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◎細心にして大胆なれ

 社会の進歩と共に、秩序が整つて来るのは当然のことであるが、其れと共に新規の活動を始めるに多少不便ともなり、自然保守に傾くやうなことにもなる、固より軽佻浮薄な行動は、何れの場合に於ても慎むべきであるが、余りに大事を考へて因循姑息となり謂ゆる固くもなり、惰弱に流る〻如きこと〻もなる結果、進歩発展を阻害する傾向を生じては個人の上に於ても、又国家の前途に関しても、甚だ憂ふべき事と謂はねばならぬ[。]

 世界の大勢は日に月に動いて競争は激甚となり、文物は日進月歩の有様であるが、我国は不幸にして久しい間鎖国の状態にあつたので、世界の趨勢に後れた、開国以来たとひ列国を驚異せしむる程の急速の進歩をなしたとは言へ、万般の事物が彼に後れて居ることは争はれぬ、即ち後進国の状態を免れないのである、故に彼の先進国と競争し角逐し、更に之を凌駕して行かうとするには、彼に倍する努力を以て進まねばならぬ、多少にても個人の向上を助け、国運を進転せしむる事には、全力を傾倒して進取する勇猛心を必要とするのである、然れば従来の事業を後生大事に保守し、或は過失失敗を虞れて逡巡する如き弱い気力では、到底国運の退嬰を来さずには居らぬのである、是非とも深く此点を考へて、大に計画もし発達もして、真実の価値ある一等国と成らねばならぬ、潑溂たる進取の気力を養ふことは勿論、且つ発揮する必要を痛切に感ずることは、現時に於て特更である。

 潑溂たる進取の気力を養ひ且つ発揮するには、真に独立独歩の人とならねばならぬ、人に依頼するに過る時は、甚しく自分の実力を退嬰せしめ、最も大切な自信といふものが容易に生ぜず、遂には因循卑屈の性を成して了ふものなれば、深く自己を鞭撻して、弱い気の生ずるを防がねばならぬ、また余りに堅苦しく物事に拘泥し、細事に没頭する時は、自然に潑溂たる気力を銷磨し、進取の勇気を挫くことになるのであるから、此点も深く注意せねばならぬ、元より細心周到なる努力は必要であるが、一方大胆なる気力を発揮して、細心大胆両者相竢ち、潑溂たる活動をなし、始めて大事業を完成し得るものであるから、近来の傾向に就ては、大に警戒せねばならぬ、近頃青年の間に新しい活気が勃興し、大に其の本領を発揮せんとする傾向を生じたのは、即ち慶賀すべきことなるが、壮年社会に不活潑の傾向が依然として瀰蔓するやうでは、憂ふべき事と言はねばならぬ、独立不覊の精神を発揮するには、今日の如く政府万能の状態で、民間の事業が政府の保護に恋々たる状の見える如き風を一掃し、鋭意民力を伸張して、政府を煩はさないで事業を発展せしむる覚悟が必要である、又細事に拘泥し部局の事にのみ没頭する結果、法律規則の類を増発し、汲々として其の規定に触れまいとし、或は其の規定内の事に満足し、齷齪して居るやうでは、迚も新進の事業を経営し、潑溂たる生気を生じ、世界の大勢に駕することは覚束ない。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.402-405

出典:新時代の処世法(『竜門雑誌』第304号(竜門社, 1913.09)p.31-34)

サイト掲載日:2024年11月01日