テキストで読む
凡そ業は勤むるに精しく、嬉むに荒むといふが、万事が即ちそれである、若し大なる趣味と大なる感興とを以て事業を迎へられたならば、仮令如何に忙しく、又如何程煩はしくとも、倦怠若くは厭忌といふが如き、自己が苦痛を感ずる気分の生ずべき理由はない、若し又これに反して、全然没趣味を以てイヤ〳〵ながら事務に従ふといふ場合には、必ず先づ倦怠を生じ、次で厭忌を生じ、次で不平を生じ、最後には自分が其の職を抛たねばならぬやうになるは、蓋し数の自然である、前者は精神潑溂として愉快の中に趣味
更に言ふまでもなきことながら、本院(東京市養育院)には、現に(大正四年一月)二千五六百人の窮民が収容してある、其の中には除外例として、善因却つて悪果を結びて窮民たり、行旅病人たるものなきにあらざるも、其の多くは謂ゆる自業自得の輩であ
支那で聖賢といへば、尭舜が先づ初まりで、それから禹湯文武周公孔子となるのであるが、尭舜とか禹湯とか文武周公とかいふ人達は、同じ聖賢の中でも、何れも皆今の言葉でいふ成功者で、生前に於て夙く既に見るに足るべき治績を挙げ、世人の尊崇を受けて死んだ人々である、之に反し、孔夫子は今の言葉の謂ゆる成功者ではない、生前は無辜の罪に遭つて陳蔡の野に苦められたり、随分、艱難ばかりを甞められたもので、是といふ見るべき功績とても社会上にあつた訳ではない、併し千載の後、今日になつて見
支那といふ国の民族気質には一種妙な所があつて、英雄豪傑の墳墓などは粗末にして置いて、毫も怪まず平然たり得る傾向がある、併し友人にして支那の事情に通ぜらる〻白岩君に面会して親しく聞いた所や、また白岩君が「心の花」に寄せられた紀行などを読んでも明かに知られるやうに、曲阜にある孔夫子の廟ばかりは、流石の支那人も之を頗る鄭重に保存して、善美壮厳を極め、夫子の後裔も今猶ほ現存して、一般より非常なる尊敬を受けて居るとのことである、然らば孔夫子が生前に於て尭舜禹湯文武周公の如き政治上に見るべき功績を挙げて、高き位に居るまでに至らず、其富も天下を有つといふ
眼前に現はれた事柄のみを根拠として、成功とか失敗とかを論ずれば、湊川に矢尽き刀折れて戦死した楠正成は失敗者で、征夷大将軍の位に登つて勢威四海を圧するに至つた足利尊氏は確に成功者である、併し今日に於て尊氏を崇拝する者はないが、正成を尊崇する者は天下に絶えぬのである、然らば生前の成功者たる尊氏は却つて永遠の失敗者で、生前の失敗者たりし正成は却つて永遠の成功者である、菅原道真と藤原時平とに就て見ても、時平は当時の成功者で、太宰府に罪なくして配所の月を眺めねばならなかつた道真公は、当時の失敗者であつたに相違ないが、今日では一人として時平を尊む者なく、道真公は天満大自在として全国津々浦々の端に於ても祀られて居る、道真公の失
是等の事実より推して考へると、世の謂ゆる成功は必ずしも成功でなく、世の謂ゆる失敗は必ずしも失敗でないといふことが頗る明瞭になるが、会社事業其他一般営利事業の如き、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあつては、若し失敗すると、出資者其他の多くの人にも迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するやうに努めねばならぬものであるが、精神上の事業に於ては、成功を眼前に収めやうとする如き浅慮を以てすれば、世の糟を喫するが如き弊に陥つて、毫も世道人心の向上に貢献するを得ず、永遠の失敗に終るものである、例へば新聞雑誌の如きものを発行して、一世を覚醒せんとしても、此目的を達するが為に時流に逆つて反抗すれば、時に或は奇禍を買つて、世の謂ゆる失敗に陥り、苦い経験を甞めねばならぬ如き場合がな
文筆言論、その他凡て精神的方面の事業に従事する者が、今の謂ゆる成功を生前に収めやうとして悶けば、却つて時流に阿り、効果を急ぐが為に、社会に益を与へぬやうな事になる、さればとて如何に精神的事業でも、徒らに大言壮語して、人生の根本に触るることの出来ぬ大きな目論見ばかり立て〻、毫も努力する所がないやうでは、百載の後、仮令黄河の澄む期節があつても、到底失敗に終り、最後の成功を収め得らるべきもので無い、渾身の努力をさへ尽して居れば、精神的事業に於ての失敗は決して失敗ではない、
