例へば親睦会などいふと必ず相集まつて飲食する、これは飲食も友愛の情を幇助するからである、又久し振りに来訪して呉れる友人に、酒食を供することも出来ないやうでは、締交の端緒も開き難い、而して是等のことには皆黄金が関係する。

 俚諺に『銭ほど阿弥陀は光る』と言うて、十銭投げれば十銭だけ光る、二十銭投げれば二十銭だけ光ると計算して居る、又『地獄の沙汰も金次第』といふに至りては、頗る評し得て皮肉の感がないでもないが、亦以て金の効能の如何に大きいものであるかを表

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したものと見ることが出来る、一例を挙げると、東京停車場へ往つて汽車の切符を買ふとするに、如何なる富豪でも、赤切符を買へば三等にしか乗れない、又如何に貧人でも、一等切符を買へば一等に乗れる、これは全く金の効能である、兎に角金には或る偉大なる力あることを拒む訳にはならぬ、如何に多く財を費しても、唐辛を甘くするこ[と]は出来ないけれども、無限の砂糖を以て其の辛味を消すことは出来る、又平生苦り切つて八ケ間敷言つて居る人でも、金の為には直ぐ甘くなるのは世間普通のことで、政治界などに能く見る例である。

 斯く論じ来れば、金は実に威力あるものなれども、併しながら金は固より無心である、善用さる〻と悪用されるとは、其の使用者の心にあるから、金は持つべきものであるか、持つべからざるものであるかは、卒爾に断定することは出来ない、金はそれ自身に善悪

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を判別するの力はない、善人が之を持てば善くなる、悪人が之を持てば悪くなる、つまり所有者の人格如何によつて善ともなり悪ともなる、此事に関しては、余は常々人に語つて居るが、昭憲皇太后の、
もつ人の心によりて宝とも
     仇ともなるは黄金なりけり
との御歌は、実に感佩敬服に堪へぬのである。

 然るに世間の人々は、兎角この金を悪用したがるものである、されば古人も之を戒めて『小人罪なし、宝を抱くこれ罪』とか、『君子財多ければ其の徳を損し、小人財多ければ其過を増す』などと言つてある、論語を読んで見ても、『富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し』といひ、又は『富にして求むべくんば執鞭の士と雖も、吾れまた之を為さん』

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と言ひ、大学には『徳は本なり、財は末なり』と曰つてある、今か〻る訓言を一々此所に引用したならば、殆んど枚挙に遑なしであらうが、これは決して金を軽視しても宜いと云ふ意味ではない、苟くも世の中に立つて完全の人たらんとするには、先づ金に対する覚悟がなくてはならぬ、而して斯る訓言に徴しても、社会に於ける金の効力は如何に思察すべきものであるか、頗る考慮を要するのである、蓋し余り之を重んじ過ぎるのも誤りなら、又これを軽んじ過ぎるのも宜しくない、即ち『国、道ありて貧且つ賤しきは恥なり、国、道なくして富且つ貴きは恥なり』と言うて、孔子も決して貧乏を奨励はなさらなかつた、唯『その道を以てせざれば、これを得るとも処らざるなり』である。

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 従来儒者が孔子の説を誤解して居た中にも、其の最も甚しいのは富貴の観念貨殖の思想であらう、彼等が論語から得た解釈に依れば、『仁義王道』と『貨殖富貴』との二者は氷炭相容れざるものとなつて居る、然らば孔子は『富貴の者に仁義王道の心あるものはないから、仁者とならうと心掛けるならば富貴の念を捨てよ』といふ意味に説かれたかと云ふに、論語二十篇を隈なく捜索してもそんな意味のものは一つも発見することは出来ない、否、寧ろ孔子は貨殖の道に向つて説をなして居られる、併しながら其の説き方が例の半面観的であるものだから、儒者が之に向つて全局を解することが出来ず、遂に誤を世に伝へるやうになつて仕舞つたのである。

