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◎一生涯に歩むべき道

 余は十七歳の時武士になりたいとの志を立てた、と言ふものは其頃の実業家は一途に百姓町人と卑下されて、世の中からは殆んど人間以下の取扱を受け、謂ゆる歯牙にも掛けられぬといふ有様であつた、而して家柄といふものが無闇に重んぜられ、武門に生れさへすれば智能のない人間でも、社会の上位を占めて恣に権勢を張ることが出来たのであるが、余は抑もこれが甚だ癪に障り、同く人間と生れ出た甲斐には、何が何でも武士にならなくては駄目であると考へた、其頃余は少しく漢学を修めて居たのであつたが、日本外史などを読むにつけ、政権が朝廷から武門に移つた径路を審かにするやうになつてからは、其所に慷慨の気といふやうな分子も生じて、百姓町人として終るのが如何にも情なく感ぜられ、愈〻武士にならうといふ念を一層強めた、而して其の目的も武士になつて見たいといふ位の単純のものでは無かつた、武士となると同時に、当時の政体を何うにか動かすことは出来ないものであらうか、今日の言葉を借りて云へば、政治家として国政に参与して見たいといふ大望を抱いたのであつたが、抑もこれが郷里を離れて四方を流浪するといふ間違を仕出来した原因であつた、斯くて後年大蔵省に出仕するまでの十数年間といふものは、余が今日の位置から見れば、殆んど無意味に空費したやうなものであつたから、今この事を追憶するだに尚ほ痛恨に堪へぬ次第である。

 自白すれば、余の志は青年期に於て屡次動いた、最後に実業界に身を立てやうと志したのが漸く明治四五年の頃のことで、今日より追想すれば此時が余に取つて真の立志であつたと思ふ、元来自己の性質才能から考へて見ても、政界に身を投じやう抔とは、寧ろ短所に向つて突進するやうなものだと、此時漸く気がついたのであつたが、それと同時に感じたことは、欧米諸邦が当時の如き隆昌を致したのは、全く商工業の発達して居る所以である、日本も現状のま〻を維持するだけでは、何時の世か彼等と比肩し得るの時代が来やう、国家の為に商工業の発達を図りたい、といふ考が起つて、爰に始めて実業界の人とならうとの決心が着いたのであつた、而して此時の立志が後の四十余年を一貫して変ぜずに来たのであるから、余に取つての真の立志は此時であつたのだ。

 蓋ふにそれ以前の立志は、自分の才能に不相応な、身の程を知らぬ立志であつたから、屡次変動を余儀なくされたに相違ない、それと同時に其後の立志が、四十余年を通じて不変のものであつた所から見れば、是れこそ真に自分の素質にも協ひ、才能にも応じた立志であつたことが窺ひ知られるのである、併しながら若し自分に己を知るの明があつて、十五六歳の頃から本当の志が立ち、初めから商工業に向つて行つて居たならば、後年実業界に蹈込んだ三十歳頃までには、十四五年の長日月があつたのであるから、その間には商工業に関する素養も十分に積むことが出来たに相違なからう、仮りに爾うであつたとすれば、或は実業界に於ける現在の渋沢以上の渋沢を見出されるやうになつたかも知れない、けれども惜いかな、青年時代の客気に誤られて、肝腎の修養期を全く方角違ひの仕事に徒費して了つた、これにつけても将に志を立てんとする青年は、宜しく前車の覆轍を以て後車の戒めとするが宜いと思ふ。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.92-95

出典:立志の工夫(『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.305-312)

サイト掲載日:2024年11月01日