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◎相愛忠恕の道を以て交はるべし

 日支間は同文同種の関係あり、国の隣接せる位置よりするも、将た古来よりの歴史よりいふも、また思想、風俗、趣味の共通せる点あるに徴するも、相提携せざるべからざる国柄なり、然らば奈何にして提携の実を挙ぐべきか、其の方策他なし、人情を理解し、己の欲せざる所は之を人に施さず、謂ゆる相愛忠恕の道を以て相交はるにあり、即ち其の方策は論語の一章に在りと謂ふべきである。

 商業の真個の目的が有無相通じ、自他相利するにある如く、殖利生産の事業も道徳と随伴して、初めて真正の目的を達するものなりとは、余の平素の持論にして、我国が支那の事業に関係するに際しても、忠恕の念を以て之に蒞み、自国の利益を図るは勿論ながら、併せて支那をも利益する方法に出づるに於ては、日支間に真個提携の実を挙ぐることは、決して難い事ではない。

 之に就き先づ試みるべきは開拓事業であつて、即ち支那の富源を拓き天与の宝庫を展開して、其の国富を増進せしむるに在る、而して之が経営の方法は、両国民の共同出資に依る合弁事業となすが最良法である、独り開拓事業に止まらず、其他の事業に於ても亦その組織は日支合弁事業とするのである、斯くするに於ては日支間に緊密なる経済的連鎖を生じ、従つて両国間に真個の提携を為し得るのである、余の関係せる中日実業会社は、此の意味に於て発起設立せられたるものにて、其の成功を期せんとする所以も亦此に存するのである。

 余が史籍を通じて尊敬し居る支那は、主として唐虞三代より後きも殷周時代であつて、当時は支那の文化最も発達し、光彩陸離たる時代である、但し科学的智識に至りては、当時の史籍に掲げられたる天文の記事の如き、今日の学理に合せずと言はるれども、百事を現在の支那に比較して、今日の昔時に及ばざる感あるは当然のことである、其の後、西東漢、六朝、唐、五代、宋、元、明、清に及び、謂ゆる二十一史にて通覧せる所に依るも、各朝に大人物の輩出せるは言はずもがな、秦に万里の長城あり、隋に煬帝の大運河あり、当時是等の大事業の目的が那辺に存せしかは暫く措き、其の規模の宏大なる、到底今日の企て及ぶ所ではない、されば唐虞三代より殷周時代の絢爛たる文華を史籍に依りて窺ひ、これが想像を逞しうして、今次(大正三年春)支那の地を蹈み、実際に就き民情を察するに及び、恰かも精緻巧妙を極めたる絵画によりて美人を想像し、実物に就き親しく之を見るに方り、始めて其の想像に及ばざるの恨を懐くと等しく、初め想像の高かりしだけ失望の度も深く、逆施倒行とも言ふべきか、余をして儒教の本場たる支那の到る処にて、屡〻論語を講ずるの奇観をさへ呈せしめたのである。

 就中余の感を惹きしは、支那に於ては上流社会あり下層社会あるに拘はらず、其の中間に於ける国家の中堅をなす中流社会の存在せざる事と、識見人格共に卓越せる人物が少いと云ふ訳ではないけれども、国民全体として観察するときは、個人主義利己主義が発達して、国家的の観念に乏しく、真個国家を憂ふるの心に欠けたることにて、一国中に中流社会の存せざると、国民全般に国家的観念に乏しきとは、支那現今の大欠点なりと謂ふべきである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.318-321

出典:支那漫遊所観(『竜門雑誌』第316号(竜門社, 1914.09)p.16-21)

サイト掲載日:2024年11月01日