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◎精神老衰の予防法

 曾て交換教授として米国より来朝せられたメービー博士が、任満ちて帰国せらる〻に際し、赤誠を傾けて私に語られた種々なる談話の中に、下の如き評語がある、即ちメービー氏の言ふには、私は初めて貴国に来たのであるから、総てのものが珍らしく感じた、如何にも新進の国と見受け得る所は、上級の人も下層の人も、総て勉強して居ると云ふことは、著しく眼に著く、惰けて居る者が甚だ少ない、而して其の勉強が、さも希望を持ちつ〻愉快に勉強するやうに見受けられる、希望を持つといふは、何所までも到達せしむるといふ敢為の気象が尽く備はつて居る、殆んど総ての人が喜びを以て、彼岸に達するといふ念慮を持つて居られるやうに見受けるのは、更に進むべき資質を持つた国民と申上げて宜からうと思ふ、それらは善い方を賞讃し上げるけれども、唯善いことのみを申して、悪い批評を言はねば、或は諛言を呈する嫌があるから、極く腹蔵のない所を無遠慮に申すとて、私の接触したのが、官辺とか会社とか又は学校などであつたから、余計にさういふ事が眼に着いたのかも知れぬけれども、兎角形式を重んずるといふ弊があつて、事実よりは形式に重きを置くと云ふことが強く見える、亜米利加は最も形式を構はぬ流儀であるから、其の眼から特に際立つて見えるのかも知れぬけれども、少しく形式に拘泥する弊害が強くなつて居りはせぬか、一体の国民性が其れであるとすれば、是は余程御注意せねばならぬこと〻思ふ、又何処の国でも、同じ説が一般に伝はるといふ訳にはいかぬ、一人が右といへば一人は左といふ、進歩党があれば保守党がある、政党でも時として相反目する者が生ずるけれども、それが欧羅巴或は亜米利加であれば、余程淡泊で且つ高尚だ、然るに日本のは淡泊でもなければ高尚でもない、悪く申すと甚だ下品で且つ執拗である、何でもない事柄までも極く口穢く言ひ募るやうに見える、是は自分の見た時節の悪かつた為に、政治界に於て、殊にさういふ現象が見えたのでありませう、――而して彼は之を解釈して、日本は封建制度が長く継続して、小さい藩々まで相反目して、右が強くなれば左から打ち倒さうとする、左が盛になれば右が攻撃する、之が終に習慣性となつたであらうと、彼はさうまでは言ひませぬけれども、元亀天正以来の有様が遂に三百諸侯となつたのだから、相凌ぎ相悪むといふ弊が兎角に残つて居つて、温和の性質が乏しいのではないが、之が段々長じて行くと、勢ひ党派の軋轢が激しくなりはしないかといふ意味であつた、――私も、此の封建制度の余弊といふことは或は然らんと思ふ、既に近い例が、水戸などが大人物の出た藩でありながら、却つて其の為に軋轢を生じて衰微した、若し藤田東湖、戸田銀次郎の如き、或は会沢恒蔵の如き、又其の藩主に烈公の如き偉人が無かつたならば、斯ばかり争もなく衰微もせなんだであらう、と論ぜねばならぬから、私はメービー氏の説に大に耳を傾けたのである。

 それから又我が国民性の感情の強いといふことに付ても、余り讃辞を呈さなかつた、日本人は細事にも忽ちに激する、而して又直ちに忘れる、詰り感情が急激であつて、反対に又健忘性である、是は一等国だ大国民だと自慢なさる人柄としては、頗る不適当である、もう少し堪忍の心を持つやうに修養せねば可けますまい、と云ふ意味であつた。

 更に畏れ多いことであるけれども、国体論にまで立入つて、彼は其の忠言を進めて、実に日本は聞きしに勝つたる忠君の心の深きことは、亜米利加人などには迚も夢想も出来ない、実に羨ましいこと〻敬服する、斯る国は決して他に看ることは出来ぬであらう、予てさう思つては居たが、実地を目撃して真に感佩に堪へぬ、去りながら私として無遠慮に言はしむるならば、此の有様を永久に持続するには、将来君権をして成るべく民政に接触せしめぬやうにするのが肝要ではあるまいかと言はれた、是等は我々が其の当否を言ふべきことではない、併し此の抽象的の評言は、一概に斥くべきものでは無からうと思ふので、如何にも親切のお言葉は私だけに承つた、と斯う答へて置いた、此他にも尚ほ談話の廉々はあつたが、最終に其の滞在中の優遇を謝して、此の半年の間真率に自分の思ふことを述べて、各学校で学生若くは其他の人々に、親切にせられたことを深く喜ぶと言つて居られた。