 例を挙ぐれば、論語の中に『富と貴とはこれ人の欲する所なり、其の道を以てせずして之

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を得れば処らざるなり、貧と賤とはこれ人の悪む所なり、其の道を以てせずして之を得れば去らざるなり』といふ句がある、此の言葉は如何にも言裡に富貴を軽んじた所があるやうにも思はれるが、実は側面から説かれたもので、仔細に考へて見れば、富貴を賤しんだところは一つもない、其の主旨は富貴に淫するものを誡められたまで〻、是を以て直ちに孔子は富貴を厭悪したとするは、誤謬も亦甚しと謂はねばならぬ、孔子の言はんと欲する所は、道理を有た富貴でなければ、寧ろ貧賤の方が可いが、若し正しい道理を踏んで得たる富貴ならば敢て差支ないとの意である、して見れば富貴を賤しみ貧賤を推称した所は更にないではないか、此句に対して正当の解釈を下さんとならば、宜しく『道を以てせずして之を得れば』といふ所に能く注意することが肝要である。

 更に一例を以てすれば、同じく論語中に『富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾亦之を為さん、如し求むべからずんば、吾が好む所に従はん』といふ句がある、これ

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も普通には富貴を賤んだ言葉のやうに解釈されて居るが、今正当の見地から之を解釈すれば、句中富貴を賤んだといふやうなことは一も見当らないのである、富を求め得られたなら、賤い執鞭の人となつても可いといふのは、正道仁義を行うて富を得らる〻ならばと云ふことである、即ち『正しい道を蹈んで』といふ句が此の言葉の裏面に存在して居ることに注意せねばならぬ、而して下半句は正当の方法を以て富を得られぬならば、何時までも富に恋々として居ることはない、奸悪の手段を施してまでも富を積まんとするよりも、むしろ貧賤に甘んじて道を行ふ方が可いとの意である、故に道に適せぬ富は思ひ切るが宜いが、必ずしも好んで貧賤に居れとは言うてない、今この上下二句を約言すれば、正当の道を蹈んで得らる〻ならば、執鞭の士となつても宜いから富を積め、併しながら不正当の手段を取る位なら寧ろ貧賤に居れといふので、矢張この言葉の反面には
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『正しい方法』といふことが潜んで居ることを忘れてはならぬ、孔子は富を得る為には実に執鞭の賤きをも厭はぬ主義であつた、と断言したら、恐らく世の道学先生は眼を円くして驚くかも知れないが、事実は何所までも事実である、現に孔子自らそれを口にされて居るから致し方がない、尤も孔子の富は絶対的に正当の富である、若し不正当の富や、不道理の功名に対しては、謂ゆる『我に於て浮雲の如し』であつたのだ、然るに儒者は此の間の区別を明瞭にせずして、富貴といひ功名といひさへすれば、其の善悪に拘はらず、何でも悪いものとして了つたのは、早計も亦甚しいのではないか、道を得たる富貴功名は、孔子も亦自ら進んで之を得んとして居たのである。

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 余は従来救貧事業は人道上より、将た又経済上より之を処理しなければならぬこと〻思うて居たが、今日に至つてはまた政治上よりも之を施行しなければ為らぬこと〻なつたと思ふ、余の友人は先年欧洲細民救助の方法を視察せんとして出発し、約そ一年半の日子を費して帰朝したが、余も此人の出発に就ては多少助力した点から、帰朝後同趣味の人を集めて、其の席上に報告演説を依嘱した、其人の語る所を聞いて見ると、英国の如きは此の事業完成の為に、殆んど三百年来苦心を継続して、今日僅かに整備するを得た、又「デンマルク」は英国以上に整頓して居るが、仏、独、米なぞは、今や各自各様に細民問題に力を注いで、一寸の猶予もないとのことである、而して海外の事情を見れば見るほど、久しい以前より自分共が力を注いで居た所に力を入れて居るやうに思はれる。

 此の報告会のとき、自分も集会した友人に対して意見を述べた、それは『人道よりす

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るも経済的よりするも、弱者を救ふは必然のことであるが、更に政治上より論じても、其の保護を閑却することは出来ない筈である、但しそれも人に徒食悠遊させよと云ふのではない、成るべく直接保護を避けて、防貧の方法を講じたい、救済の方法としては、一般下級民に直接利害を及ぼす租税を軽減するが如きも、其の一法たるに相違ない、而して塩専売の解除の如きは、これが好箇の適例である』といふ意味であつた、此の集会は中央慈善協会に於て開催したのであつたが、会員諸君も全[余]の所説を諒とされ、今日と雖も其の方法等に就て種々なる方面に向ひ、相共に調査を実行しつ〻ある次第である。

