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『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.330-337

四五、始めて世に立つ青年の心得

現代青年の通弊

 余が茲に始めて世に立つ青年といへるは、重に学校生活を卒へて後、始めて実社会に立つ青年を指したものである。凡そ青年が始めて社会に出でゝ実際の仕事に任じたる者の、就業の日未だ幾何ならざるに早くも我慢の心を生じ、『自分は偉いのに相当な地位を与へない』とか、或は『自分には詰らぬ仕事ばかり授けて置く』とか種々様々な不平を鳴らし、兎角自己の境遇に対して大なる不満を抱く様である。而して不思議なことには、斯ういふ苦情が必ず十人の中九人までの共通性であるやうに見受けらるゝことである。しからば青年自らが皆一様に自分を高しとし偉なりとして居る以上は、実際の仕事に当つてそれだけに働き得るであらうかといふに、事実は全くそれに反し、誠に意外の感に打たるゝのである。彼等に就いて一事一業を執らせて見ると、自分に担当させられた所謂『平凡な仕事』、『詰らぬ仕事』でさへも完全に処理することが出来ない位の者ばかりである。これ世に謂ふ『眼高うして手の卑きもの』で、其の不平を仔細に分析して見ると、自己の事務に堪へ得ぬといふことを自白して居ると等しいのである。要するに是現代青年の一大通弊であらうと思ふ。

 彼の『学は天人を貫き才は文武を兼ぬ』といふ抱負を持つて居ながら、或は不遇の中に終生を送る者も無いとは限らぬけれども、多くそれは昔にあつた事で、今の世に於て斯かる現象は殆ど有り得べからざることゝ言うて宜しからう。如何となれば社会の愈〻発達するにつれて、人材の必要は益〻其の度を高めてゆくから、完全の人物でありさへすれば必ず需要がある。若し又社会から見出されぬ迄も、各〻其の境遇に応じて全力を傾注し、歩一歩と向上的に進んで行けば、信用は自ら其の人の身辺に集中して、期せず求めざるも立身出世が出来るのである。立身出世の要旨は、絶対に自らこれを為すにあるのでなく、自己は自己の職を忠実に真正に守つてさへゆけば、他から其の人に立身出世といふ月桂冠を戴かせて呉れるものであるといふことを忘れてはならぬ。

順境と逆境

 凡そ人が社会に立つに方り不平を抱けば、如何なる事にも必ず不平は生じて来るものである。而して不平といふものは人の心をして惰慢に流れしめ、怨嗟愚痴に陥らしめて、それが為まゝ逆境に陥らしむるの恐があるものだから、将に世に立たうとする青年に取つては、最も意を注いで警戒しなくてはならぬことゝ思ふ。何事に依らず、世の中のことが我が意のまゝになることは少いものだから、其処に一つの『あきらめ』を持ち、或る程度迄不平なことをも堪へてゆかなくてはならぬ。この堪へることも度重ればそれが自ら習慣性ともなつて、遂には詰らぬ事に不平なぞ起さぬ様になり、何事も大局を見て楽観することの出来るやうになるものだから、平生此の心の修養が緊要である。

 偖、また、逆境の反対なる順境に処しつゝある青年の覚悟は如何にすべきかといふに、これもまた逆境に処すると同様大に注意しなければならぬことである。社会に立つて順境にあるもの、或は得意な時代に処するものゝ通弊として、往々調子に乗るの傾向があり、人間界の万事は総て意の如くになるものと思うたり、そして斯かる時代は同時[何時]もある者、何時迄も続くものと考へる。従つて其の心に油断とか安逸とかいふものが出来るから、間𨻶に乗じて来る外界の誘惑は忽ち其処につけ込み、終に一身を誤るといふことになるのである。『成名毎在窮苦日、敗事多因得意時』といふ句は言極めて簡単ではあるけれども[、]能く個中の消息を伝へたものだと思ふ。

 故に前途に幾多の希望を抱く青年は、心の緊縮ならんことを期し、如何に逆境に立つとも動ぜず、順境に処するも驕らず、所謂『貧にして諛はず、富んで礼を好む』といふ先哲の言を実地に行ふやう心掛くることが肝腎であらう。心の持ち方は此の簡単なる一語が青年の前途を闇黒にもし光明にもするのであるから、能く〳〵心してかゝらねばならぬ。