 亜米利加の学者の一人が、日本を斯く観察したからと言うて、それが大に我国を益するものでも無からうけれども、前にも申す如く、公平なる外国人の批評に鑑みて能くこれに注意し、謂ゆる大国民たる襟度を進めて行かねばならぬ、さう云ふ批評によりて段段に反省し、終に真正なる大国民となる、それと反対に困つた人民だ、斯る不都合がある、といふ批評が重なれば、人が交際せぬ相手にならぬと云ふことになるかも知れぬ、されば一人の評語がどうでも宜いと云うては居られぬ、恰も『君子の道は妄語せざるより始まる』と司馬温公が誡められた如くに、仮初にも無意識に妄語を発するやうになつたならば、君子として人に尊敬されるやうにならぬ、して見ると一回の行為が一生の毀誉をなすと同じやうに、一人の感想が一国の名声に関すると考へる、メービー氏が左様に感じて帰国したといふことは、些細なことであるけれども、やはり小事と見ぬ方が宜からうと思ふのである。

 是に付て考へて見ても、お互に平素飽くまで刻苦励精して、今日までに進んだ国運をして、どうぞ弥増に拡張させたいと思ふが、それに付て一言したいことは、近頃は青年青年と云つて、青年説が大変に多い、青年が大事だ、青年に注意しなければならぬと云ふは、私も同意するが、私は自分の位置から言ふと、青年も大事であるけれども、老年も亦大切であると思ふ、青年とばかり言うて、老人はどうでも宜いと言ふのは考へ違ではないか、曾て他の会合の時にも言つたが、自分は文明の老人たることを希望する、果して自分が文明の老人か野蛮の老人か、世評はどうであるか知らぬが、自分では文明の老人の積りであるが、諸君が見たら或は野蛮の老人かも知れぬ、併し能々考察すると、私の青年の時分に比較して見ると、青年の事務に就く年齢が頗る遅いと思ふ、例へば朝の日の出方が余程遅くなつて居る、さうして早く老衰して引込むと、其の活動の時間が大層少くなつてしまふ、試みに一人の学生が三十歳まで学問のために時を費すならば、少くも七十位までは働かねばならぬ、若し五十や五十五で老衰するとすれば、僅に二十年か二十五年しか働く時はない、但し非凡なる人は、百年の仕事を十年の間に為るかも知れぬが、多数の人に望むには、さういふ例外を以てする訳にはいかない、況んや社会の事物が益々複雑して来る場合に於てをや、但し各種の学芸技術が追々進化して来るから、幸に博士方の新発明で、年取つても一向に衰弱せぬとか、或は若い間にも満足なる智恵を持つといふやうな馬車より自働車、自働車より飛行機で世界を狭くするやうに、人間の活動を今日よりも大に強めて、生れ児が直ちに用立つ人となつて、さうして死ぬまで活動するといふ工夫が付けば、是は何よりである、どうぞ田中館先生などに其の御発明を願ひたいものである、其れまでの間は年寄がやはり十分に働くことを心懸ける外なからうと思ふのである、而して文明の老人たるには、身体は縦ひ衰弱するとしても、精神が衰弱せぬやうにしたい、精神を衰弱せぬやうにするは学問に依る外はない、常に学問を進めて時代に後れぬ人であつたならば、私は何時までも精神に老衰といふことは無からうと思ふ、是の故に私は単に肉塊の存在たるは人として甚だ嫌ふので、身体の世に在る限りは、どうぞ精神をも存在せしめたいと思ふのである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.50-58

出典:メービー博士の衷情(『竜門雑誌』第303号(竜門社, 1913.08)p.11-17)

サイト掲載日:2024年11月01日