 如何に自ら苦心して築いた富にした所で、富は即ち自己一人の専有だと思ふのは大なる見当違ひである、要するに、人は唯一人のみにては何事も為し得るものでない、国家社会の助けに依つて自らも利し、安全に生存するも出来るので、若し国家社会がなかつ

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たならば、何人たりとも満足に斯の世に立つことは不可能であらう、これを思へば、富の度を増せば増すほど社会の助力を受けて居る訳だから、此の恩恵に酬ゆるに救済事業を以てするが如きは、寧ろ当然の義務で、出来る限り社会の為に助力しなければならぬ筈と思ふ、『己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す』といへる言の如く、自己を愛する観念が強ければ強いだけに、社会をも亦同一の度合を以て愛しなければならぬことである、世の富豪は先づ斯る点に着眼しなくてはなるまい。

 此秋に方つて、畏くも 陛下は大御心を悩まし給ひ、御先例になき貧窮者御救恤の御下賜金を仰せ出ださせられた、此の洪大無辺の 聖旨に対し奉りて、富豪者は申合せぬまでも、心中には何とかして聖恩の万分の一にだも酬い奉らなくてはならぬと苦慮するであらう、是こそ余が三十年来一日も忘る〻能はざりし願意で、言は〻゙ 願望が今日漸く

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達せられたといふもの、併しながら誠に長く心掛て来たことだけに、有難き 聖旨を承くるにつけても、前途が非常に明くなつた感じがして、心中の愉快は殆んど譬へやうがない、けれども爰に懸念すべきは其の救済の方法如何に就て〻゙ ある、それが適度に行るれば宜いが、乞食が俄に大名になつたといふやうな方法では、慈善が慈善でなく、救恤が救恤でなくなる、それからもう一つ注意したいのは、陛下の御心に副ひ奉らんが為め、富豪が資金を慈善事業に投ずるにしても、出来心の慈善、見栄から来た慈善は決して宜しくないといふことである、左様いふ慈善救済事業は得て誠実を欠くもので、其の結果は却つて悪人を造るやうな事になり勝ちである、兎に角 陛下の大御心の存し給ふ所を思ひ、此際富豪諸氏は社会に対する自己の義務を完うせられたい、これ実に畏き 聖旨に副ひ奉るのみか、二つには社会の秩序、国家の安寧を保持する上に於て、如何ばかり
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か貢献することが多からう。

 陶淵明は『盛年不重来、一日難再晨』と題し、朱子は『青年易老学難成、一寸光陰不可軽』と警めてある如く、殊更に空想に耽り、誘惑に陥り易き青年時代は、夢の如くに過ぎ去つて終ふものである、余等が青年時代も真に早く経過して、明日ありと思うてゐた中に矢の如く移り去つた、今日になつて後悔しても詮方のない事である、青年諸君は深く此の前車に注意して、余等の後悔の轍を蹈まぬやうにして貰ひたい、諸君の励精によりて、将来国家の運命に影響する所大なるものがあるから、従来相当の覚悟ある人も、更に其の臍を固めねばならぬのである。

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 覚悟を新にするに就て注意すべき点は限りないのであるが、特に注意すべきは金銭の問題である、追々と社会の組織が複雑となつて来るが、昔でさへ恒産無くして恒心を保つことは出来ぬと言はれた位であるから、活気ある世務に処する程、金銭問題に関して充分の覚悟が無くては、意外の失敗を演じ過失に陥ることがないとは限らぬ。

 勿論金銭は貴いものではあるが、又頗る卑しい物である、貴い点より言へば、金銭は労力の代表となり、約束によつて大抵の物の代価は、金銭ならでは清算の出来ぬものである、蓋し茲に金銭といふは、只金銀貨幣紙幣の類の通貨のみを指すのでは無く、総じて代償することの出来る貨財は金銭を以て評することが出来るので、金銭は財産の代称であるとも言ひ得ると思ふのである、嘗て

昭憲皇太后宮の御歌を拝誦した中に、

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もつ人の心によりてたからとも
     仇ともなるは黄金なりけり

