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大立志と小立志との調和

 生れながらの聖人なら知らぬこと、我々凡人は志を立てるに当つても、兎角迷ひ易いのが常である、或は眼前社会の風潮に動かされ、或は一時周囲の事情に制せられて、自分の本領でもない方面へ浮々と乗出す者が多いやうであるけれども、これでは真に志を立てた者とは謂はれない、殊に今日の如く世の中が秩序立つて来ては、一度立てた志を中途から他に転ずる抔のことがあつては非常の不利益が伴ふから、立志の当初最も慎重に意を用ふるの必要がある、其の工夫としては先づ自己の頭脳を冷静にし、然る後自分の長所とするところ、短所とするところを精細に比較考察し、其の最も長ずる所に向うて志を定めるが可い、又それと同時に、自分の境遇が其の志を遂ぐることを許すや否やを深く考慮することも必要で、例へば、身体も強壮、頭脳も明晰であるから、学問で一生を送りたいとの志を立て〻も、これに資力が伴はなければ、思ふやうに遣り遂げることは困難であると云ふやうなこともあるから、是ならば孰れから見ても、一生を貫いて遣ることが出来るといふ確かな見込みの立つた所で、初めて其の方針を確定するが可い、然るに左程までの熟慮考察を経ずして、一寸した世間の景気に乗じ、浮と志を立て〻駈け出すやうな者もよくあるけれども、これでは到底末の遂げられるものではないと思ふ。

 既に根幹となるべき志が立つたならば、今度は其の枝葉となるべき小さな立志に就て、日々工夫することが必要である、何人でも時々事物に接して起る希望があらうが、それに対し何うかして其の希望を遂げたいといふ観念を抱くのも一種の立志で、余が謂ゆる小さな立志とは即ちそれである、一例を挙げて説明すれば、某氏は或る行によつて世間から尊敬されるやうになつたが、自分もどうかしてあういふ風になりたいとの希望を起すが如き、是も亦一の小立志である、然らば此の小立志に対しては如何なる工夫を廻らすべきかと云ふに、先づ其の要件は、何所までも一生を通じての大なる立志に戻らぬ範囲に於て工夫することが肝要である、又小なる立志は其の性質上常に変動遷移するものであるから、此の変動や遷移に因つて大なる立志を動かすことのないやうにするだけの用意が必要である、詰り大なる立志と小さい立志と矛盾するやうなことがあつてはならぬ、此の両者は常に調和し一致するを要するものである。

 以上述る所は主として立志の工夫であるが、古人は如何に立志をしたものであるか、参考として孔子の立志に就て研究して見よう。

 自分が平素処世上の規矩として居る論語を通じて孔子の立志を窺ふに、『十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑はず、五十にして天命を知る云云』とある所より推測すれば、孔子は十五歳の時既に志を立てられたものと思はれる、併しながら其の『学に志す』と曰はれたのは、学問を以て一生を過す積りであるといふ志を固く定めたものか如何か、これは稍疑問とする所で、唯是から大に学問しなければならぬといふ位に考へたものではなからうか、更に進んで『三十にして立つ』と曰はれたのは、此時既に世に立つて行けるだけの人物となり、修身斉家治国平天下の技倆ありと自信する境地に達せられたのであらう、尚ほ『四十にして惑はず』とあるより想像すれば、一度立てた志を持ちて世に処するに方り、外界の刺戟位では決して其の志は動かされぬといふ境域に入つて、何所までも自信ある行動が執れるやうになつたと謂ふのであらうから、茲に到つて立志が漸く実を結び、且つ固まつて仕舞つたと謂ふことが出来るだらう、して見れば孔子の立志は十五歳から三十歳の間にあつたやうに思はれる、学に志すと曰はれた頃は、未だ幾分志が動揺して居たらしいが、三十歳に至つて稍決心の程が見え、四十歳に及んで始めて立志が完成されたやうである。

 是を要するに、立志は人生てふ建築の骨子で、小立志は其の修飾であるから、最初に夫等の組合せを確と考へてか〻らなければ、後日に至つて折角の建築が半途で毀れるやうなことにならぬとも限らぬ、斯の如く立志は人生に取つて大切の出発点であるから、何人も軽々に看過することは出来ぬのである、立志の要は能く己を知り、身の程を考へそれに応じて適当なる方針を決定する以外にないのである、誰も能く其の程を計つて進むやうに心掛くるならば、人生の行路に於て間違の起る筈は万々ないこと〻信ずる。

底本:『論語と算盤』(再版)(東亜堂書房, 1916.09)p.74-79

参考記事:立志の工夫(『青淵百話』(同文館, 1912.06)p.309-316)

サイト掲載日:2024年03月29日