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◎金力悪用の実例

 概して御用商人といへば、兎角世間では何か罪悪を含み居るもの〻如く、悪感情を以て迎へ、あれは御用商人であるといふ、其語には厭な響を持つて居る、私共も御用商人と指し呼ばれたらば、甚だ心持が善くない、即ち御用商人といへば、金の力を以て権勢に媚びる者、而して廉潔実直の事のみをして居られぬ性質の業体の者だといふやうに一般の人に見做されて居るのは甚だ心外なことである、併しながら海外の其の道の者でも、又内地の其の道の者でも、私共の見る所では皆相当の資力ある人であつて、能く道理を弁へて居る、面目を重んじ信用を大切にする、斯様に自ら省みる底の人であれば、必ず是非善悪の判断に迷はぬ訳であるから、少々官府の人から如何はしい申出でがあつたからとて、オイソレと直ぐに応諾は為さないかと思はれる、或は取扱上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、極く軽微な何等かのことはあるかも知れないけれども、曩に発現した海軍収賄事件のやうな大仕掛の罪悪は、苟くも双方悪い考が一致しなければ出来ぬ筈である、よし一方から賄賂を贈つて来ても、一方が是を受けぬと云へば仕方がない、又役人に不心得な者があつて、婉曲に或は露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思ふ者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である、已むを得ずば其の取引を断つても、そんな罪悪は成立せぬやうにすることが出来る筈である、私共は爾かあるべきものと確く信じて居る。

 然るに海軍収賄事件の事実に徴するに、軍艦であるとか、軍需品であるとか、其の納入に就て贈賄が行はれたといふのである、又単り「シーメンス」会社にのみ其様な事があつたと云ふのでは無い、凡そ主なる物品の買上げには、殆んど贈賄行為が伴うて居るといふことである、海軍のみならず、陸軍にも亦その事が多く行はれて居るといふことである、甚しきは其の買上げられた品物が、表面の価格よりは実質が頗る劣つて、何所かに完備を欠いてる所の脆弱のものである、と云ふやうな疑惑を蒙むるは何事であるか、実に慨はしい次第ではないか、大学に『一人貪戻なれば、一国乱を作す』といふ語がある、是は何も貪欲とか収賄とかいふことを意味してるのでは無いが、収賄貪慾といふ底の人の些細な私曲から、延いては天下を聳動するやうな大事に立ち至るといふことは、実に恐ろしい事と謂はねばならぬ。

 以前私は斯様な不正な贈賄をなす実業家は、海外には有りもしやうが、我が日本にはあるまいと思つて居たが、苟くも海外のそれに紛らはしい者が我が実業家中にもあると云ふのでは、甚だ以て遺憾に堪へない、それかあらぬか遂に三井会社の人までも、其の嫌疑の下に検挙されたのは、甚だ以て痛心の至りである、畢竟斯様な事件の発生するのも、仁義道徳と生産殖利を別々に考へて取扱ふからであらうと思はれる、苟も生産殖利は正しき道に依つて経営すべきものであるとの観念が、我々お互に実業者間の信条となつて居るならば、外国の人は兎に角、日本の実業家中に其様な不正を働く者のないことを誇り得るでもあらう、縦や相手方の人が貪慾心に駆られ、内々これ〳〵のことをした、乃公の労に酬いろといふやうな、顔色を示したり、甚しきは露骨に口に出して其様な申出でをなすやうな場合にも、其れは正義に背く行為であるから、私には出来ぬと云つて、キッパリ断る位の覚悟を以て商売をしたならば、必ず其様な誘導の起るものではない、是に於て私は益々実業家の人格を高めることの必要を痛切に感ずるのである、実業界に不正の行為が跡を絶たぬやうでは、国家の安全を期することが出来ないと云ふまでに、深く私は憂へて居る。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.163-167

出典:海軍収賄事件に就て(『竜門雑誌』第311号(竜門社, 1914.04)p.21-26)

サイト掲載日:2024年11月01日