とあつたやうに記憶して居るが、真に適切なる御評で、吾人の感佩服膺すべき名歌であると思ふ、然るに昔の支那人の書いたものに拠ると、一体に金銭を卑しむ風が盛んであるやうに思はれる、左伝に『小人玉を抱いて罪あり』とある類から、孟子に陽虎の言として『仁を為せば富まず、富めば仁ならず』とあるが如き、其の一例である、陽虎の如きは固より敬服すべき人物ではないが、当時にありては知言として一般から認められて居たのである、更に又『君子財多ければ其の徳を損し、小人財多ければ其の過を増す』といふやうな意味の言を漢籍の中で読んだこともある、兎に角東洋古来の風習は、一般に金銭を卑しむこと甚しいもので、君子は近づくべからざるもの、小人には恐るべきも

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のとしたのであるが、畢竟貪婪飽くなき世俗の悪弊を矯めんとして、終には極端に金銭を卑しむ様に為つたものと思はれる、是等の説は青年諸君は深く注意を払はねばならぬ。

 余は平生の経験から、自己の説として論語と算盤とは一致すべきものであると言つて居る、孔子が切実に道徳を教示せられたのも、その間経済にも相当の注意を払つてあると思ふ、是は論語にも散見するが、特に大学には生財の大道を述べてある、勿論世に立つて、政を行ふには、政務の要費は勿論、一般人民の衣食住の必要から、金銭上の関係を生ずることは言ふまでもないから、結局、国を治め民を済ふためには道徳が必要であるから、経済と道徳とを調和せねばならぬ事となるのである、故に余は一個の実業家としても、経済と道徳との一致を勉むる為に、常に論語と算盤との調和が肝要であると手軽く説明して、一般の人々が平易に其の注意を怠らぬやうに導きつ〻あるのである。

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 昔は東洋ばかりでなく、西洋も一体に金銭を卑しむ風習が極端に行はれたやうであるが、是は経済に関することは、得失といふ点が先に立つものであるから、或る場合には謙譲とか清廉とか言ふ美徳を傷けるやうに観えるので、常人は時としては過失に陥り易いから、強く之を警戒する心懸けより、斯る教を説く人もありて、自然と一般に風習となつたものであらうと思ふ。

 曾て某新聞紙上にアリストートルの言として、『総ての商業は罪悪である』といふ意味の句があつたと記憶して居るが、随分極端な言ひ方であると思ふたが、尚ほ再考すれば、総て得失が伴ふものには、人も其の利慾に迷ひ易く、自然仁義の道は外れる場合が生ずるものであるから、夫等の弊害を誡むるため斯様な過激なる言葉を用ゐたものかと思はれる、何うしても人情の弱点として、物質上の事に眼が著き易く、精神上のことを忘れ

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て物質を過重する弊害の生ずるは止むを得ないことであるが、思想も幼稚であり、道徳上の観念の卑しい者ほど、此の弊害に陥り易いものである、故に昔は全体から観れば、智識も乏しく道義心も浅薄にして、得失のため罪悪に陥る者が多かつたのであると思はれるので、殊更に金銭を卑しむ風が高まつたのであらう。

 今日の社会状態は、昔よりは智識の発達が著しく進んで、思想感情の高尚な人が多くなつた、更に言ひ換へれば、一般の人格が高まつて来て居るのである、故に金銭に対する念慮も余程進んで来て、立派な手段を用ゐて収入を図り、善良なる方法を以て使用する人が多くなつたので、金銭に対する公平なる見解をなすやうに為つた、併し前述の如く人情の弱点として、利慾の念より輙もすれば富を先にして道義を後にする弊を生じ、過重の結果、金銭万能の如く考へて、大切なる精神上の問題を忘れて、物質の奴隷

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となり易いものであるが、斯くなりては責其人にありとは言ふもの〻、金銭の禍を恐れて其の価値を卑しく観るやうになつて、再びアリストートルの言を繰返さしむるに至るであらう。

 幸にして世間一般の進歩と共に金銭上の取扱も改まつて、利殖と道徳と離れまいとする傾向が増して来た、殊に欧米にては『真正なる富は正当なる活動によつて収得せらるべき者である』との観念が著々実行されて来て居るが、我国の青年諸君も深く此点に注意して、金銭上の禍に陥らず、倍〻道義と共に金銭の真価を利用する様に勉められん事を望むのである。

