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社会の百事、利ある所には必ず何等かの弊害が伴ふは数の免れざるもので、我国が西洋文明を輸入して、大に我が文化に貢献した一面に於ては、矢張り其の弊害を免る〻ことは出来ない、即ち我国が世界的事物を取入れて其の恩沢に浴し、其の幸福に均霑したと同時に、新しき世界的害毒の流入したことは争はれぬ事実で、彼の幸徳一輩が懐いて居た危険思想の如きは、明かに其一つであると言ひ得るのである、古来我国にはあれ程の悪逆思想は未だ曾て無かつた、然るに今日さういふ思想の発生するに至つた所以は、我国が世界的に立国の基礎を築いた結果で、亦止むを得ざることではあるけれども、我国に取つては最も怖るべく最も忌むべき病毒である、従つて我々国民たる者の責務として、如何にもして此の病毒の根本的治療策を講じなくてはならぬ、惟ふに此の病毒の根治法には恐らく二様の手段があらう、一は直接その病気の性質原因を研究し、之に適切な方剤を投ずるので、他の一方は出来るだけ身体諸機関を強壮ならしめて、仮令病毒の侵染に遇ふとも、立ち所に殺菌し得るだけの素質を養成して置くことである、所で、我我の立脚地からは、此の二者孰れに就くべきかと云ふに、元来実業に携はる者であるから、此の悪思想の病源病理を研究して、其の治療方法を講ずることは職分でない、寧ろ我々の執るべき務は国民平生の養生の側にあると思ふ、国民全部をして強健なる身体機関を養はしめて、如何なる病毒に遭ふとも決して侵害されることのないやうに養生を遂げしめなくてはならぬ、故に之が治療法、即ち危険思想防遏策に就て余が所信を披瀝し、以て一般世人、殊に実業家諸氏の考慮を促したいと思ふ。
余が平素の持論として屡々言ふ所のことであるが、従来利用厚生と仁義道徳の結合が甚だ不十分であつた為に、『仁をなせば則ち富まず、富めば則ち仁ならず』、利に就けば仁に遠ざかり、義に依れば利を失ふといふやうに、仁と富とを全く別物に解釈して了つたのは、甚だ不都合の次第である、此の解釈の極端なる結果は利用厚生に身を投じた者は、仁義道徳を顧みる責任はないと云ふやうな所に立ち至らしめた、余は此点に就て多年痛歎措く能はざるものであつたが、要するに是れ後世の学者のなせる罪で、既に数次述べたる如く、孔孟の訓が『義利合一』であることは、四書を一読する者の直ちに発見する所である。
後世儒者の其意を誤り伝へられた一例を挙ぐれば、宋の大儒たる朱子が、孟子の序に『計を用ゐ数を用ふるは、仮饒ひ功業を立て得るも、只是れ人慾の私にして、聖賢の作処とは天地懸絶[隔]す』と説き、貨殖功利のことを貶して居る、其の言葉を押進めて考へて見れば、彼のアリストートルの『総ての商業は罪悪なり』と曰へる言葉に一致する、之を別様の意味から言へば、仁義道徳は仙人染みた人の行ふべきことであつて、利用厚生に身を投ずるものは仁義道徳を外にしても構はぬといふに帰着するのである、此の如きは決して孔孟教の骨髄ではなく、彼の閩洛派の儒者によつて捏造された妄説に外ならぬ、然るに我国では元和寛永の頃より此の学説が盛んに行はれ、学問といへば此の学説より外にはないと云ふまでに至つた、而して此の学説は今日の社会に如何なる余弊を齎らして居るのであらうか。
孔孟教の根底を誤り伝へたる結果は、利用厚生に従事する実業家の精神をして、殆んど総てを利己主義たらしめ、其の念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚しきに至つては法網を潜られるだけ潜つても金儲けを仕度いの一方にさせて仕舞つた、従つて今日の謂ゆる実業家の多くは、自分さへ儲ければ他人や世間は如何あらうと構はないといふ腹で、若し社会的及び法律的の制裁が絶無としたならば、彼等は強奪すら仕兼ねぬといふ情ない状態に陥つて居る、若し永く此の状態を押して行くとすれば、将来貧富の懸隔は益々甚しくなり、社会は愈〻浅間しい結果に立ち至る事と予想しなければならぬ、これ誠に孔孟の訓を誤り伝へたる学者が数百年来䟦扈して居た余毒である、兎に角世の中が進むに伴れて、実業界に於ても生存競争が倍〻激しくなるは自然の結果といつて可い、然るに此の場合に際し、若し実業家が我勝ちに私利私慾を計るに汲々として、世間は如何ならうと、自分さへ利益すれば構はぬと言つて居れば、社会は益々不健全と成り、嫌悪すべき危険思想は徐々に蔓延するやうになるに相違ない、果して然らば危険思想醸成の罪は、一に実業家の双肩に負はねばならなくなる、故に一般社会の為に之を匡正せんとするならば、此際我々の職分として、極力仁義道徳に由つて利用厚生の道を進めて行くといふ方針を取り、義利合一の信念を確立するやうに勉めなくてはならぬ、富みながら且つ仁義を行ひ得る例は沢山にある、義利合一に対する疑念は今日直ちに根本から一掃せねばならぬ。
底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.168-173
出典:危険思想の発生と実業家の覚悟(『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.266-274)
サイト掲載日:2024年11月01日