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◎平生の心掛が大切

 総じて世の中のことは心の儘にならぬが多い、独り形の上に表はれて居る事物ばかりでなく、心に属することも間々さういふことがある、例へば、一度斯うと心の中に堅く決心したことでも、何か不図したことから俄に変ずる、人から勧められて遂に其の気になると云つたやうな事もあるが、それが必ずしも悪意の誘惑でないまでも、心の遷転から起ることで、斯の如きは意志の弱いのであると謂はねばなるまい、自ら決心して動かぬと覚悟して居ながら、人の言葉によりて変ずるが如きは、固より意志の鍛錬の出来て居るものではない、兎角平生の心掛が大切である、平素その意中に『斯うせよ』とか『斯うせねばならぬ』とか、事物に対する心掛が的確に決つて居るならば、如何に他人が巧妙に言葉を操つても、浮とそれに乗せられるやうなことはない訳だ、故に何人も問題の起らぬ時に於て其の心掛を錬つて置き、而して事に会し物に触れた時、それを順序よく進めるが肝要である。

 然るに兎角人心は変態を生じ勝ちのもので、常時は『斯くあるべし』『斯くすべし』と堅く決心して居た者も、急転して知らず〳〵に自ら自己の本心を誘惑し、平素の心事と全く別処にこれを誘ふやうな結果を齎らすが如きは、常時に於ける精神修養に欠くる所があり、意志の鍛錬が足らぬより生ずることである、斯の如きは随分修養も積み鍛錬を経た者でも惑はされることのないとは言はれぬものだから、況んや社会的経験の少い青年時代などには、いやが上に注意を怠つてはならぬ、若し平生自己の主義主張として居たことが、事に当つて変化せねばならぬやうなことがあるならば、宜しく再三再四熟慮するが宜い、事を急激に決せず、慎重の態度を以て能く思ひ深く考へるならば、自ら心眼の開くものもありて、遂に自己本心の住家に立ち帰ることが出来る、此の自省熟考を怠るのは、意志の鍛錬に取つて最も大敵であることを忘れてはならぬ。

 以上は自己が意志の鍛錬に関する理論でもあり、又しかく感じた所であるが、序を以て余が実験談を此所に附加して置きたい、余は明治六年思ふ所ありて官を辞して以来、商工業といふものが自己の天職である、若し如何やうの変転が起つて来ても、政治界には断じて再び携はらぬと決心した、元来政治と実業とは互に交渉錯綜せるものであるから、達識非凡の人であつたら、此の二途に立つて其の中間を巧妙に歩めば頗る面白いのであるが、余の如き凡人が左様の仕方に出るときは、或はその歩を誤つて失敗に終ることがないとも限らない、故に余は初めから自己の力量の及ばぬ所として政治界を断念し専ら実業界に身を投じようと覚悟した訳であつた、而して当時余が此の決心を断行するに方つても、自己の考案に待つ所の多かつたことは勿論のことで、時には知己朋友よりの助言勧告も或る程度まではこれを斥け、断々乎として一意実業界に向つて猛進を企てた、しかるに最初の決心が其れほど雄々しいものであつたにも拘はらず、さて実地に進行して見ると中々思惑通りには行かないもので、爾来四十余年間、屡〻初一念を動されようとしては危く踏み止り、漸くにして今日あるを得た訳である、今から回顧すれば最初の決心当時に想像したよりも、此間の苦心と変化とは遥かに多かつたと思はれる。

 若し余の意志が薄弱であつて、夫等幾多の変化や誘惑に遭遇した場合に浮々と一歩を蹈み誤つたならば、今日或は取返しのつかぬ結果に到着して居たかも知れぬ、例へば、過去四十年間に起つた小変動の中、其の東すべきを西するやうな事があつたならば、事件の大小は別として、初一念は此所に挫折する事になる、仮りに一つでも挫折されて方向が錯綜することになれば、最早自己の決心は傷けられた事になるので、それから先は五十歩百歩、もう何をしても構ふものかと云ふ気になるのが人情だから、止め度がなくなつて仕舞ふ、彼の大堤も蟻穴より崩る〻の喩の如く、左様なつては右に行くものも中途から引返して左へ行くやうなことになり、遂には一生を破壊了はねばならぬ、しかるに余は幸にも左様な場合に処する毎に熟慮考察し、危く心が動きかけたことがあつても、中途から取返して本心に立ち戻つたので、四十余年間先づ無事に過して来ることを得た、これに由つてこれを観るに、意志の鍛錬の六ケ敷きことは今更驚嘆の外はないが、併し夫等の経験から修得した教訓の価値も、また決して少いものでは無いと思ふ、而して得た所の教訓を約言すれば、大略次の如きものがある、即ち一些事の微に至るまでもこれを閑却するは宜しくない、自己の意志に反することなら事の細大を問ふまでもなく、断然之を跳付けて了はねば可かない、最初は些細の事と侮つてやつた事が、遂には其れが原因となつて総崩れとなるやうな結果を生み出すものであるから、何事に対しても能く考へて行らねばならぬ。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.254-259

出典:意志の鍛錬(『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.485-492)

サイト掲載日:2024年11月01日