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 概して御用商人といへば、兎角世間では何か罪悪を含み居るもの〻如く、悪感情を以て迎へ、あれは御用商人であるといふ、其語には厭な響を持つて居る、私共も御用商人と指し呼ばれたらば、甚だ心持が善くない、即ち御用商人といへば、金の力を以て権勢に媚びる者、而して廉潔実直の事のみをして居られぬ性質の業体の者だといふやうに一般の人に見做されて居るのは甚だ心外なことである、併しながら海外の其の道の者でも、又内地の其の道の者でも、私共の見る所では皆相当の資力ある人であつて、能く道理を弁へて居る、面目を重んじ信用を大切にする、斯様に自ら省みる底の人であれば、必ず是非善悪の判断に迷はぬ訳であるから、少々官府の人から如何はしい申出でがあつたからとて、オイソレと直ぐに応諾は為さないかと思はれる、或は取扱上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、極く軽微な何等かのことはあるかも知れないけれ
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ども、曩に発現した海軍収賄事件のやうな大仕掛の罪悪は、苟くも双方悪い考が一致しなければ出来ぬ筈である、よし一方から賄賂を贈つて来ても、一方が是を受けぬと云へば仕方がない、又役人に不心得な者があつて、婉曲に或は露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思ふ者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である、已むを得ずば其の取引を断つても、そんな罪悪は成立せぬやうにすることが出来る筈である、私共は爾かあるべきものと確く信じて居る。

 然るに海軍収賄事件の事実に徴するに、軍艦であるとか、軍需品であるとか、其の納入に就て贈賄が行はれたといふのである、又単り「シーメンス」会社にのみ其様な事があつたと云ふのでは無い、凡そ主なる物品の買上げには、殆んど贈賄行為が伴うて居るといふことである、海軍のみならず、陸軍にも亦その事が多く行はれて居るといふこと

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である、甚しきは其の買上げられた品物が、表面の価格よりは実質が頗る劣つて、何所かに完備を欠いてる所の脆弱のものである、と云ふやうな疑惑を蒙むるは何事であるか、実に慨はしい次第ではないか、大学に『一人貪戻なれば、一国乱を作す』といふ語がある、是は何も貪欲とか収賄とかいふことを意味してるのでは無いが、収賄貪慾といふ底の人の些細な私曲から、延いては天下を聳動するやうな大事に立ち至るといふことは、実に恐ろしい事と謂はねばならぬ。

 以前私は斯様な不正な贈賄をなす実業家は、海外には有りもしやうが、我が日本にはあるまいと思つて居たが、苟くも海外のそれに紛らはしい者が我が実業家中にもあると云ふのでは、甚だ以て遺憾に堪へない、それかあらぬか遂に三井会社の人までも、其の嫌疑の下に検挙されたのは、甚だ以て痛心の至りである、畢竟斯様な事件の発生するの

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も、仁義道徳と生産殖利を別々に考へて取扱ふからであらうと思はれる、苟も生産殖利は正しき道に依つて経営すべきものであるとの観念が、我々お互に実業者間の信条となつて居るならば、外国の人は兎に角、日本の実業家中に其様な不正を働く者のないことを誇り得るでもあらう、縦や相手方の人が貪慾心に駆られ、内々これ〳〵のことをした、乃公の労に酬いろといふやうな、顔色を示したり、甚しきは露骨に口に出して其様な申出でをなすやうな場合にも、其れは正義に背く行為であるから、私には出来ぬと云つて、キッパリ断る位の覚悟を以て商売をしたならば、必ず其様な誘導の起るものではない、是に於て私は益々実業家の人格を高めることの必要を痛切に感ずるのである、実業界に不正の行為が跡を絶たぬやうでは、国家の安全を期することが出来ないと云ふまでに、深く私は憂へて居る。

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 社会の百事、利ある所には必ず何等かの弊害が伴ふは数の免れざるもので、我国が西洋文明を輸入して、大に我が文化に貢献した一面に於ては、矢張り其の弊害を免る〻ことは出来ない、即ち我国が世界的事物を取入れて其の恩沢に浴し、其の幸福に均霑したと同時に、新しき世界的害毒の流入したことは争はれぬ事実で、彼の幸徳一輩が懐いて居た危険思想の如きは、明かに其一つであると言ひ得るのである、古来我国にはあれ程の悪逆思想は未だ曾て無かつた、然るに今日さういふ思想の発生するに至つた所以は、我国が世界的に立国の基礎を築いた結果で、亦止むを得ざることではあるけれども、我国に取つては最も怖るべく最も忌むべき病毒である、従つて我々国民たる者の責務とし