天の果して如何なるものであらうかと云ふことに就ては、私の関係して居る帰一協会などの会合でも屡次議論の起るところであるが、或る一部の宗教家中には、天を一種の霊的動物であるかの如くに解釈し、之を人格ある霊体とし、恰かも人間が手足を動かして、或は人に幸福を授けたり不幸を下したりするのみならず、祈祷したり御縋り申したりすれば、天は之に左右せられて、命を二三にせらる〻かの如くに考へて居らる〻方もある、併し天は是等の宗教家方の考へらる〻如く、人格や人体を具へたり、祈願の有無
此れが天命であるか彼れが天命であるとか云ふのは、畢竟人間が自分でそれ〴〵勝手に極めることであつて、天の毫も関知する所ではないのである、故に人間が天命を畏れて、人力の如何ともする能はざる、或る大なる力の存在を認め、人力を尽しさへすれば、無理なことでも不自然なことでも、何でも必ず貫徹するものと思はず、恭、敬、信を以て天に対し、明治天皇の教育勅語のうちに、謂ゆる古今に通じて謬らず、中外に施して悖らぬ、坦々として長安に通ずる大道をのみ歩み、人力に勝ち誇つて無理をしたり、不自然の行為をしたりするのを慎むといふことは、誠に結構の至りであるが、天或は神或
天命は人間が之を意識しても将た意識しなくつても、四季が順当に行はれて行くやうに、百事百物の間に行はれてゆくものたるを覚り、之に対する恭、敬、信を以てせねばならぬものだ、と信じさへすれば、『人事を尽して天命を待つ』なる語のうちに含まる〻真正の意義も、初めて完全に解し得らる〻やうになるものかと思ふ、されば実際世に処して行く上に於て、如何に天を解してゆくべきものかといふ問題になれば、孔夫子の解せられて居つた程度に之を解して、人格ある霊的動物なりともせず、天地と社会との間に行はる〻因果応報の理法を偶然の出来事なりともせず、之を天命なりとして恭、敬、信の念を以て対するのが、最も穏当なる考へ方であらうかと思ふのである。
大正三年の春、支那旅行の途上、上海に着いたのは五月六日であつたが、其の翌日は鉄道で杭州に行つた、杭州には西湖といふ有名な景勝の湖水があり、其の辺りに岳飛の石碑がある、その碑から四五間程離れた処に、当時の権臣秦檜の鉄像があつて相対して居る、岳飛は宋末の名将で、当時宋と金との間には屡〻戦があつて、金の為に宋は燕京を略取せられ、南宋と称して南方に偏在した、岳飛は朝命を奉じて出征し、金の大軍を破つて、将に燕京を恢復しやうとしたのであるが、奸臣秦檜は金の賄賂を納れて岳飛を召還した、岳飛は其の奸を知つて、臣が十年の功一日にして廃る、臣職に称はざるにあらず、実に秦檜、君を誤るなりと言つたが、彼は遂に讒によりて殺された、斯の誠忠
今日支那人中にも岳飛のやうな人もあらう、又秦檜に似たる人がないとも言はれぬけれども、岳飛の碑を拝して秦檜の像に放尿するといふのは、是れ実に孟子の謂ゆる『人性善』なるに因るのではあるまいか、天に通ずる赤誠は、深く人心に沁み込んで、千載の下猶ほ其の徳を慕はしむるのである、是を以ても人の成敗といふものは、蓋棺の後に非れば得て知ることが出来ない、我国に於ける楠正成と足利尊氏も、菅原道真と藤原時平も、皆然りと謂ふべきである、此の碑を覧るに及んで感慨殊に深きを覚えた。
茲に二人があるとして、其の一人は地位もなければ富もなく、素より之を援き立てる先輩もない、即ち世に立つて栄達すべき素因といふものが極めて薄弱であるが、纔に世の中に立つに足るだけ、一通りの学問はして世に出たとする、然るに其人に非凡の能力があつて、身体が健全で、如何にも勉強家で、行が皆節に中り、何事をやらせても先輩をして安心させるだけに仕上げるのみならず、却つて其の長上の意想外に出る程にやるから、必ず多数人は此人の行ふ所を賞讃するに相違ない、而して其人は官に在ると野に在るとを問はず、必ず言行はれ、業成り、終には富貴栄達を得らる〻やうになる、然るに此人の身分地位を側面から見て居る世人は、一も二もなく彼を順境の人と思ふであ
