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 凡そ人として世に処するに際し、常識は何れの地位にも必要で、又何れの場合にも欠けてはならぬことである、然らば常識とは如何なるものであらうか、余は次の如く解釈する。

 即ち事に当りて奇矯に馳せず、頑固に陥らず、是非善悪を見別け、利害得失を識別し、言語挙動すべて中庸に適ふものがそれである、これを学理的に解釈すれば『智、情、意』の三者が各々権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だらうと考へる、更に換言すれば、普通一般の人情に通じ、能く通俗の事理を解し、適宜の処置を取り得る能力が即ちそれである、人間の心を解剖して『智、情、意』の三つに分解したものは心理学者の唱道に基く所であるが、何人と雖も此の三者の調和が不必要と認めるものは無からうと思ふ、智恵と情愛と意志との三者があつてこそ、人間社会の活動も出来、物に接触して効能をも現はしてゆけるものである、故に常識の根本原則たる『智、情、意』の三者に就て少しく述べて見やうと思ふ。

 さて『智』は人に取つて如何なる働きをするものであらうか、人として智恵が十分に進んで居らねば、物を識別する能力に不足を来すのであるが、此の物の善悪是非の識別が出来ぬ人や、利害得失の鑑定に欠けた人であるとすれば、其人に如何ほど学識があつても、善いことを善いと認めたり、利あることを利ありと見分けをして、それに就くわけに行かぬから、さういふ人の学問は宝の持ち腐れに終つてしまふ、此所を思へば智恵が如何に人生に大切であるか〻゙ 知らる〻であらう、所が、彼の宋の大儒程朱の如きは痛く此の智を嫌つた、それは智の弊として、動もすれば術数に陥り、欺瞞詐偽の生ずる場合がある、また功利を主とすれば智恵の働きが多くなり、仁義道徳の方面には遠くなるとの理由で之を疎外した、それが為め折角多方面に活用せしむべき学問が死物になり、唯己れ一身をさへ修めて悪事が無ければ宜いといふことになつて仕舞つた、是は大なる誤思謬見で、仮りに一身だけ悪事が無いから宜いと手を束ねて居る人のみとなつたら如何なものであらうか、左様いふ人は世に処し社会に立つて何等の貢献する所もない、それでは人生の目的が那辺に存するかを知るに苦しまねばならぬ、とは云へ、素より悪行があつては勿論不可ぬけれども、人は総て悪事に陥らずに、多くの世務を果すやうで無ければ、真の人間とは謂はれぬのである、若し智の働きに強い検束を加へたら、その結果は如何であらう、悪事を働かぬことにはなりもしようが、人心が次第に消極的に傾き、真に善事の為にも活動する者が少くなつて仕舞はねば宜いがと、甚だ心配に堪へぬ訳である、朱子は謂ゆる『虚霊不昧』とか『寂然不動』とかいふやうな説を主張して、仁義忠孝を説き、智は詐術に奔るものであるというて絶対に之を嫌つたから、それが為に孔孟の教は偏狭に陥り、儒教の大精神を世人に誤解されるやうになつた点が少くないと思ふ、智は実に人心に取つて欠くべからざる大切の一要件である、故に余は智は決して軽視すべからざるものとして居る。

 智の尊ぶべきものなることは実に前述の如くであるが、併し智ばかりで活動が出来るかといふに、決して左様いふものでない、そこに『情』といふものを巧みに案排しなれけ[けれ]ば、智の能力をして充分に発揮せしむることが出来ないのである、例を挙げて説明すれば、徒らに智ばかり勝つて情愛の薄い人間はどんなものであらうか、自己の利益を図らんとする為には、他人を突き飛ばしても蹴倒しても一向頓著しない、由来智恵が十分に働く人は、何事に対しても一見して其の原因結果の理を明かに知ることが出来、事物の見透しが付くのであるが、斯る人物にして若し情愛が無かつたら堪つたものでない、其の見透した終局までの事理を害用し、自己本位を以て何所までもやり通す、此の場合他人の迷惑や難儀なぞが如何に来ようとも、何とも思はぬほど極端になつて仕舞ふ、其所の不権衡を調和してゆくものが即ち情である、情は一の緩和剤で、何事も此の一味の調合によつて平均を保ち、人生のことに総て円満なる解決を告げてゆくものである、仮りに人間界から情の分子を除却したらどういふ事にならうか、何も彼も極端から極端に走り、遂には如何ともすべからざる結果に逢著しなければなるまい、此故に人間に取つては『情』は欠くべからざる一機能である、併しながら情の欠点は最も感動の早いものであるから、悪くすると動き易いやうになる、人の喜怒哀楽愛悪慾の七情によりて生ずる事柄は変化の強いもので、心の他の部面に於てこれを制裁するものが無ければ、感情に走り過ぐるの弊が起る、是に於てか始めて『意志』なるもの〻必要が生じて来るのである。