人格の修養

 次に現代青年に取つて最も切実に必要を感じつゝあるものは人格の修養である。維新以前迄は、社会に道徳的の教育が比軛[比較]的盛んな状態であつたが、西洋文化の輸入するに連れて思想界にも少からざる変革を来し、今日の有様では殆ど道徳は混沌時代となつた。即ち儒教は古いとして退けられたから、現時の青年には此が充分咀嚼されては居らず。というて耶蘇教が一般の道徳律になつて居る訳では尚更なし、明治時代の新道徳が別に成立したのでもないから、思想界は全くの動揺期で、国民は何れに帰向してよいか殆ど判断にさへ苦んで居る位である。従つて青年一般の間に人格の修養といふことは、恰も閑却されて居るかの感無きを得ない。こは実に憂ふべき趨向である。世界列強国が孰れも宗教を有して道徳律の樹立されて居るに比し、独り我国のみが此の有様では大国民として甚だ耻しい次第ではないか。試みに社会の現象を見よ。人は住々[往々]にして利己主義の極点に馳せ、利の為には何事をも忍んで為すの傾があり、今では国家を富強にせんとするよりも、寧ろ自己を富裕にせんとする方が主となつて居る。富むことも固より大切なことで、何も好んで簞食瓢飲陋𮎨に在つて其の楽を改めぬといふことを最上策とするには及ばない。孔子が『賢なる哉回や』と顔淵の清貧に安んじて居るのを褒められた言葉は、要するに『不義にして富み且つ富き[貴き]は我に於て浮雲の如し』といふ言葉の裏面を曰はれたまでゞ、富は必ずしも悪いと貶めたものではない。併し乍ら唯一身さへ富めば足るとして、更に国家社会を眼中に置かぬといふことは慨すべき極である。説は富の講釈に入つたが、何にせよ社会人心の帰向が左様いふ風になつたのは、概して社会一般人士の間に人格の修養が欠けて居るからである。国民の帰依すべき道徳律が確立して居り、人はこれに信仰を持つて社会に立つといふ有様であるならば、人格は自ら養成されるから、社会は滔々として我利をのみ之図るといふやうなことは無い訳である。故に余は青年に向つて只管人格を修養せんことを勧める。青年たるものは真摯にして率直、しかも精気内に溢れ活力外に揚る底のもので、所謂威武も屈する能はざる程の人格を養成し、他日自己を富裕にすると共に、国家の富強をも謀ることを努めねばならぬ。信仰の一定せられざる社会に処する青年は、危険が甚しいだけに自己もそれだけ自重してやらねばならぬのである。

処世の根本義

 偖、人格の修養をする方法工夫は色々あらう。或は仏教に信仰を求めるも宜しからう。或はクリスト教に信念を得るも一方法であらうが、余が青年時代から儒道に志し、而して孔孟の教は余が一生を貫いての指導者であつたゞけに、矢張忠信孝弟の道を重んずることを以て大なる権威ある人格養成法だと信じて居る。これを要するに忠信孝弟の道を重んずるといふことは全く仁を為すの基で、処世上一日も欠くべからざる要件である。既に忠信孝弟の道に根本的修養を心掛けた以上は、更に進んで智能啓発の工夫をしなければならぬ。智能の啓発が不十分であると、兎角世に処して用を成すに方り完全なることは期し難い。従つて忠信孝弟の道を円満に成就するといふことも出来なく成つて来る。如何となれば、智能が完全なる発達を遂げて居ればこそ、物に応じ事に接して是非の半別が出来、利用厚生の道も立つので、茲に始めて根本的の道義観念と一致し、処世上何等の誤謬も仕損じもなく、能く成功の人として終局を全ふすることを得るからである。人生終局の目的たる成功に対しても、近時多種多様にこれを論ずる人が有つて、目的を達するに於ては手段を択ばずなぞと、成功といふ意義を誤解し、何をしても富を積み地位を得られさへすれば、それが成功であると心得て居る者もあるが、余は左様の説には絶対に左袒することが出来ない、高尚なる人格を以て正義正道を行ひ、然る後に得た所の富、地位でなければ、完全な成功とは謂はれないのである。

 兎に角社会の風波の及ばぬ学校生活をして居た青年諸君が始めて社会に立つた時は、学窓時代の理想と相反するかと思はれる幾多の出来事に一時は遭遇するであらうが、遼遠なる前途を有する諸君は唯眼前の些事小節に意を労するなく、心を大局に注いで真の成功者たることを心掛けられ度い。始めて社会に立つた際諸君に不満を与へ不平を抱かしめた事実も、軈ては皆諸君の為に利益ある事柄となる事ばかりであるから、濫りに屈撓せず、慢心せず、能く中庸を守りて青年の本領を全うせられ度い。是余が経験から打算して諸君の為に一言を呈して置く次第である。

権威ある人格養成法(人格と修養)

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