テキストで読む
乃木大将の殉死に就て世間の論ずる所を観るに、或説の如きは、殉死に就ては多少非難なきに非ざれど、乃木大将にして始めて可なり、他人之に倣ふべきに非ずと論ずるもあり、又は絶対に感歎すべき武士的行為にして、実に世の中を聳動せしめたる天晴の最期とて、限りなき崇敬の心を以て論評するもありて、殆んど当時の新聞雑誌が其事に就て塡められた程であるから、大将の行為は現社会に大なる影響を与へたと言ひ得るだらうと思ふ。
私の観る所も略ぼ後者と同様なれども、乃木大将が末期に於ける教訓が尊いといふよりは、寧ろ生前の行為こそ真に崇敬すべきものありと思ふ、換言すれば、大正元年九月十三日までの乃木大将の行為が純潔で優秀であるから、其の一死が青天の霹靂の如く世間に厳しい感想を与へたのである、大将の殉死が如何なる動機から起つたに致せ、唯その一死だけが斯の如く世間に劇しい影響を与へたのでは無からう、故に私は前に述べた点に就て少しく意見を敷衍して見ようと思ふ、但し私は乃木大将とは親しみが厚くなかつたから、其の性行を審かに知らぬけれども、殉死後各方面の評論から観察すると、実に忠誠無二の人である、廉潔の人である、其の一心は唯奉公の念に満たされた人である、而して事に処して常に精神を是に集注して苟くもせぬ人であるといふことは、総ての行為に於て察知し得らる〻のである。
殊に軍務的行動に就ては、何物をも犠牲にして君の為め国の為めに尽すといふ精神に富まれたことは、現に二人の令息が日露戦役にて前後討死された時にも、将軍は君国の為に堅忍其の情を撓めて、涙一滴も人に見せなかつた一事に徴しても明かである。
全体将軍は青年の頃より、軍人としては事毎に長上の命令に服従して、水火の中をも辞せぬといふ堅実なる服従気性を持つて居られたと同時に、事の是非善悪に就ての議論には、些かも権勢に屈せぬといふ凜乎たる意考を持つて居られたやうに見受けられる、それかあらぬか、或る場合に先輩の意見に忤つて休職になつた抔といふことは、蓋し其の鞏固の意志に原因せしものと想像される、左らば至つて褊狭な過激な唯感情的の人かと思ふと、其間に靄然たる君子の風ありて、或は諧謔を以て、或は温乎たる言動を以て、人を懐けられ、自己が率ゐた兵隊抔に対しても其れこそ心から其人の痛苦を恕察し、又その戦死に就ては、故郷の父母妻子に対して深く哀情を添へて居られた、昔時軍人の美談として世に伝へられて居る呉起が、其の部下の兵士の創の膿を吸うて癒してやつた時に、其の武士は大に喜びて、この創が癒えたらば将軍の為に戦場で命を棄てねばならぬと云つて感じた、すると其母の言ふには、人情左もあるべき事であるが、汝の兄も其通りにして終に討死したとて歎いたといふ話がある、呉起が兵士の膿を吸ふたのは衷心から出たのか、或は一の術数でありはせぬかと、其の母は疑うて歎いたのではあるまいかと思ふ、然るに乃木将軍に至つては、全く天真爛漫たる衷情から兵士を犒らはれたのである、単に軍隊に居られる時のみ然るに非ずして、学習院に院長として居られた時にも、掬するばかりの情愛が総ての方面に現はれて居る、左らば其の平生は如何にやといふと、独り武ばかりを誇りとする人に非ずして、文雅にも富まれて居る、如何に忠誠の人でも唯武骨一片で、花を見ても面白くない月を見ても感じないといふ人は困る、『強いばかりが武夫か』といふことは物の本にもあり、彼の薩摩守忠度が、討死の際に和歌の詠艸を懐中せられたとか、或は八幡太郎義家が、勿来関の詠歌の如き一の美談としてある、昔時の武士が武勇と文雅とを兼ね備へたのは、実に奥床しい感がする、然るに乃木将軍は詩歌の道にも長けて、而かも高尚な意味を平易の言葉で述べることが誠に巧みであつた、彼の二百三高地に於ける絶句の如き、或は又故郷に帰つて故老に会ふのが心苦しいといふ詩の如き、又は辞世の歌の如き、孰れも真情流露、少しも巧みを弄せず極く滑かに詠まれて居る。
斯の如く奉公の念に強い所から、不幸にも先帝の崩御に際して、最早此世に生き甲斐がないと思はれたのであらう、固より将来の軍事に就ても、学習院の事務に就ても、また当時英吉利の皇族に対する接伴のことも、種々関心の事はありしならむも、併し軽重之に代へ難いといふ所から、忍び難きを忍びて殉死と決して、さてこそ其事が発露したればこそ、将軍の心事が世間に顕はれて、実に世界を聳動したのである、故に私は思ふ、唯その一命を棄てたのが偉いのでは無くして、六十余歳までの総ての行動、総ての思想が偉かつたといふことを頌讃せねば為らぬ。
兎角世の中の青年は、人の結末だけを見て之を欽羨し、其の結末を得る原因が何れほどであつたかと云ふことに見到らぬ弊が多くてならぬ、或人は栄達したとか、或人は富を得たとか云つて羨望するけれども、其の栄達若しくは其の富を得るまでの勤勉は容易ならぬ、智識は勿論、力行とか忍耐とか、常人の及ばざる刻苦経営の結果であるに相違ない、其の智識其の力行、其の忍耐といふものに想ひ到らないで、只その結果だけを見て之を羨望するのは甚だ謂れないことである、乃木大将に対するも、唯その壮烈の一死のみを感歎して、其の人格と操行とに想到せぬのは、恰かも人の富貴栄達を見て、徒らに其の結果を羨望すると同様になりはせぬか、故に私は将軍に対して、殉死其物を軽視するといふ意味ではないけれども、斯の如く天下を感動せしめたる所以のものは、壮烈無比なる殉死にありと謂はんよりは、寧ろ将軍の平生の心事、平生の行状が之をして然らしめたものなりと解釈するのである。
底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.259-265
出典:聖代看斯壮烈人(『竜門雑誌』第293号(竜門社, 1912.10)p.11-14)
サイト掲載日:2024年11月01日