 動き易い情を控制するものは鞏固なる意志より外はない、然り矣、意は精神作用中の本源である、鞏固なる意志があれば人生に於ては最も強味ある者となる、けれども徒らに意志ばかり強くて、之に他の情も智も伴はなければ、唯頑固者とか強情者とかいふ人物となり、不理窟に自信ばかり強くて、自己の主張が間違つて居ても、それを矯正しようとはせず、何所迄も我を押通すやうになる、勿論斯ういふ風の人も、或る意味から見れば尊ぶべき点がないでも無いが、それでは一般社会に処すべき資格に於て欠けて居る[、]謂は〻゙ 精神的の片輪で完全の人とは言はれない、意志の鞏固なるが上に聡明なる智恵を加味し、之を調節するに情愛を以てし、此の三者を適度に調合したものを大きく発達せしめて行つたのが、始めて完全なる常識となるのである、現代の人は能く口癖のやうに意志を強く持てといふが、意志ばかり強くても矢張困り者で、俗にいふ『猪武者』のやうな者になつては、如何に意志が強くても社会に余り有用の人物とは云へないのである。

 余は平素多弁の方で、能く種々の場合に口を出し、或は演説なぞも処嫌はず頼まれ〻ばやるので、知らず識らず言ひ過ぎることなぞあつて、人から屡々揚足を取られたり、笑はれたりすることがある、併し如何に揚足を取られやうが笑はれやうが、余は一度口にして言ふ以上は、必ず心にもないことは言はぬといふ主義である、従つて自分自身では妄語したとは思つて居らない、或は世人には妄語と聞える場合がないでもなからうが、少くとも自分は確信のある所を口にした積りで居る、口舌は禍の門であるだらうが、唯禍の門であるといふことを恐れて、一切口を閉ぢたら其の結果は如何であらう、有要な場合に有要な言を吐くのは、出来るだけ意思の通ずるやうに言語を用ゐなければ、折角のことも有邪無邪中に葬られねばならぬことになる、それでは禍の方は防げるとしても、福の方は如何にして招くべきか、口舌の利用に依つて福も来るものではないか、固より多弁は感心せぬが、無言も亦珍重すべきものではない、啞は此の世の中に於て如何なる用を弁じ得るか。

 余の如きは多弁の為に禍もあるが、是に由つてまた福も来るのである、例へば、沈黙して居ては解らぬのであるけれども、一寸口を開いた為に、人の困難な場合を救うてやることが出来たとか、或はよく喋ることが好きだから、何かのことにあの人を頼んで口を利いて貰つたら宜しからうと頼まれて、物事の調停をしてやつたとか、或は口舌のある為めに種々の仕事を見出すことが出来たとかいふやうに、総て口舌が無かつたら、それらの福は来るものでないと思ふ、して見れば、これらは誠に口舌より得る利益である、口は禍の門であると共に福の門でもある、芭蕉の句に『ものいへは唇寒し秋の風』といふのがある、これも要するに口は禍の門といふことを文学化したものであらうけれども、斯ういふ具合に禍の方ばかり見ては消極的になり過ぎる、極端に解釈すれば、ものを言ふことが出来ないことになる、それでは余り範囲が狭過ぎるのである。

 口舌は実に禍の起る門でもあるが、また福祉の生ずる門でもある、故に福祉の来る為には多弁敢て悪いとは言はれぬが、禍の起る所に向つては言語を慎まねばならぬ、片言隻語と雖も、決して之を妄りにせず、禍福の分る〻所を考へてするといふことは、何人に取つても忘れてはならぬ心得であらうと思ふ。

 余は動もすれば世人より誤解されて、渋沢は清濁併せ呑むの主義であるとか、正邪善悪の差別を構はぬ男であるとか評される、先頃も或者が来て真向から余に詰問し、『足下は日頃論語を以て処世上の根本主義とせられ、又論語主義を以て自ら行はれつ〻あるにも拘はらず、足下が世話される人の中には、全く足下の主義と反し、寧ろ非論語主義の者もあり、社会より指弾さる〻人物をも、足下は平然として之を近づけ、虚然として世評に関せざるが如き態度を取らる〻が、斯の如きは足下が高潔なる人格を傷くるものではあるまいか、其の真意が聞きたい』とのことであつた。

 成るほど爾う言はれて見ると、此評も或は然らんと、自ら思ひ当ることがないでもない、併しながら余は別に自己の主義とする所があつて、凡そ世事に処するに方つては、一身を立つると同時に社会の事に勤め、能ふ限り善事を殖し、世の進歩を図りたいとの意念を抱持して居る、従つて単に自己の富とか、地位とか、子孫の繁栄とかいふものは第二に置き、専ら国家社会の為に尽さんことを主意とするものである、されば人の為に謀つて善を為すことに心掛け、即ち人の能を助けて、其れを適所に用ゐたいとの念慮が多いのである、此の心掛が抑も世人から誤解を招くに至つた所以ではあるまいか。

