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◎廓清の急務なる所以

 一と揺ぎ揺いで茲に維新の大改革となつた、治める人治めらる〻人の分界を去り、又商売人の範囲も狭い区域にあつたものが、世界を股にかけての大活動を試みなければならぬといふことになり、又日本内地だけの商売でも、主なる品物の運送、蓄積等は、従来大抵政府の力に依つて行はれて居つたものが、それも一切個人でしなければ為らぬといふ風に遷り変つて来た、商人から云へば全く新天地が開かれたのである、而して彼等も亦相当の教育を受けねばならぬことになつた、商であれ工であれ、一の手続を教へ、或は地理、或は物品、品目に、或は商業の歴史に、兎に角、商売を繁昌させるに就ての必要な智識だけは、世界の粋を抜いて教へるといふ風になつた、けれども其れは主として実業教育であつて、道徳教育ではなかつた、寧ろ爾ういふ事は措いて問題にしなかつた、乃で自分の富を増さうとする人が続々と出て来る、俄分限が出る、僥倖で大富を得た者もある、それが刺戟となり誘惑となつて、誰でも爾ういふことを狙ふやうになる、斯くして益々富を殖す方にのみ相挙つて進む、そこで富む人は愈々富む、貧い者も富を狙はうとする、仁義道徳は旧世紀の遺物として顧みない、寧ろ殆んど其の何物たるかを知らぬ、唯智識だけを以て自家の富を増すに汲々乎たる有様である、腐敗に傾き、溷濁に陥り、堕落混乱を来す、固より怪むに足らない、勢ひ廓清を叫ばなければならぬ事にもなるのである。

 然らば如何にして其の廓清を計るべきであらう、一般に正当なる利益を進める方法を忘れ、徒らに利慾の餓鬼となる結果、此の如き道徳を滅却するやうな状態に陥るといふことは、前に言つた、併し其の行動を悪むの余り、生産利殖の根本をも塞ぐといふまでに立ち至るのは、甚だ取らない、例へば男女の品行の甚だ猥褻に流れるのを嫌うて、自然の人情まで絶つといふことは、甚だ不条理なことでもあるし、また行はれ難いことでもある、遂には生々の理を失つて了ふことになるのである、実業界の腐敗堕落に対しても、唯これに対して攻撃戒飭を加へるといふ方にのみ力を尽すのが、適当なる廓清であるか否かは余程注意すべき問題であつて、或は反つて為に国家の元気を喪ひ、国家の真実の富を毀損するやうな事にならぬとも言はれぬ、廓清といふことは中々六ケ敷い、旧に復つて、治める方の人のみが道義を重んじ、生産殖利に従事する人は成るたけ制限して、極く小さい範囲に棲息せしむるやうにして行つたならば、其の弊害を減ずることが出来るか知れないが、それでは国の富の進歩は止まつて了ふ、そこで飽くまで富を進め、富を擁護しつ〻、其間に罪悪の伴はぬ神聖な富を作らうとするには、どうしても一の守るべき主義を持たなければならぬ、それは即ち私が常に言つて居る所の仁義道徳である、仁義道徳と生産殖利とは決して矛盾しない、だから其の根本の理を明かにして、斯くすれば此の位置を失はぬといふことを、我れ人共に十分に考究して、安んじて其の道を行ふことが出来たならば、敢て相率ゐて腐敗堕落に陥るといふことなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信ずる。

 其方法として日常の事に就き、斯る商売には斯く〳〵、斯る事業には斯く〳〵と爰に詳述は出来ないが、第一の根本たる道理なるものは必ず生産と一致するものである、而して富をなす方法手段は、第一に公益を旨とし、人を虐げるとか、人に害を与へるとか、人を欺くとか或は偽り抔いふ事のない様にしなければならぬ、此くて各〻其職に従つて尽すべきを尽し、道理を誤らず富を増して行くことであれば、如何に発展して行つても、他と相侵すとか相害することは起らぬと思ふ、神聖なる富は此くて初めて得られ続けられるのである、各人各業が此域に達すれば、そこで廓清は遂げられたのである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.223-227

出典:道徳的覚醒(『竜門雑誌』第316号(竜門社, 1914.09)p.11-15)

サイト掲載日:2024年11月01日