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て、如何にもして此の病毒の根本的治療策を講じなくてはならぬ、惟ふに此の病毒の根治法には恐らく二様の手段があらう、一は直接その病気の性質原因を研究し、之に適切な方剤を投ずるので、他の一方は出来るだけ身体諸機関を強壮ならしめて、仮令病毒の侵染に遇ふとも、立ち所に殺菌し得るだけの素質を養成して置くことである、所で、我我の立脚地からは、此の二者孰れに就くべきかと云ふに、元来実業に携はる者であるから、此の悪思想の病源病理を研究して、其の治療方法を講ずることは職分でない、寧ろ我々の執るべき務は国民平生の養生の側にあると思ふ、国民全部をして強健なる身体機関を養はしめて、如何なる病毒に遭ふとも決して侵害されることのないやうに養生を遂げしめなくてはならぬ、故に之が治療法、即ち危険思想防遏策に就て余が所信を披瀝し、以て一般世人、殊に実業家諸氏の考慮を促したいと思ふ。

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 余が平素の持論として屡々言ふ所のことであるが、従来利用厚生と仁義道徳の結合が甚だ不十分であつた為に、『仁をなせば則ち富まず、富めば則ち仁ならず』、利に就けば仁に遠ざかり、義に依れば利を失ふといふやうに、仁と富とを全く別物に解釈して了つたのは、甚だ不都合の次第である、此の解釈の極端なる結果は利用厚生に身を投じた者は、仁義道徳を顧みる責任はないと云ふやうな所に立ち至らしめた、余は此点に就て多年痛歎措く能はざるものであつたが、要するに是れ後世の学者のなせる罪で、既に数次述べたる如く、孔孟の訓が『義利合一』であることは、四書を一読する者の直ちに発見する所である。

 後世儒者の其意を誤り伝へられた一例を挙ぐれば、宋の大儒たる朱子が、孟子の序に『計を用ゐ数を用ふるは、仮饒ひ功業を立て得るも、只是れ人慾の私にして、聖賢の作処

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とは天地懸絶[隔]す』と説き、貨殖功利のことを貶して居る、其の言葉を押進めて考へて見れば、彼のアリストートルの『総ての商業は罪悪なり』と曰へる言葉に一致する、之を別様の意味から言へば、仁義道徳は仙人染みた人の行ふべきことであつて、利用厚生に身を投ずるものは仁義道徳を外にしても構はぬといふに帰着するのである、此の如きは決して孔孟教の骨髄ではなく、彼の閩洛派の儒者によつて捏造された妄説に外ならぬ、然るに我国では元和寛永の頃より此の学説が盛んに行はれ、学問といへば此の学説より外にはないと云ふまでに至つた、而して此の学説は今日の社会に如何なる余弊を齎らして居るのであらうか。

 孔孟教の根底を誤り伝へたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、殆んど総てを利己主義たらしめ、其の念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚しきに至つては

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法網を潜られるだけ潜つても金儲けを仕度いの一方にさせて仕舞つた、従つて今日の謂ゆる実業家の多くは、自分さへ儲ければ他人や世間は如何あらうと構はないといふ腹で、若し社会的及び法律的の制裁が絶無としたならば、彼等は強奪すら仕兼ねぬといふ情ない状態に陥つて居る、若し永く此の状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔は益々甚しくなり、社会は愈〻浅間しい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ、これ誠に孔孟の訓を誤り伝へたる学者が数百年来䟦扈して居た余毒である、兎に角世の中が進むに伴れて、実業界に於ても生存競争が倍〻激しくなるは自然の結果といつて可い、然るに此の場合に際し、若し実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間は如何ならうと、自分さへ利益すれば構はぬと言つて居れば、社会は益々不健全と成り、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するやうになるに相違ない、果して然らば危険思想醸成の
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罪は、一に実業家の双肩に負はねばならなくなる、故に一般社会の為に之を匡正せんとするならば、此際我々の職分として、極力仁義道徳に由つて利用厚生の道を進めて行くといふ方針を取り、義利合一の信念を確立するやうに勉めなくてはならぬ、富みながら且つ仁義を行ひ得る例は沢山にある、義利合一に対する疑念は今日直ちに根本から一掃せねばならぬ。