 余が実業界の人となつて以来、接触する人も年々その数を増し、而して夫等の人々が余の行ふ所に見傚ひて、各々長ずる所に由りて事業を精励すれば、仮令其人自身は自己の利益のみを図るの目的に出るとしても、従事する業務が正しくありさへすれば、其の結果は国家社会の為になるから、余は常に之に同情し、其の目的を達しさせてやりたいと思うて居る、是は単に直接利益を計る商工業者に対しての場合のみならず、文筆に携はる人に対しても、矢張り同一主義の下に接して来た、例へば新聞雑誌等に従事して居る者が来て余に説を請ふ時にも、余が説を掲載して幾分なりとも其価値を高め得るものとすれば、自説は仮令価あるものでないと思うても、請ふ人の真実心より出たものならば之を斥けない、夫等の人々の希望を容れてやるのは、独り希望する人の為のみならず、社会の利益の一部分ともならうかと考へるので、非常に多忙の時間を割いて其の要求に応ずる次第である、自己の懐抱する主義が斯うであるから、面会を求めて来る人には必ず会うて談話する、知人と然らざるとの別なく、自分に差支なければ、必ず面会して先方の注意と希望を聞くことにして居る、それであるから来訪者の希望が道理に協つて居ること〻思ふ場合ならば、相手の何人たるを問はず、其人の希望を叶へてやる。

 然るに余が此の門戸開放主義につけ込んで、非理を要求して来る人があつて困る、例へば、見ず知らずの人から生活上の経費を貸して呉れと申込まれたり、或は親が身代不如意のため、自分は中途から学資を絶たれて困るから、今後何年間学資の補助を仰ぎたいとか、または斯く〳〵の新発明をしたから、此の事業を成立させるまで助勢を乞ふとか、甚しきに至つては、是れ〳〵の商売を始めたいから資本を入れて呉れとか、殆んど此種の手紙が月々何十通となく舞ひ込んで来る、余は其の表面に自己の宛名がある以上、必ず其れを読むの義務があると思ふので、左様いふ手紙の来る毎に、屹度目を通すことにして居る、又自ら余が家に来りて此種の希望を述べる者もあるので、余は夫等の人々にも面会するが、併し是等の希望や要求といふものには道理のないのが多いから、手紙の方は悉く自身では断り切れぬけれども、特に出向いて来た人に対しては、其の非理なる所以を説いて断るやうにして居る、余が此の行為を他人から見たならば、何もさういふ手紙を一々見たり、さういふ人に悉く会ふ必要はないと云ふであらう、けれども若し夫等に対して面会を謝絶したり、手紙を見なかつたりすることは、余が平素の主義に反する行為となる、それゆゑ自ら雑務が多くなつて、寸暇もなくなる故困るとは知りながらも、主義の為に余計な手数をもかける訳である。

 而して夫等の人の言つて来た事柄でも、又は知己から頼まれたことでも、道理に協つて居ることであれば、余は其人のため、二つには国家社会の為に自力の及ぶ程度に於て力を仮してやる、つまり道理ある所には自ら進んで世話をしてやる気になるのであるが、爾ういふことも後日になつて見ると、あの人は善くなかつた、あの事柄は見違へたといふことが無いではない、併し悪人必ずしも悪に終るものでなく、善人必ずしも善を遂げるものとも限らぬから、悪人を悪人として憎まず、出来るものなら其人を善に導いてやりたいと考へ、最初より悪人たることを知りつ〻世話し[て]やることもある。

 由来習慣とは人の平生に於ける所作が重なりて一つの固有性となるものであるから、それが自ら心にも働きにも影響を及ぼし、悪いことの習慣を多く持つものは悪人となり、良いことの習慣を多くつけて居る人は善人となると言つたやうに、遂には其人の人格にも関係して来るものである、故に何人も平素心して良習慣を養ふことは、人として世に処する上に大切なことであらう。

 また習慣は唯一人の身体にのみ附随して居るもので無く、他人に感染するもので、動もすれば人は他人の習慣を摸倣したがる、此の他に広まらんとする力は、単に善事の習慣ばかりでなく、悪事の習慣も同様であるから、大に警戒を要する次第である、言語動作の如きは、甲の習慣が乙に伝はり、乙の習慣が丙に伝はるやうな例は決して珍らしくない、著しい例証を挙ぐれば、近来新聞紙上に折々新文字が見える、一日甲の新聞に其の文字が登載されたかと思ふと、それが忽ち乙丙丁の新聞に伝載され、遂には社会一般の言語として誰しも怪しまぬことになる、彼の『ハイカラ』とか『成金』とかいふ言葉は即ち其の一例である、婦女子の言葉なども矢張左様で、近頃の女学生が頻りに『よくツてよ』とか『さうだわ』とかいふ類の言語を用ゐるのも、或種の習慣が伝播したものと云つて差支ない、また昔日は無かつた『実業』といふ文字の如きも、今日は最早習慣となり、実業といへば直ちに商工業のことを思はせるやうになつて来た、彼の『壮士』といふ文字なども、字面から見れば壮年の人でなければならぬ筈であるのに、今日では老人を指しても壮士といひ、誰一人それを怪むものなきに至つて居る、以て習慣が如何に感染性と伝播力とを持つて居るかを察知するに足るであらう、而して此の事実より推測する時は、一人の習慣は終に天下の習慣となり兼ねまじき勢であるから、習慣に対しては深い注意を払ふと共に、亦自重して貰はねばならぬのである。

