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◎順逆の二境は何れより来るか

 茲に二人があるとして、其の一人は地位もなければ富もなく、素より之を援き立てる先輩もない、即ち世に立つて栄達すべき素因といふものが極めて薄弱であるが、纔に世の中に立つに足るだけ、一通りの学問はして世に出たとする、然るに其人に非凡の能力があつて、身体が健全で、如何にも勉強家で、行が皆節に中り、何事をやらせても先輩をして安心させるだけに仕上げるのみならず、却つて其の長上の意想外に出る程にやるから、必ず多数人は此人の行ふ所を賞讃するに相違ない、而して其人は官に在ると野に在るとを問はず、必ず言行はれ、業成り、終には富貴栄達を得らる〻やうになる、然るに此人の身分地位を側面から見て居る世人は、一も二もなく彼を順境の人と思ふであらうが、実は順境でも逆境でもなく、其人自らの力で左様いふ境遇を造り出したに過ぎないのである。

 更に他の一人は、性来懶惰で、学校時代には落第ばかりして居たのを、やつとお情で卒業したが、さて此上は今まで学んだ所の学問で世に立たねばならぬけれども、性質が愚鈍で且つ不勉強であるから、職を得ても上役から命ぜらる〻所の事が何も彼も思ふやうに出来ない、心中には不平が起つて仕事に忠実を欠き、上役に受けが悪く、遂には免職される、家に帰れば父母兄弟には疎んぜられる、家庭に信用がない位なら郷里にも不信用となる、斯うなれば不平は益〻嵩まり、自暴自棄に陥る、其所に附込んで悪友が誘惑すると、思はず邪路に蹈入り、勢ひ正道を以て世に立てぬことになるから、已むを得ず窮途に彷徨しなければならぬ、然るに世人はこれを見て逆境の人といひ、又それが如何にも逆境であるらしく見えるのである、実は左様でなくて皆自ら招いだ所の境遇であるのだ、韓退之が其子を励ました『符読書城南』の詩中に、『木之就規矩、在梓匠輪輿、人之能為人、由腹有詩書、詩書勤乃有、不勤腹空虚、欲知学之力、賢愚同一初、由其不能学、所入遂異閭、両家各生子、提孩巧相如、少長聚嬉戯、不殊同隊魚、年至十二三、頭角稍相踈、二十漸乖張、清溝映汙渠、三十骨骼成、乃一竜一豬、飛黄騰踏去、不能顧蟾蜍、一為馬前卒、鞭背生虫蛆、一為公与相、譚々府中君、問之何因爾、学与不学歟』云々といふ句があるが、こは主として学問を勉強することに就て曰ふたものであるとは云へ、また以て順逆二境の由つて岐る〻を知るに足るであらう、要するに悪者は教ふるとも仕方なく、善者は教へずとも自ら仕方を知つて居て、自然と其の運命を造り出すものである、故に厳正の意味より論ずれば、此の世の中には順境も逆境も無いといふことになる。

 若し其人に優れた智能があり、之に加ふるに欠くる所なき勉強をしてゆけば、決して逆境に居る筈はない、逆境がなければ順境といふ言葉も消滅する、自ら進んで逆境といふ結果を造る人があるから、それに対して順境[な]ぞといふ言葉も起つて来るのである[、]例へば、身体の尫弱の人が、気候を罪して寒いから風を引いたとか、陽気に中つて腹痛がするとかいうて、自分の体質の悪いことは更に口にしない、これも風邪や腹痛といふ結果の来る前に、身体さへ強壮にして置いたならば、何も夫等の気候の為に病魔に襲はる〻ことは無いであらうに、平素の注意を怠るが為に自ら病気を招くのである、然るに病気になつたからというて、それを自分の責とはせず、却つて気候を怨むに至つては、自ら作つた逆境の罪を天に帰すると同一論法である、孟子が梁の恵王に『王歳を罪すること無くんば、斯に天下の民至らん』と曰ふたのも矢張同じ意味で、政治の悪いことを言はず、歳の悪いことに其の罪を帰せしめんとした誤りである、若し民の帰服せんことを欲するならば、歳の豊凶は敢て与る所にあらず、専ら治者の徳の如何を主とせなければならぬ、然るに民が服せぬからというて、罪を凶歳に帰して自己の徳の足らざるを忘れて居るのは、恰かも自ら逆境を造りながら、其罪を天に問はんとすると同一主義である、兎に角世人の多くは、我が智能や勤勉を外にして逆境が来たかの如くいふの弊がある、そは愚も亦甚だしいもので、余は相当なる智能に加ふるに勉強を以てすれば世人の謂ゆる逆境なぞは、決して来らぬものであると信ずるのである。

 以上述べた所よりすれば、余は逆境はないものであると絶対に言ひ切りたいのであるが、左様まで極端に言ひ切れない場合が一つある、それは智能才幹何一つの欠点もなく、勤勉精励、人の師表と仰ぐに足るだけの人物でも、政治界実業界に順当に志の行はれてゆく者と、其の反対に何事も意と反して蹉跌する者とがある、而して後者の如き者に対して、余は真意義の逆境なる言葉を用ゐたいのである。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.397-402

出典:逆境処世法(『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.544-553)

サイト掲載日:2024年11月01日