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発展の一大要素

 明治の時代は新しい事物を入れて古い事物を改造し、汲々として進歩を図つた時代であつた、勿論進歩が十分なりしとは言はれぬが、長い間国を鎖して欧米の文物に接触しなんだものが、僅かに四五十年の間に、漸次彼の長を採り我が短を補うて、或点は彼に恥ぢぬまで進歩した、勿論これは聖代の御蔭、明治天皇の聖明に由る所、在朝有司の誘導も亦謝意を表さねばならぬが、また国民の精励の然らしむる所と謂はねばならぬ。

 さて明治が大正に移つた所で、往々世間では、最早創業の時代は過ぎた、是からは守成の時代といふ人があるけれども、お互国民は、左様に小成に安んじてはならぬ、版図は小さく人口が多く、尚ほ追々に人口が増殖して行くのだから、そんな引込思案では居られぬ、内を整ふると同時に、外に展びるといふことを工夫しなければなるまい、耕地の面積は少いけれども、農法を改良して耕地の効用を増すことが出来る、種苗を改良し、耕作法を改良し、窒素肥料、燐酸肥料等、優良な肥料を宛て行ひ、集約的の農法を改良すれば、上田五俵の所は七俵も穫れ、下田は二倍にも収穫が倍すであらう、今まで出来なかつた陸稲も、人造肥料によれば、一反歩から五俵も七俵も穫れるといふ例もある、耕地が狭いからとて、其の効用を増すことを粗畧に考へては可かぬ、又北海道或は他の新領土等にも、須要の資金労力を注入して、行届くだけ事業を成立たせなければならぬ、此くお互に努めても、さて限りあるものは限りあるので[ある]から、一面海外に向つて大和民族発展の途を開くことを、須臾も怠つてはならぬのである。

 海外に対つて発展するには、如何なる方面を択ぶべきかと云へば、矢張一番利益のある所に赴くといふことは、自然の趨勢であると思ふ、気候もよし、地味も良くて、その土地が能く人を容れ、農業に商業に、総ての事の遣りよい処を択ぶのが人情である、是に於て私共の切に憂ふるのは、北米合衆国と我邦との関係である、今日のやうに紛議を醸して居るのは、お互実に遺憾に堪へない、惟ふに是は先方にも大なる我儘があるに相違ない、不道理を言ひ張つて居ることは事実であるが、又事の此に到つたに就ては、我が国民も反省しなければならぬ点が大にあると思ふ、是等のことは現に当面の交渉問題となつて居るから、詳細に立入つて言ひ能はぬ事情もあるけれども、国民の期待は何所までも果す勇気を以て、而して能ふだけの忍耐を以て、大和民族の世界的発展の途を開き、何れの地方でも、厭がられ嫌はれる人民とならぬやうに心掛けることが、即ち発展の大要素であらうと思ふのである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.220-223

参考記事:言忠信行篤敬(『竜門雑誌』第307号(竜門社, 1913.12)p.26-30)

サイト掲載日:2024年09月17日