 殊に習慣は少年時代が大切であらうと思ふ、記憶の方から云うても、少年時代の若い頭脳に記憶したことは、老後に至つても多く頭脳の中に明確に存して居る、余の如きも如何なる時の事をよく記憶して居るかと云へば、矢張少年時代のことで、経書でも歴史でも、少年の時に読んだことを最もよく覚えて居る、昨今いくら読んでも、其の方は読む先から皆忘れて仕舞ふ、さういふ訳であるから習慣も少年時代が最も大切で、一度習慣となつたなら、其れは固有性となつて終生変ることはない、のみならず、幼少の頃から青年期を通じては、非常に習慣の着き易い時である、それ故に此の時期を外さず良習慣をつけ、それをして固性とするやうにしたいものである、余は青年時代に家出して天下を流浪し、比較的放縦な生活をしたことが習慣となつて、後年まで悪習慣が直らなくて困つたが、日々悪い習慣を直したいとの一念から、大部分はこれを矯正することが出来た積りである、悪いと知りつ〻改められぬのは、つまり克己心の足らぬのである、余の経験によれば、習慣は老人になつても矢張重んぜねばならぬと考へる、それは青年時代の悪習慣も、老後の今日に至つて努力すれば改められるものであるから、今日の如く日に新なる世に処しては、尚更この心を持つて自重して行かねばならぬのである。

 兎角習慣は不用意の間に出来上るものであるから、大事に際しては其れを改めることが出来るのである、例へば、朝寝をする習慣の人が、常時はどうしても早起が出来ないけれども、戦争とか火事とかいふ場合に当りては、如何に寝坊でも必ず早起が出来るといふことから観ても、さう思はれるのである、然らば何故にさうなるかと云ふに、習慣は些細のことであるとして軽蔑し易いもので、日常それが吾儘に伴うて居るからである[、]左れば男女となく老若となく、心を留めて良習慣を養ふやうにしなければならぬのである。

 史乗などに見ゆる所の英雄豪傑には、兎角智情意の三者の権衡を失した者が多いやうである、乃ち意志が非常に強かつたけれども智識が足りなかつたとか、意志と智慧とは揃うて居たが、情愛に乏しかつたとかいふが如き性格は、彼等の間に幾らもあつた、斯の如きものは如何に英雄でも豪傑でも常識的の人とは謂はれない、成る程、一面から見れば非常に偉い点がある、超凡的な所がある、普通一般人の企及すべからざる点があるには相違ないが、偉き人と完き人とは大に違ふ、偉い人は人間の具有すべき一切の性格に仮令欠陥があるとしても、其の欠陥を補うて余りあるだけ他に超絶した点のある人で、完全なる人に比すれば、謂は〻゙ 変態である、夫に反して完き人は、智情意の三者が円満に具足した者、即ち常識の人である、余は勿論偉い人の輩出を希望するのであるけれども、社会の多数人に対する希望としては、寧ろ完き人の世に隈なく充たんことを欲する、詰り常識の人の多からんことを要望する次第である、偉い人の用途は無限とは云へぬが、完き人なら幾らでも必要な世の中である、社会の諸設備が今日の如く整頓し発達して居る際には、常識に富んだ人が沢山に居て働けば、それで何等の欠乏も不足もない訳で、偉い人の必要は、或る特殊の場合を除いては、これを認むることが出来ない。

 凡そ人の青年期ほど思想が一定せず、奇を好んで突飛な行動に出でんとする時代は少なからう、それも年を経るに従ひ、次第に着実になつて行くものだが、青年時代には多くの人の心は浮動して居る、然るに常識といふものはその性質が極めて平凡なものであるから、奇矯を好み突飛を好む青年時代に、此の平凡な常識を修養せよといふは、彼等の好奇心と相反する所があらう、偉い人になれと言はるれば進んでこれに賛成するが、完き人となれと云はるれば、其の多くは之を苦痛に感ずるのが彼等の通有性である、併しながら政治の理想的に行はる〻も国民の常識に竢ち、産業の発達進歩も実業家の常識に負ふ所が多いとすれば、否でも常識の修養に熱中しなければならぬでは無いか、況んや社会の実際に徴するに、政治界でも、実業界でも、深奥なる学識といふよりは、寧ろ健全なる常識ある人に依つて支配されて居るを見れば、常識の偉大なることは言ふまでもないのである。

