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◎君子の争ひたれ

 私も絶対に争ひをせぬ人間であるかのやうに解せらる〻人も、世間に少なからぬやうに見受けるが、私は勿論、好んで他人と争ふことこそせざれ、全く争ひをせぬといふではない、苟くも正しい道を飽くまで進んで行かうとすれば、絶対に争ひを避けることは出来ぬものである、絶対に争ひを避けて世の中を渡らうとすれば、善が悪に勝たれるやうなことになり、正義が行はれぬやうになつて了ふ、私は不肖ながら、正しい道に立つて尚ほ悪と争はず、之に道を譲るほどに、謂ゆる円満な腑甲斐のない人間でない積りである、人間には如何に円くとも、何所かに角が無ければならぬもので、古歌にもある如く、余り円いと却つて転び易いことになる。

 私は世間で覧らる〻程に、決して謂ゆる円満の人間ではない、一見謂ゆる円満のやうでも、実際は何所かに謂ゆる円満でない所があらうと思ふ、若い時分には固より爾うであつたが、七十の坂を越した今日と雖も、私の信ずる所を動かし之を覆へさうとする者が現はるれば、私は断々乎として其人と争ふことを辞せぬのである、私が信じて自ら正しいとする所は、如何なる場合に於ても決して他に譲ることをせぬ、此所が私の謂ゆる円満でない所だと思ふ、人には老いたると若いとの別なく、誰にでも是れだけの不円満な所が是非あつて欲しいものである、然らざれば人の一生も全く生甲斐のない無意味なものになつて了ふ、如何に人の品性は円満に発達せねばならぬものであるからとて、余りに円満になり過ぎると、過ぎたるは猶ほ及ばざるが如しと、論語の先進篇にも孔夫子が説かれて居る通りで、人として全く品位のないものになる。

 私が絶対に謂ゆる円満な人間でない、相応に角もあり、円満ならざる甚だ不円満な所もある人物たることを証明するに足る……証明といふ語を用ゐるも少し異様だが……実際を一寸談して見やうかと思ふ、私は勿論、少壮の頃より腕力に訴へて他人と争ふ如きことをした覚えはない、併し若い時分には今日と違つて、容貌などにも余程強情らしい所もあつたもので、随つて他人の眼からは今日よりも容易に争ひをしさうに見えたものかも知れぬ、尤も私の争は、若い時分から、総て議論の上、権利の上での争ひで腕力に流れた経験は未だ曾て一度もない。

 明治四年私が恰度三十三歳で大蔵省に奉職し、総務局長を勤めて居た頃であつたが、大蔵省の出納制度に一大改革を施し改正法なるものを布いて、西洋式の簿記法を採用し伝票によつて金銭を出納することにした、所が、当時の出納局長であつた人が‥‥その姓名は且らく預り置くが‥‥この改正法に反対の意見を持つて居たのである、伝票制度の実施に当つて偶〻過失のあることを私が発見したので、当事者に対して之を責めてやると、元来私が発案実施した改正法に反対の意見を持つて居た出納局長といふ男が、傲岸な権幕で、一日私の執務して居た総務局長室に押しかけて来たのである。

 その出納局長が怒気を含んだ権幕で私に詰め寄るのを見て、私は静に其男の曰はんとする所を聴きとる積りで居ると、その男は伝票制度の実施に当つて手違ひをしたこと抔に就ては、一言の謝罪もせず、切りに私が改正法を布いて欧洲式の簿記法を採用したことに就てのみ、彼是と不平を並べるのであつた、一体貴公が亜米利加に心酔して、一から十まで彼国の真似ばかりしたがり、改正法なんかといふものを発案して簿記法によつて出納を行はせやうとするから、斯んな過失が出来るのである、責任は過失をした当事者よりも、改正法を発案した貴公の方にある、簿記法などを採用して呉れさへせねば、我儕も斯んな過失をして、貴公などに責付けられずに済んだのである、などと言語道断の暴言を恣にし、些かたりとも自分等の非を省みる様な模様がないので、私も其の非理屈には稍驚いたが尚ほ憤らず、出納の正確を期せんとするには、是非とも欧洲式簿記法により、伝票を使用する必要あることを諄々と説いて聞かせたのである、併しその出納局長なる男は、毫も私の言に耳を仮さぬのみか、二言三言言ひ争つた末、満面は恰かも朱を注げる如く紅くなつて、直ちに拳固を揮上げ、私を目蒐けて打つて掛つて来たのである。

 その男は小背の私に比べれば、身長の高い方であつたが、怒気心頭に発し、足がふらついて居た上に余り強さうにも見えず、私は兎に角、青年時代に於て相当に武芸も仕込まれ身を鍛へて居つたことでもあるから、強ち膂力が無いといふ訳でもなかつた、苟めにも暴行に訴へて無礼をしたら、一ト捻りに捻つてやるのは何でもないことだとは思つたが、その男が椅子から立ち上つて、拳を握り腕をあげ、阿修羅の如くになつて猛けり狂ひ私に詰めかけて来るのを見るや、私も直ぐ椅子を離れてヒラリ身を換はし、全く神色自若として二三歩ばかり椅子を前に控へて後部に退き、その男が拳の持つて行き所に困り、マゴ〳〵して𨻶を生じたのを見て取るや、𨻶さず泰然たる態度で、『此所は御役所でござるぞ、何んと心得召さる、車夫馬丁の真似をすることは許しませんぞ、御慎みなさい』と一喝したものだから、その出納局長もハツト悪いことをした、田夫野人の真似をしたといふことに気がついたものか、折角握り挙げた拳を引つ込めて、そのま〻スゴスゴと私の居つた総務局長室を出て行つて仕舞つたのである。

 其後その男の進退に関し種々と申出る者もあり、又官庁内で上官に対し暴力を揮はんとしたは怪しからん抔と騒ぎ立てる者もあつたが、私は当人さへ非を覚り悔悟したなら、依然在職させて置く積りの所が、当の私より省中の者が憤慨して、右の事情を詳細太政官に内申に及んだので、太政官でも打放つて置く訳に行かず、その男を免職せらるるに至つたのは、私が今猶ほ甚だ気の毒に思ふのである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.79-85

出典:実験論語処世談(十一)(『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)p.11-22)

サイト掲載日:2024年11月01日