 私は老人の冷水といひませうか、将た老婆心といひませうか、此の歳になつても国家社会の為には朝夕駈け廻つて居ります、自宅へも皆さんが種々な事を云つて見えますが、それが必ずしも善いことばかりではありません。否、寄附をしろの、資本を貸せの、学

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費を貸与してくれのと、随分理不尽なことを言つて来る人もありますが、私は夫等の人人に悉く会つてゐます、世の中は広いから随分賢者も居れば偉い人も居る、それを五月蠅い善くない人が来るからと云つて、玉石混淆して一様に断り、門戸を閉鎖して了ふやうでは、単り賢者に対して礼を失するのみならず、社会に対する義務を完全に遂行することが出来ません、だから私は何誰に対しても城壁を設けず、充分誠意と礼譲とを以てお目にか〻る、而して若し無理な註文が出れば断るし、出来ることは尽して上げるやうにする、昔支那の語に、『周公三たび哺を吐き、沛公三たび髪を梳る』といふことがある、即ち周公といふ大政治家は、御飯を食べて居る時に訪問客があると、食べかけた御飯を吐き出して客を迎へて用件を聞く、客が帰ると復た御飯にか〻るが、そこへ来客があると復た御飯を吐き出して面会する、かくて一回の食事中に三度も哺を吐いて来客に接す
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るといふほど来客を優遇した、また沛公は漢八百年の基を開いた高祖であるが、此人も周公に私淑し、能く広く賢者に俟つといふ主義で、朝髪を梳いて居る時来客があると、髪を梳つたま〻引見する、三度髪を梳るといふのは、三度結ひかけた髪を中止してまで訪客に接するといふ、非常に客を歓迎するの意味を現はしたものである、私は敢て周公沛公の賢に比するといふ訳ではないが、広く賢者に俟つといふ意味で、何誰にでもお目に懸ることにして居る、然るに世間往々にして客を引見することを憶劫がる人が多い、否、富豪だとか名士だとか言はる〻階級の人には、殊に来客を厭ふの風が甚しいやうであるけれども、五月蠅とか憶劫だとか言つて引込んで居つては、国家社会に対して徳義上の義務を全うすることは出来まいと思ふ。

 私は過日某富豪の子息で大学を卒業したばかりの御人に面会した、是から社会に出る

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に就て、色々御注意に与りたいと云ふことであつたので、私はその時斯んな話をしては貴方のお父さんに、渋沢は余計なことを云ふと蔭で恨まれるかも知らんがと冒頭して、次のやうな話をしました。

 今時の富豪は兎角引込思案ばかりして、社会の事には誠に冷淡で困るが、富豪といへど自分独りで儲かつた訳ではない、言は〻゙ 社会から儲けさせて貰つたやうなものである、例へば地所を沢山所有して居ると、空地が多くて困るとか言つて居るが、其の地所を借りて地代を納めるものは社会の人である、社会の人が働いて金儲けをし、事業が盛んになれば空地も塞がり、地代も段々高くなるから、地主も従つて儲かる訳だ、だから自分の斯く分限者になれたのも、一つは社会の恩だといふことを自覚し、社会の救済だとか、公共事業だとかいふものに対し、常に卒先して尽すやうにすれば、社会は倍々健全にな

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る、それと同時に自分の資産運用も益々健実になると云ふ訳であるが、若し富豪が社会を無視し、社会を離れて富を維持し得るが如く考へ、公共事業社会事業の如きを捨て〻顧みなかつたならば、茲に富豪と社会民人との衝突が起る、富豪怨嗟の声は軈て社会主義となり、「ストライキ」となり、結局大不利益を招くやうにならぬとも限らぬ、だから富を造るといふ一面には、常に社会的恩誼あるを思ひ、徳義上の義務として社会に尽すことを忘れてはならぬ。

 斯んな事を言つては富豪から憎まれるかも知らんが、実際私共でさへ上述の訳合から出来るだけ尽して居るのに、どういふものか世間の金持は引込思案で困る、此間も或富豪に貴方がたがもう少し社会に口を出して下さらなくては困ると言ふと、どうも面倒臭くてと言つて居られたが、単に五月蠅いからと言つて引込んで居られては、私共ば