 世間には冷酷無情にして聊かも誠意なく、其の行動の常に奇矯不真面目なものが却つて社会の信用を受け、成功の栄冠を戴き居るに、之に反して至極真面目にして誠意篤く謂ゆる忠恕の道に契つたものが却つて世に疎ぜられ落伍者となる場合が幾らもある、天道は果して是か非か、此の矛盾を研究するのは誠に興味ある問題である。

 惟ふに人の行為の善悪は、其の志と所作と相竢つて較量せねばなるまい、志が如何に真面目で忠恕の道に契つて居ても、其の所作が遅鈍であるとか、放僻邪肆では何にもならぬ、志に於ては飽くまで人の為になれかしと思うて居ても、其の所作が人の害となるやうでは善行と謂はれぬ、昔の小学読本に、『親切の却つて不親切になりし話』と題して、雛が孵化せんとして卵の殻から離れずに困つて居るのを見て、親切な子供が殻を剝いてやつた所が、却つて死んで了つたといふ話があるが、孟子にも之と同じやうな例が沢山あつたやうに記憶する、文句は一々覚えて居ないが、人の為を計ると云つても、其の室に闖入して其の戸を破る、之をしも忍ぶかと云つたやうな意味や、それから梁の恵王が政事を問ふた時に、『庖に肥肉あり、厩に肥馬あり、民に饑色あり、野に餓莩あり、これ獣を率ゐて人を食ましむるもの也』と曰つて、刃を以て人を殺すも、政事を以て人を殺すも、同じだと断定して居る、それから告子と不動心説を論じた所に、『心に得ずとも気に求むること勿れとは可なれども、言に得ずも心に求むること勿れとは不可なり、夫れ志は気の帥なり、気は体の充てるなり、夫れ志は至れり、気は次ぐ、故に曰く、其の志を持して其の気を暴ふこと無かれ』とある、これは志は即ち心の本で、気は心の所作となつて現はれる末である、志は善で忠恕の道に契つて居ても、出来心と云つて偶と志に適はぬことをすることが往々ある、だから其の本心を持して出来心たる気を暴はぬやう、即ち所作に間違のないやうに不動心術の修養が肝要である、孟子自身は浩然之気を養うて此の修養に資したが、凡人は兎角所作に間違を来し易い、孟子は其の例として『宋人有閔其苗之不長而揠之者、芒芒然帰、謂其人曰、今日病矣、予助苗長矣、其子趨而往視之、苗則槁矣云々』と、大いに告子を罵倒して居る、苗を長ぜしめるには水の加減、肥料の加減、草を芟除することに由らなければならぬのに、之を引き抜いて長ぜしめやうとするのは如何にも乱暴である、孟子の不動心術の可否は兎に角、世間往々苗を助けて長ぜしむるの行為あることは争はれぬ事実である、苗を長ぜしめた、いといふ其の志は誠に善であるが、之を抜くといふ所作が悪である、此の意味を拡充して考へると、志が如何に善良で忠恕の道に適つて居ても、其の所作が之に伴はなければ、世の信用を受けることが出来ぬ訳である。

 之に反して、志が多少曲つて居ても、其の所作が機敏で忠実で、人の信用を得るに足るものがあれば、其人は成功する、行為の本である志が曲つて居ても所作が正しいといふ理窟は、厳格に言へば有らう筈はないが、聖人も欺くに道を以てすれば与し易きが如く、実社会に於ても人の心の善悪よりは、其の所作の善悪に重きを措くが故に、それと同時に心の善悪よりも行為の善悪の方が判別し易きが故に、どうしても所作の敏活にして善なる者の方が信用され易い、例へば将軍吉宗公が巡視された時、親孝行の者が老母を背負て拝観に出て褒美を貰ふた、所が、平素不良の一無頼漢が之を聞いて、それでは俺も一つ褒美を貰うてやらうと、他人の老婆を借りて背負うて拝観に出かけた、吉宗公が之に褒美を下さると、側役人から彼は褒美を貰はん為の偽孝行であると故障を申立てた、すると吉宗公は、イヤ真似は結構であると篤く労はられたといふことである、又孟子の言に、『西子も不潔を蒙らば、則ち人皆鼻を掩うて之を過ぐ』といふのがある、如何に傾国の美人と雖も、汚穢を蒙つて居ては、誰とて側へ寄る人はなからう、それと同時に、内心如夜叉でも嫋々婀娜として居れば、知らず識らず迷ふのが人情である、だから志の善悪よりは所作の善悪が人の眼に着き易い、従つて巧言令色が世に時めき、諫言は耳に逆ひ、兎もすれば忠恕の志ある真面目な人が貶黜せられて天道是か非かの嘆声を洩すに引きかへ、わるがしこい人前の上手な人が比較的成功し信用さる〻場合のある所以である。

