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元気とは如何なるものかと云ふに、之を形に現はして説くことは甚だ難かしい、漢学から説けば、孟子の言ふ浩然之気に当るだらうと思ふ、世間ではよく青年の元気と言ふけれども、青年にばかり元気があつて、老人には無くて宜いといふのでない、元気は押並べて、更に一歩進んでは男女共になければならぬと考へる、大隈侯の如き私よりは二つもお上であるけれども、其の元気は非常なるものである、孟子の浩然之気につきては、孟子が『其為気也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之間』と、斯う言つて居る。此の『至大至剛、以直養』といふ言葉が甚だ面白い、世間では能く元気がないとか、元気を出したとか云ふ、ことに依ると、大分酩酊して途中を大声でも出して来ると、彼は元気が宜いと云ひ、黙つて居ると元気が悪いと云ふが、併し「ポリス」に捕つて恐れ入るといふやうな元気は、決して誇るべき者で無い、人と争つて自分が間違つて居つても強情を張り通す、是が元気が宜いと思つたら大間違である、それは即ち元気を誤解したのである、また気位が高いといふことも元気であらう、福沢先生の頻りに唱へて居つた独立自尊、此の自尊なども或る場合には元気とも言へやう、自ら助け、自ら守り、自ら治め、自ら活きる、是等と同様な自尊なれば宜い、併し自治だの自活だのは、相当な働があるから宜いが、自尊といふことは誤解すると倨傲になる、或は不都合になる、総て悪徳になつて、一寸道を通りか〻つても、此方は自尊だから己は逃げないと云つて、自働車などに突当つては頓だ間違が起る、斯るものは元気ではなからうと思ふ、元気といふものは然ういふもので無い、即ち孟子の謂ゆる至大至剛、至つて大きく至つて強いもの、而して『以直養』、道理正しき即ち至誠を以て養つて、それが何時までも継続する、唯ちよつと一時酒飲み元気で、昨日あつたけれども、今日は疲れて仕舞つたと言ふ、そんな元気では駄目である、直しきを以て養つて餒うる所がなければ、『則塞于天地之間』是こそ本統の元気であると思ふ。
此の元気を完全に養ふたならば、今の学生が軟弱だ、淫靡だ、優柔だと言はれるやうな謗りは、決して受ける気遣はなからうと思ふ、併し今日の儘では、多少悪くすると元気を損ずる場合がないとは言はれぬ、老人とても猶ほ然りであるが、特に最も任務の重い現在の青年は、此の元気を完全に蓄はへることを呉々も努めなくてはならぬ、程伊川の言葉であつたと思ふが、『哲人見機誠之思、志士厲行致之為』との句がある、或は文字が間違つてるかも知れぬが、これは私の注意した言葉で、今も感心するが、彼の明治時代の先輩は『哲人見機誠之思』といふことをした人である、大正時代の青年は何うしても『志士厲行致之為』といふ方であつて、総て巧みに之を纏むる時代であると思ふ、故に青年は十分元気旺盛にして、聖代に報答するの心掛が緊要であると思ふ。
底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.240-243
出典:青年諸子の任務(『竜門雑誌』第297号(竜門社, 1913.02)p.11-16)
サイト掲載日:2024年11月01日