テキストで読む

◎此にも能率増進法あり

 我々が始終――殊に私などは、其れに就ては恥入つて、諸君にも始終迷惑をかけるが、此物の切盛のつかぬ為に、無駄な時間を費す、之がどうも事物の進むほど注意せねば為らぬこと〻思ふ、従つて之が極端に行くと、能率が大変に悪くなる、能率の悪いといふことは職工か何かにある語ですが、職工ばかりでは無い、通常の事務を処する人でも、チヤンと時の極りが充分附いて、此の時間に是れだけの事をするといふことを遅滞なく完全に遂げて行くことが出来ると、謂は〻゙ 人を多分に使はぬでも、仕事は沢山に出来て来る、即ち能率が宜くなる、事務に於ても尚ほ然りと思ふ、自身にさう思ふが、さらば日本の諸君が、私ばかりが悪くて他の方は寔に其の権衡を得て、一日何時間働く、其の働く時間は仕事に従事をして居る分量が、寔に完全に、時計の刻むが如くやれ得るかと云ふと、決して爾うでない、或は使はぬでも宜い人を大に使ひ、一度で済むことを三度も人を走らせたり、さうして用は左まで〻ない、費府でワナメーカーが私を接待して呉れた、其の時間の遣ひ方などを見て、あ〻感心なものだ、成程斯うやると寔に少い時間にチヤンと多くの事が出来て、其日の仕事が完全に届くと思うて、頗る敬服したのである、既にテーラーといふ人が斯ういふ手数を省くことに就て大に説をなして、或る雑誌に池田藤四郎といふ人が之を書いてある、能率を増進するといふ論であるが、私は初め工場の職工か何かに就て言つたものとばかり思うて居た所が左様でない、もう日々お互の間に始終ある、ワナメーカーが私を待遇した有様を見ると、何も別に変つたことでもないが、丁度「ピツツブルグ」の汽車が五時四十分に費府に着く、着いたならば自働車を出して置く、六時までに私の店に来られるから、「ホテル」に寄らずに直ぐ来て呉れ、斯ういふ案内であつた、そこで指図通り費府に着くと宿にも寄らず、直ぐ自働車で行くと、六時二分か三分に着いた、先生は店に待つて居つて、直に私を案内して、先づ店の有様を一通り見せた、寔に目を驚かすやうな大きな店で、入口には大きな両国の国旗を建て、立派な華電灯を盛んに点じて、而かも其日に来た多数の客が未だ帰らずに待つて居つたから、何か大なる劇場の「ハネ」にでも出会つたやうな塩梅に群集をなして居る、其所を主人が案内して連れて歩く、先づ下の方の陳列場をズツと通りながら観て、それから「エレベーター」で二階へ上ると、先づ第一に見せたのは料理場、すつかり掃除して綺麗になつて居たが、是は上等の客の仕出をする所、其次は普通の客の仕出をする所、「コツク」の有様は斯うである、其次には秘密室といつて、何か店のことに就て秘密な協議をする所であるが、四五千人の会議が出来るといふ程の広さである、それから教育をする場所、店の人に極く当用の教育を与へる所、是等の諸所を見せた時間が軈て一時間位、それが済んで七時頃に私が「ホテル」に帰る時に、ワナメーカーが明朝は八時四十五分にお前を訪ねる、それなら朝餐は済むだらう、――済みます、丁度翌朝の八時四十五分にキチンと来た、是から大分長い話をして、正午頃まで話をして宜いか、宜しいと云ふからして、頻りに日曜学校に力を入れた理由は斯様である、一体お前の出身はどういふ人であると云ふやうなことから、段々談話が込入つて、つひ其為に一時間も彼は余計予期したよりも長き話をしたかと思ふ、昼餐になるから私は帰る、二時に来るから、夫迄に支度をして待つて〻呉れ、それから又二時にキチンと来て、今度は日曜学校の会堂に案内される、其の会堂は当人の建てたものか否か知らないが、中々立派な会堂で、総体では二千人も入るといふ、大勢の会員が居る、何時も此通りで、別に貴方が来たから多くの人を集めたのではないと云つて居た、牧師が聖書を講演し、それから讃美歌がある、それが終るとワナメーカーが私を紹介的の演説をした、それから私にも日曜学校に就て感じたことを言へといふことで、私も演説をした、更にそれに向つてワナメーカーが――此時には私も少し弱りました――是非孔子教を止めて基督教に宗旨変をせよと直接談判を大勢の前で迫られた、是には私も返答に苦んだ、それが終ると直ぐ隣りの婦人の聖書研究会に行つて演説し、次で一二丁隔つた所の労働的種類の人が集つて、聖書を研究する所に行き、彼は東洋から斯ういふ老人が来たから、是非握手したら宜からうと云つたので、四百人も居た残らずに、而かも向ふは労働者であるから、強く握られるので手が痛くなる位であつた、やがて五時半頃になつた、六時に立つて田舎へ行かねばならぬ約束があるので、一緒に旅宿の前まで来て別れる時に、是非もう一遍会ひたいが、何とか途は無からうかといふ話、――紐育には何日行く、三十日に行つて来月四日まで滞在して居る、然らば私は二日に紐育に行く用事がある、其時もう一遍会はう、何時か、午後の三時には立つて此地に帰らねばならぬ、然らば二時から三時までの間に紐育の貴方の店に行かうと約束し、二日の二時半、三時少し前位、少し遅くなつて遣損つては大に困ると思ひ、大急き[ぎ]で行くと、直ぐさまお前よく来て呉れた、是で満足だ、私も満足である、実はお前に御馳走は出来ぬから書物を進げたいと云つて、リンコルンの伝記、ゼネラル、グランドの伝記その他のものを与へ、且つ簡単に両氏の崇高なる人格を語り、自分もグランド将軍歓迎委員長であつたことなどを語り合ひて別れたが、其の切盛に一も無駄がない、話も亦適切である、私は実に敬服した、時間を無駄に使はぬこと斯の如くなれば、例の能率が如何にも増進するであらう、別に物を拵へる訳ではないが、詰り我々が時間を空費してるのは、丁度物を製作する場合に手を空くしてると同じことであるから、是はお互に注意して人間を無駄に使はぬは勿論のこと、我れ自身をどうぞ無駄に使はぬやうに心懸けたいと思ふ。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.330-336

出典:銀行倶楽部新年晩餐会に於て(『竜門雑誌』第336号(竜門社, 1916.05)p.30-43)

サイト掲載日:2024年11月01日