 凡そ人の世に立つに就て最も肝要なるものは、智慧を増して行かねばならぬ、総て一身の発達、国家の公益を図るにも、智識といふものが無ければ進んで行くことは出来ぬけれども、併しそれ以上に人は人格といふものを養つて行かなくてはならぬ、謂ゆる人格の修養、これは極めて大切なことだらうと思ふ、但し人格といふ定義は如何に論断せらる〻か知らないが、稀には少しは非常識ともいふべき英雄豪傑に人格崇高な人があるから、果して人格と常識が必ず一致するものであらうか如何か、人が完全に役に立ち、公にも私にも、必要にして謂ゆる真才真智といふのは、多くは常識の発達にあるというても誤りないと思ふのである。

 而してその常識の発達に就ては、第一に必要なるは己れの境遇に注意するに在る、故に之を文字にて示さうものなら、『人は自己の境遇に能く注意をせねばならぬ』といふことにならうと思ふ、此の文字は或は適当でないかも知らぬが――私は西洋の格言などは余り知らぬから、常に東洋の経書に就てのみ例を引くが、論語に自己の境遇に就て注意を篤くすることを教へた例が、或は大きい場合、或は小さい場合に数多く見える、故に大聖人の孔子でも、やはり自己の境遇に適することを勉めた、又他に対しても其の境遇に不適当なる時は、必ずそれに賛同を与へぬ、一例を言へば、孔子が『道が行はれぬから桴に乗つて海に浮ばう、我に従ふものは其れ由か』と子路を促した、『子路これを聞いて喜ぶ[』]、是は孔子がチヨツと意地の悪いやうなことで、自分が問を掛けたのだから、子路が喜んだらう、自分も等しく喜びさうなものであるが、子路の喜ぶ程合が、自己の境遇を能く知悉しなかつたものと見えて、『由や勇を好む我に過ぎたり、材を取る所なし』と、却つて反対に戒めた、桴に乗つて海に浮ばうと言はれた時に、子路が喜んだのであるが、若し子路が能く吾が境遇を顧み知つたならば、『サア左様でもございませうけれども、それに就ては海に浮ぶだけの材は、どうしたら宜うございませう』と答へたら、孔子が初めて我が意を得たりとして、それならば朝鮮へ行かうとか、日本へ行かうとか言はれたかも知れぬ、又或時孔子が二三の弟子に志を言へと促した時に、最初に子路が意見を述べた、若し自己をして国を治めしむるならば、忽ちの間に一国を治平たらしむることが出来ると、卒爾として答へた、スルト孔子は笑つた、続で銘々志を陳べて、最後に曾点といふ人が瑟を鼓して居たのを、孔子が汝も何か言はぬかと促した、然るに曾点は、私の考は他の人と違ひますと答へたら、孔子は違つても宜いから言へと求めた時に、曾点は『莫春には春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、泝[沂]に浴し舞雩に風し、詠じて而して帰らん』と言つた、そこで孔子は喟然として歎じて曰く、『吾は点に与せん』と、弟子が去つた後に曾晳といふ人が孔子に尋ねて、何故に最初子路の答をお笑になつたか、孔子曰く『国を為むるに礼を以てす、其の言譲らず、是の故に之を哂ふ』と、一国を治むるには第一に礼儀を重んぜねばならぬ、然るに自身が勇にいさむからでもあらうが、卒爾に斯くすれば宜しうござると答へたるに依つて、其の言譲らず、故に之を哂ふと言はれた、蓋し子路が吾が位地を分別せぬ所を哂はれたやうに見える、併しながら或時は孔子は極めて自負したやうな言葉もある、例へは桓魋が孔子を殺さうとした時に、門人が恐怖したら、『天徳を予に生ず、桓魋それ予を如何』と、即ち境遇に安んじて平気で居られた、また或時孔子が宋に往つて、帰途に大勢から囲まれ、殆んど危害を受けさうになつた、此時にも門人が憂へたら、孔子が曰はれるに、『天の将に斯文を喪さんとするや、後死の者斯文に与かるを得ざるなり、天の斯文を喪さ〻゙ るや、宋人それ予を如何』と云つて、泰然として一身の危害を少しも憂へなかつた、また或る場合には『大廟に入つては、事ごとに問ふ』、或人これを怪みて、鄹人の子は礼を知つてると云ふが、大廟に入ると総ての事を煩さい程尋ねる、あれでは礼を知つてるのでは無からうと言つたら、孔子は答へて曰く『是れ礼なり』、それが即ち礼を知つてるのだと言はれた、誠に自身の境遇位地をよく知つて、道理正しく活用するのが即ち孔子の大聖人となり得る唯一の修養法であつたやうに見える、して見ると孔子の如き人でも、場合に依つて細事たりとも常に注意を怠らぬ、それが即ち聖人に成り得る所以である、故にお互に皆孔子の如き大聖人になるといふことは不可能か知らぬけれども、我が境遇位地を是れ誤らぬだけのことが出来るならば、少くとも通常人以上になり得ることは難くないだらうと思ふ、然るに世間は此の反対に走るもので、チヨツと調子が宜いと、直ぐに我が境遇を忘れて分量不相応の考も出す、又或る困難の事に遭遇すると、我が位地を失して打萎れて了ふ、即ち幸に驕り災に哀むのが凡庸人の常である。