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かり躍起になつても誠に旨く行かないで困ります、現に私共がお先棒になつて明治神宮の外苑建設を企画して居りますが、之は代々木か青山辺に明治神宮の外苑として、宏大なる公園様のものを造り、帝国中興の英主たる先帝の御遺徳を永く後昆に伝ふべき記念図書館、若くは各種教育的娯楽機関を造りたいといふのが趣意で、約四百万円の費用を要する見込である、斯る企は社会教育の上から見て誠に適切なる事業だと信ずるのであるが、さて是れだけの費用を寄せるには容易でない、斯ういふ場合には岩崎さんや三井さんに是非一と奮発して貰はなければならぬ、がそれと同時に世の大方富豪が社会に対する徳義上の義務として、常に公共事業に尽されんことを望むのである。

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 金とは現に世界に通用する貨幣の通称であつて、而して諸物品の代表者なのである、貨幣が特に便利であるといふのは、何物にも代り得らる〻からである、太古は物々交換であつたが、今は貨幣さへあればどんなものでも心に任せて購ふことが出来る、此の代表的価値のある所が貴いのである、だから貨幣の第一の要件として、貨幣その物の実価と物品の値とが等しくなければならない、若し称呼のみ同一にして其の貨幣の実価が減少すると、反対に物価は騰貴する、また貨幣は分割に便利である、爰に一円の湯呑がある、之を二人に分けやうと思つても分けることは出来ない、壊して半分にして五十銭宛に分けることは出来ない、貨幣だと其れが出来る、一円の十分の一が欲しいと思ふと、十銭銀貨がある、又貨幣は物の価格を定める、若し貨幣といふものがなかつたなら、此の茶碗と煙草盆の等級を明確に定めることは出来ない、然るに茶碗は一個十銭、煙草盆
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は一円といふならば、即ち茶碗は煙草盆の十分の一に当り、貨幣あつて両者の価格は定まるのである。

 総じて金は貴ばなければならぬ、これは単に青年ばかりに望むのではない、老人も壮者も男も女も、凡て人の貴ぶべきものである、前にも言つた如く、貨幣は物の代表であるから、物と同じく貴ばなければならぬ、昔禹王といふ人は、些細な物をも粗末にしなかつた、また宋の朱子は、『一食一飯まさに之を作るの難きを思ふべし、半紙半縷来処の易からざるを知れ』と言つてある、一寸の糸屑半紙の紙切、又は一粒の米とても、決して粗末にしては為らないのである、それに就て爰に一つの佳話がある、英蘭銀行に有名なるギルバルトといふ人が、青年時代に目見えの為め銀行に出頭して、その帰る時に、室内に落ちてありし一本の「ピン」を見付けて、ギルバルトは直ちに之を拾つて襟にさし

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た、之を見た銀行の試験役はギルバルトを呼止め、今足下は室内で何かお拾ひになつたやうですが、あれは何ですかと聞くと、ギルバルトは臆する色もなく、一本の「ピン」が落ちて居たが、取り上げれば要用のもので、此儘にして置けは[ば]危険であると思つて拾ひ取りましたと答へた、是に於て試験役は大に感心して、更に色々質問して見ると、洵に思慮深い有望な青年であつたので、遂に之を任用し、後年に至りて大銀行家となつたといふことである。

 要するに、金は社会の力を表彰する要具であるから、之を貴ぶのは正当であるが、必要の場合に能く費消するは勿論善いことであるが、よく集めよく散じて社会を活潑にし、従つて経済界の進歩を促すのは有為の人の心懸くべきことであつて、真に理財に長ずる人は、よく集むると同時によく散ずるやうでなくてはならぬ、よく散ずるといふ意味は、

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正当に支出するのであつて、即ちこれを善用することである、良医が大手術を用ゐて患者の一命を救つた「メス」も、狂人に持たしめると人を傷る道具となる、また老母の孝養に必要なる飴も、賊徒に与ふれば枢の開閉に音なきの盗具となる故に、我々は金を貴んで善用することを忘れてはならない、実に金は貴ぶべく又賤しむべし、之をして貴ぶべきものたらしむるのは、偏へに所有者の人格によるのである、然るに世には貴ぶといふことを曲解して、只無暗にこれを吝む人がある、真に注意せねばならぬことである、金に対して戒むべきは濫費であると同時に、注意すべきは吝嗇である、能く集むるを知りてよく散ずることを知らねば、その極守銭奴となるから、今日の青年は濫費者とならざらんことを勉むると同時に、守銭奴とならぬやうに注意せねばならぬのである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.139-182

サイト掲載日:2024年11月01日