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孝らしからぬ孝

 徳川幕府の中葉より行はれはじめ、神儒仏三道の精神を合せ平易なる言葉を用ゐ、極卑近にして而かも通俗な譬喩を挙げて、実践道徳の鼓吹に力めたものに『心学』といふものがある、八代将軍吉宗公の頃、石田梅巌初めて之を唱へ、かの有名な鳩翁道話なぞも、此の派の手に成つたものであるが、梅巌の門下よりは手島堵庵、中沢道二などの名士出で、この両人の力により、心学は普及せらる〻やうになつたものである。

 私は曾て此の両人の中の中沢道二翁の筆になつた道二翁道話と題せらる〻一書を読んだことがある、その中に載つてる近江の孝子と信濃の孝子とに就ての話は、未だに忘れ得ざる程意味のある面白いもので、確か孝子修行といふ題目であつたかの如くに記憶して居る。

 その名は何と云つたか、今明確に覚えて居らぬが、近江の国に一人の有名な孝子があつた、『夫れ孝は天下の大本なり、百行の依て生ずる所』と心得て、日夜その及ばざるを唯惟れ恐れて居つたが、信濃の国に亦有名なる孝子あると聞き及び、親しく其の孝子に面会して、如何にせば最善の孝を親に尽すことの出来るものか、一つ問ひ訊して試みたいものだ、との志を懐き、遥々と野越え山越えて、夏なほ凉しき信濃の国まで、態々近江の国から孝行修行に出掛けたのである。

 漸々にして孝子の家を尋ね当て、其家の敷居を跨いだのは、正午過であつたが、家の中には唯一人の老母が在るだけで、実に寂しいものである、『御子息は』と尋ねると、『山へ仕事に行つてるから』とのことに、近江の孝子は委細来意を留守居の老母まで申し述べると、『夕刻には必ず帰らうから、兎に角上つて御待ち下さるやうに』と勧められたので、遠慮なく座敷に上つて待つてると、果して夕暮方に至れば信濃の孝子だと評判の高い子息殿が、山で採つた薪を一杯背負つて帰つて来られた、そこで近江の孝子は、此所ぞ参考のために大に見て置くべき所だらうと心得て、奥の室から様子を窺つて居ると、信濃の孝子は、薪を背負つたま〻で縁に瞠乎と腰を掛け、荷物が重くて仕様がないから、手伝つて卸して呉れろと、老母に手伝はして居る模様である、近江の孝子は先づ意外の感に打たれて、猶ほ窺つてるとも知らず、今度は足が泥で汚れてるから浄水を持つて来て呉れの、やア足を拭うて呉れのと、様々な勝手な注文ばかりを老母にする、然るに老母は如何にも悦ばしさうに嘻々として、信濃の孝子が言ふま〻に能く忰の世話をして遣るので、近江の孝子は誠に不思議なこともあればあるものと驚いてるうちに、信濃の孝子は足も綺麗になつて炉辺に坐つたが、今度は又あらうことか有るまいことか、足を伸して、大分疲れたから揉んで呉れと老母に頼むらしい模様である、それでも老母は嫌な顔一つせず揉んで行つてるうちに、はる〴〵近江からの御客様があつて、奥の一ト間に通してある由を信濃の孝子に語ると、そんならば御逢ひしやうとて座を起ち、近江の孝子が待つてる室にノコ〳〵やつて来た。

 近江の孝子は一礼の後、信濃の孝子に委細来意を告げて、孝行修行の為に来れる一部始終を物語り、彼是れ話し込むうち早や夕飯の時刻にもなつたので、信濃の孝子は晩餐の支度をして客人に出すやうにと老母に頼んだ様子であつたが、愈〻膳が出るまで、信濃の孝子は別に母の手伝をしてやる模様もなく、膳が出てからも平然として母に給仕させるのみか、やれ御汁が鹹くて困るとか、御飯の加減が何うであるとか、と老母に小言ばかりを言ふ、そこで近江の孝子も遂に見かねて、『私は貴公が天下に名高い孝子だと承つて、はる〴〵近江より孝行修行の為め罷り出たものであるが、先刻よりの様子を窺ふに、実に以て意外千万の事ばかり、毫も御老母を労はらる〻模様のなきのみか、剰へ老母を叱らせらる〻とは何事ぞ、貴公の如きは孝子どころか、不孝の甚しきものであらうぞ』と励声一番、開き直つて詰責に及んだのである、之に対する信濃の孝子の答弁がまた至極面白い。

『孝行々々と、如何にも孝行は百行の基たるに相違ないが、孝行をしやうとしての孝行は真実の孝行とは言はれぬ、孝行ならぬ孝行が真実の孝行である、私が年老いたる母に種々と頼んで、足を揉ませたりするまでに致し、御汁や御飯の小言を曰つたりするのも、母は子息が山仕事から帰つて来るのを見れば、定めし疲れてることだらうと思ひ、『さぞ疲れたらう』と親切に優しくして下さるので、その親切を無にせぬやうにと、足を伸して揉んで貰ひ、また客人を饗応すに就ては、定めし不行届で息子が不満足だらうと思うて下さるものと察するから、その親切を無にせぬ為め、御飯や御汁の小言までも曰うたりするのである、何でも自然のま〻に任せて、母の思ひ通りにして貰ふところが、或は世間に、私を孝子々々と言ひ囃して下さる所以であらうか』といふのが、信州の孝子の答であつた、これを聞いて近江の孝子も翻然として大に悟り、孝の大本は何事にも強ひて無理をせず、自然のま〻に任せる所にある、孝行のために孝行を力めて来た我身には、まだ〳〵到らぬ点があつたのだと気付くに至つた、と説いた所に道二翁道話の孝行修行の教訓があるのである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.372-377

参考記事:実験論語処世談(七)(『竜門雑誌』第331号(竜門社, 1915.12)p.11-18)

サイト掲載日:2024年09月17日