 私は志の曲つた軽薄才子は嫌ひである、如何に所作が巧みでも、誠意のない人は与に伍するを懌ばないが、併し神ならぬ身には人の志まで見抜くといふことは容易でないから、自然志の良否は兎に角、所作の巧みな人間に利用されぬとも限らぬのである、彼の陽明説の如きは、知行合一とか良知良能とか云つて、志に思ふことが其れ自身行為に現はれるのであるから、志が善ならば行為も善、行為が悪ならば志も悪でなければならぬが、私共素人考へでは、志が善でも所作が悪になることもあり、又所作が善でも志が悪なることもあるやうに思はれる、私は西洋の倫理学や哲学といふやうなことは少しも知らぬ、唯四書や宋儒の学説に由つて、多少性論や処世の道を研究しただけであるが、私の如上の意見に対して、期せずしてパウルゼンの倫理説と合一するといふものがある、其人の言ふには、英国のミユアヘツドといふ倫理学者は、動機さへ善ならば、結果は悪でも可いといふ、謂ゆる動機説で、其の例として、クロムウエルが英国の危機を救はんが為に、暗愚の君を弑し、自ら皇帝の位に上つたのは、倫理上悪でないと云つて居るが、今日最も真理として歓迎せらる〻パウルゼンの説では、動機と結果即ち志と所作の分量性質を仔細に較量して見なければならぬといふ、例へば、均しく国の為といふ戦の中にも、領土拡張の戦もあれば、国家存亡上止むを得ぬ戦もある、主権者としては均しく国家国民の為に計つたとは云へ、必ずしも領土拡張の必要もないのに、其の開戦の時機を誤つたとすれば、其の主権者の行為は悪である、けれども其の無謀の開戦も時宜に適して連戦連勝、大に国を富まし民を啓くの基をなしたといふ場合には、其の行為は善と言はねばならぬ、前例のクロムウエルの場合にも、幸に英国の危機を救ひ得たから善いが、若し志ばかり熱烈であつても、最後に国を危くするやうな結果を招いたとすれば、矢張り悪行為と判断されねばならぬ。

 私はパウルゼンの説が果して真理か何うかは解らぬが、単に志が善ならば其の所作も善だといふミユアヘツドの説よりも、其の志と所作とを較量した上に善悪を定めるといふ説の方が確かなやうに思はれる。

 私が常に客を引見して質問に応へることを自分の義務として居るだけ、叮嚀にすると、又頼まれたから止むを得ぬと厭々ながらするのでは、同一の事柄でも其の志が非常に異なる、之と同時に同一の志でも、其の時と所に由つて大に事柄を異にする事もある、詰り土地に肥瘠あり時候に寒暖ある如く、吾人の思想感情も異なつて居るから、同一の志を以て向つても対者に由つて其の結果を異にするのである、だから人の行為の善悪を判断するには、よく其の志と所作の分量性質を参酌して考へねばならぬのである[。]

 予は本年(大正二年)最早七十四歳の老人である、それゆゑ数年来成るべく雑務を避ける方針を取つて居るが、但し全然閑散の身となることが出来ず、まだ自分の立てた銀行だけは依然、其の世話をして居るといふ次第で、老ても矢張り活動して居るのである、凡て人は老年となく青年となく、勉強の心を失つて終へば、其人は到底進歩発達するものではない、同時に夫等の不勉強なる国民によつて営まる〻国家は、到底繁栄発達するものではない、予は平生自ら勉強家の積りで居るが、実際一日と雖も職務を怠るといふことをせぬ、毎朝七時少し前に起床して、来訪者に面会するやうに努めて居る、如何に多数でも時間の許す限り、大抵は面会することにして居る。

 予の如き七十歳以上の老境に入つても、尚且つ此の如く怠ることをせぬのであるから、若い人々は大に勉強して貰はねばならぬ、怠惰は何所までも怠惰に終るものであつて、決して怠惰から好結果が生れることは断じてない、乃ち坐つて居れば立ち働くより楽なやうであるが、久しきに亘ると膝が痛んで来る、それで寝転ぶと楽であらうと思ふが、これも久しきに亘ると腰が痛み出す、怠惰の結果は矢張り怠惰で、それが益々甚しくなる位が落である、故に人は良き習慣を造らねばならぬ、即ち勤務努力の習慣をうるやうにせねばならぬ。

