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人は万物の霊長であるといふことは、人皆自ら信じて居る所である、同じく霊長であるならば、人々相互の間に於ける何等の差異なかるべき筈なるに、世間多数の人を見れば、上を見るも方図がなく、下を見るも際限なしと云うて居る、現に我々の交際する人人は、上王公貴人より、下匹夫匹婦に至るまで、其の差異も亦甚しいのである、一郷一村に見るも、既に大分の差があり、一県一州に見れば、其の差は更に大きく、之を一国に見れば益々懸隔して、殆んど底止する所なきに至るのである。人既に其の智愚尊卑に於て斯様に差等を有するとすれば、其の価値を定むるも亦容易のことでは無い、況んや之に明確なる標準を附するに於てをやである、併し人は動物中の霊長として之を認むるならば、其間には自ら優劣のあるべき筈である、殊に人は棺を蓋うて後、論定まるといふ古言より見れば、何所かに標準を定め得る点があると思はれる。
人を見て万人一様なりとするには一理ある、万人皆相同じからずとするのも亦論拠がある、随つて人の真価を定むるにも、此の両者の論理を研究して適当の判断を下さねばならぬから、随分困難のことではあるが、其の標準を立つる前に、如何なる者を人といふか、先づ其れを定めてか〻らねばなるまいと思ふ、併しこれが中々の困難事で、人と禽獣とは何所が違ふかと言ふやうな問題も、昔は簡単に説明されたであらうが、学問の進歩に従つて、それすら益々複雑な説明を要するに至つたのである、昔欧州の或る国王が、人類天然の言語は如何なるものであるかを知りたいと思つて、二人の嬰児を一室に収容し、人間の言語を少しも聞かせないやうにして、何等の教育も与へずに置き、成長の後、連れ出して見たが、二人とも少しも人間らしい言語を発することが出来ず、唯獣のやうな不明瞭な音を発するのみであつたと言ふ、是は事実か否かは知らないが、人間と禽獣との相違は、極めて僅少に過ぎぬといふことは、此の一話によつても解かるのである、四肢五体具足して人間の形を成して居るからとて、我々は是を以て直ちに人なりと言ふことは出来ぬのである、人の禽獣に異なる所は、徳を修め、智を啓き、世に有益なる貢献を為し得るに至つて、初めて其れが真人と認めらる〻のである、一言にして之を覆へば、万物の霊長たる能力ある者に就てのみ、初めて人たるの真価ありと言ひたいのである、従つて人の真価を極むる標準も、此の意味に就て論ぜんとするのである。
古来歴史中の人々、何者か能く人として価値ある生活をなしたであらう、往昔支那の周時代にあつては、文武両王並び起つて殷王の無道を誅し、天下を統一して専ら徳政を施かれた、而して後世文武両王を以て道徳高き聖主と称して居る、して見れば文武両王の如きは、功名も富貴も共に得られた人と謂ふべきである、然るに文王武王周公孔子と並び称せられて居る夫子は如何である、亦聖人として崇められ、孔夫子に対して四配と言へる顔回、曾子、子思、孟子の如きも、聖人に亜ぐものとして推称せられて居るに関はらず、是等の人々は終生道の為に天下に遊説して、其の一生を捧げたものである、けれども戦国の際、一小国家すら自ら有することは出来なかつた、されど徳に於ては文武に譲らずして、其名も亦高いものであつたが、富貴といふ方面から之を物質的に評するならば、実に雲泥霄壌の差ありて比較にならないのである、故に若し富を標準として人の真価を論ずれば、孔子は確に下級生である、併し孔子自身は果して左様に下級生と感じたであらうか、文王、武王、周公、孔子皆其の分に満足して其の生を終つたとするならば、富を以て人の真価の標準とし、孔子を以て人間の下級生なりと為すのは、適当なる評価と言ひ得るであらうか、是を以て人を評価するの困難を知るべきである、善く其人の以てする所を視、其の由る所を観て、而して後その人の行為が世道人心に如何なる効果ありしかを察せざれば、之を評定することは出来ぬと思ふ。
我国の歴史上の人物に就て見るも、また其の感なき能はざるものがある、藤原時平と菅原道真、楠正成と足利尊氏、何れを高価に評定し、何れを低価とすべきか、時平も尊氏も共に富に於ては成功者であつた、併し今日から見れば、時平の名は道真の誠忠を顕わす対象としてのみ評さる〻に過ぎない、之に反して道真の名は、児童走卒と雖も尚ほ能く之を記憶して居る、然らば就[孰]れを果して真価ある者と目すべきであらうか、尊氏正成二氏に就て見るも同様である、蓋し人を評して優劣を論ずることは、世間の人の好む所であるが、能く其の真相を穿つの困難は是を以て知らる〻のであるから、人の真価といふものは容易に判定さるべきものでは無い、真に人を評論せんとならば、其の富貴功名に属する謂ゆる成敗を第二に置き、能く其人の世に尽したる精神と効果とに由つてすべきものである。
底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.235-240
出典:人格の標準(『竜門雑誌』第327号(竜門社, 1915.08)p.20-22)
サイト掲載日:2024年11月01日