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◎時期を待つの要あり

 苟くも人と生れ――殊に青年時代に於て、絶対に争を避けやうとする如き卑屈の根性では、到底進歩する見込も発達する見込もなく、また社会進運の上にも争の必要であることは、言ふまでもないのであるが、争を強て避けぬと同時に、時期の到来を気長に待つといふことも、処世の上には必要欠くべからざるものである。

 私は今日とても勿論、争はざるべからざる所は争ひもするが、半生以上の長い間の経験によつて、些か悟つた所があるので、若い時に於けるが如くに、争ふことを余り多く致さぬやうになつたかの如くに自分ながら思はれる。これは世の中のことは、斯くすれば必ず斯くなるものである、といふ因果の関係を能く呑込んで了つて、既に或る事情が因をなして或る結果を生じてしまつてる所に、突然横から現はれて形勢を転換しやうとし、如何に争つて見た所が、因果の関係は俄に之を断ち得るものでなく、或る一定の時期に達するまでは、人力で到底形勢を動かし得ざるものであることに想ひ到つたからである、人が世の中に処して行くのには、形勢を観望して気長に時期の到来を待つといふことも、決して忘れてはならぬ心懸である、正しきを曲げんとするもの、信ずる所を屈せしめんとする者あらば、断じて之と争はねばならぬ、青年子弟諸君に勧める傍ら、私はまた気長に時期の到来を待つの忍耐もなければならぬことを、是非青年子弟諸君に考へて置いて貰ひたいのである。

 私は、日本今日の現状に対しても、極力争つて見たいと思ふことがないでも無い、幾干もある、就中日本の現状で私の最も遺憾に思ふのは官尊民卑の弊が尚だ止まぬことである、官にある者ならば、如何に不都合なことを働いても、大抵は看過せられてしまふ、偶々世間物議の種を作つて、裁判沙汰となつたり、或は隠居をせねばならぬやうな羽目に遇ふ如き場合もないでは無いが、官にあつて不都合を働いて居る全体の者に比較すれば、実に九牛の一毛、大海の一滴にも当らず、官にある者の不都合の所為は、或る程度までは黙許の姿であると云つても、敢て過言ではないほどである。

 之に反し、民間にある者は、少しでも不都合の所為があれば、直に摘発されて、忽ち縲紲の憂き目に遇はねば為らなくなる、不都合の所為あるものは総て罰せねばならぬとならば、その間に朝にあると野にあるとの差別を設け、一方は寛に一方は酷であるやうなことがあつてはならぬ、若し大目に看過すべきものならは[ば]、民間にある人々に対しても官にある人々に対すると同様に、之を看過して然るべきものである、然るに日本の現状は、今以て官民の別により寛厳の手心を異にして居る。

 また民間にある者が如何に国家の進運に貢献するやうな功績を挙げても、その功が容易に天朝に認められぬに反し、官にある者は寸功があつたのみでも、直ぐに其れが認められて恩賞に与かるやうになる。是等の点は、私が今日に於て極力争つて見たいと思ふところだが、たとひ如何に私が争つたからとて、或る時期の到来するまでは、到底大勢を一変するわけにゆかぬものと考へて居るので、目下のところ私は、折に触れ不平を洩すぐらゐに止め、敢て争はず、時期を待つてるのである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.22-26

出典:実験論語処世談(十一)(『竜門雑誌』第335号(竜門社, 1916.04)p.11-22)

サイト掲載日:2024年11月01日