 世人は能く知力を進めねばならぬとか、時勢を解せねばならぬとか云ふが、成る程これは必要なことで、時を知り事を撰む上には、智力を進めること、即ち学問を修むる必要がある、とは言ふもの〻、智力如何に十分であつても、之を働らかさねば何の役にも立たない、そこで之を働かせるといふことは、即ち勉強して之を行ふことであつて、此の勉強が伴はぬと、百千の智も何等活用をなさぬ、而して其の勉強も、只一時の勉強では十分でない、終身勉強して始めて満足するものである、凡そ勉強心の強い国ほど国力が発展して居る、之に反して、怠惰国ほど其国は衰弱して居る、現に我が隣国支那などは、謂ゆる不勉強の好適例である、故に一人勉強して一郷その美風に薫じ、一郷勉強して一国その美風に化し、一国勉強して天下靡然として之に倣ふといふやうに、各自は啻に一人の為のみでなく、一郷一国乃至天下の為に、十分勉強の心懸が大切である。

 人の世に成功するの要素として、智の必要なること、即ち学問の必要なることは勿論であるが、それのみを以て直ちに成功し得るものと思ふは大なる誤解である、論語に『子路曰く、民人あり、社稷あり、何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学ぶと為ん』とある、これは孔子の門人の子路の言である、すると孔子は『是の故に夫の佞者を悪む』と答へられた、此意は『口ばかりで、事実行はれなくては駄目である』といふことである、予は此の子路の言を善しと思つて居る、左れば机上の読書のみを学問と思ふのは甚だ不可のことである。

 要するに、事は平生にある、之を例すると医師と病人との関係の如きものである、平常衛生のことに注意を怠つて居て、イザ病気といふ時に医家の門に駈けつけるといふやうなもので、医者は病人を治すが職務であるから、何時でも治して呉れると思うては大違ひである、医家は必ず平常の衛生を勧めるに相違ない、故に予は凡ての人に、不断の勉強を望むと同時に、事物に対する平生の注意を怠らぬやうに心掛くることを説きたいと思ふのである。

 凡そ事物に対し『斯くせよ』『斯くするな』といふが如き正邪曲直の明瞭なる者は、直ちに常識的判断を下し得るが、場合に依つてはそれも出来かねることがある、例へば、道理を楯にして言葉巧みに勧められでもすると、思はず知らず、平生自己の主義主張とする所よりも反対の方向に踏み入らざるを得ないやうになつて行くものである、斯の如きは無意識の中に自己の本心を滅却されて仕舞ふこと〻なるのであるが、左様の場合に際会しても、頭脳を冷静にして何所までも自己を忘れぬやうに注意することが、意志の鍛錬の要務である、若し左様いふ場合に遭遇したなら、先方の言葉に対し、常識に訴へて自問自答して見るが宜い、その結果、先方の言葉に従へば一時は利益に向ひ得らる〻が、後日に不利益が起つて来るとか、或は此の事柄に対して斯う処断すれば、目前は不利でも将来の為になるとか、明瞭に意識されるものである、若し目前の出来事に対し、斯の如き自省が出来たらば、自己の本心に立ち帰るは頗る容易なることで、従つて正に就き邪に遠ざかることが出来る、余は此の如き手段方法が即ち意志の鍛錬であると思ふのである。

 一口に意志の鍛錬といふもの〻、それには善悪の二者がある、例へば、石川五右衛門の如きは悪い意志の鍛錬を経たもので、悪事にかけては頗る意志の鞏固な男であつたと云つて差支ない、けれども意志の鍛錬が人生に必要だからとて、何も悪い意志を鍛錬するの必要はないので、自分も亦それに就て説を立てる訳ではないが、常識的判断を誤つた鍛錬の仕方をやれば、悪くすると石川五右衛門を出さぬとも限らない、それゆゑ意志鍛錬の目標は、先づ常識に問ふて然る後事を行ふが肝要である、斯うして鍛錬した心を以て事に臨み人に接するならば、処世上過誤なきものと謂つて宜しからうと思ふ。

 斯く論じ来れば、意志の鍛錬には常識が必要であるといふ事になつて来るが、常識の養成に就ては別に詳説してあるから茲には省くとしても、矢張その根本は孝悌忠信の思想に拠らなければならぬ、忠と孝と此の二者より組立てたる意志を以て、何事も順序よく進ませるやうにし、また何事によらず、沈思黙考して決断するならば、意志の鍛錬に於て間然する所はないと信ずる、併しながら事件は沈思黙考の余地ある場合にのみ起るものでない、唐突に湧起したり、左なくとも人と接した場合なぞに、その場で何とか応答の辞を吐かねばならぬことが幾らもある、左様いふ機会には余り熟慮して居る時間がないから、即座に機宜を得た答をしなければ為らぬが、平素鍛錬を怠つた者には、其の場に適当な決定をすることが一寸出来難い、従つて勢ひ本心に反したやうな結末を見なければならぬ、故に何事も平素に於て能く鍛錬を重ねるならば、遂には其れが其人の習慣性となりて何事に対しても動ずる色なきを得るに至るであらう。

  • 子曰く、徳の脩めざる、学の講ぜざる、義を聞きて徙に能はざる、不善を改むる能はざる、是れ吾の憂なり。

    論語

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.96-138

サイト掲載日:2024年09月17日