更に他の一人は、性来懶惰で、学校時代には落第ばかりして居たのを、やつとお情で卒業したが、さて此上は今まで学んだ所の学問で世に立たねばならぬけれども、性質が愚鈍で且つ不勉強であるから、職を得ても上役から命ぜらる〻所の事が何も彼も思ふやうに出来ない、心中には不平が起つて仕事に忠実を欠き、上役に受けが悪く、遂には免職される、家に帰れば父母兄弟には疎んぜられる、家庭に信用がない位なら郷里にも不信用となる、斯うなれば不平は益〻嵩まり、自暴自棄に陥る、其所に附込んで悪友が誘惑すると、思はず邪路に蹈入り、勢ひ正道を以て世に立てぬことになるから、已むを得ず窮途に彷徨しなければならぬ、然るに世人はこれを見て逆境の人といひ、又それが如
若し其人に優れた智能があり、之に加ふるに欠くる所なき勉強をしてゆけば、決して逆境に居る筈はない、逆境がなければ順境といふ言葉も消滅する、自ら進んで逆境といふ結果を造る人があるから、それに対して順境[な]ぞといふ言葉も起つて来るのである[、]例へば、身体の尫弱の人が、気候を罪して寒いから風を引いたとか、陽気に中つて腹痛がするとかいうて、自分の体質の悪いことは更に口にしない、これも風邪や腹痛といふ結果の来る前に、身体さへ強壮にして置いたならば、何も夫等の気候の為に病魔に襲はる〻ことは無いであらうに、平素の注意を怠るが為に自ら病気を招くのである、然るに病気になつたからというて、それを自分の責とはせず、却つて気候を怨むに至つては、自ら作つた逆境の罪を天に帰すると同一論法である、孟子が梁の恵王に『王歳を罪す
以上述べた所よりすれば、余は逆境はないものであると絶対に言ひ切りたいのであるが、左様まで極端に言ひ切れない場合が一つある、それは智能才幹何一つの欠点もな
社会の進歩と共に、秩序が整つて来るのは当然のことであるが、其れと共に新規の活動を始めるに多少不便ともなり、自然保守に傾くやうなことにもなる、固より軽佻浮薄な行動は、何れの場合に於ても慎むべきであるが、余りに大事を考へて因循姑息となり謂ゆる固くもなり、惰弱に流る〻如きこと〻もなる結果、進歩発展を阻害する傾向を生じては個人の上に於ても、又国家の前途に関しても、甚だ憂ふべき事と謂はねばならぬ[。]
潑溂たる進取の気力を養ひ且つ発揮するには、真に独立独歩の人とならねばならぬ、人に依頼するに過る時は、甚しく自分の実力を退嬰せしめ、最も大切な自信といふものが容易に生ぜず、遂には因循卑屈の性を成して了ふものなれば、深く自己を鞭撻して、弱い気の生ずるを防がねばならぬ、また余りに堅苦しく物事に拘泥し、細事に没頭する時は、自然に潑溂たる気力を銷磨し、進取の勇気を挫くことになるのであるから、此点も深く注意せねばならぬ、元より細心周到なる努力は必要であるが、一方大胆なる気力を発揮して、細心大胆両者相竢ち、潑溂たる活動をなし、始めて大事業を完成し得るものであるから、近来の傾向に就ては、大に警戒せねばならぬ、近頃青年の間に新しい活気が勃興し、大に其の本領を発揮せんとする傾向を生じたのは、即ち慶賀すべきことなる
世の中には悪運が強くて成功したかの如くに見える人がないでもない、併し人を見る
現代の人の多くは、唯成功とか失敗とかいふことのみを眼中に置いて、それよりもモツト大切な天地間の道理を見て居ない、彼等は実質を生命とすることが出来ないで、糟粕に等しい金銭財宝を主として居るのである、人は唯人たるの務を完うすることを心掛け、自己の責務を果し行ひて、以て安んずることに心掛けねばならぬ。
広い世界には、成功すべくして失敗した例は幾らもある、智者は自ら運命を作ると聞
兎に角人は誠実に努力黽勉して、自ら運命を開拓するが宜い、若しそれで失敗したら、自己の智力が及ばぬ為と諦め、また成功したら智恵が活用されたとして、成敗に関はらず天命に托するが可い、此くて敗れても飽くまで勉強するならば、何時かは再び好運に際会する時が来る、人生の行路は様々で、時に善人が悪人に敗けた如く見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである、故に成敗に関する是非善悪を論ずるよりも、先づ誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ず其人に福し運命を開拓するやうに仕向けて呉れるのである。
底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.383-409
サイト掲載日:2024年11月01日