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『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.161-167

二三、論語主義と権利思想

 世人動もず[す]れば、論語主義には権利思想が欠けて居る。権利思想無きものは文明国の完全なる教とするには足らぬと論ずるものが有るやうであるが、是は論ずる人の誤想謬見と謂はねばならぬ。成る程、孔子教を表面から観察したら、或は権利思想に欠けて居る様に見えるかも知れぬ。クリスト教を精髄とせる泰西思想に比較すれば、必ず権利の観念が薄弱であるが如く思はれるであらう。併し乍ら余は斯の如き言を為す人は、未だ以て真に孔子を解したるものではないと思ふ。

孔子は釈迦耶蘇とは成立を異にせり

 クリストや釈迦は始より宗教家として世に立つた人であるに反し、孔子は宗教を以て世に臨んだ人ではないやうに思はれる。クリストや釈迦とは全然其の成立を異にしたものである。殊に孔子の在世時代に於ける支那の風習は、何でも義務を先にし、権利を後にするの傾向を帯びた時であつた。斯の如き空気の中に成長し来つた孔子を以て、二千年後の今日全く思想を異にしたクリストに比するは、既に比較す可らざるものを比較するのであるから、此の議論は最初より根本を誤つたものと謂ふべく、両者に相違を生ずることは固より当然の結果たらざるを得ないのである。然らば孔子教には全然権利思想を欠いて居るであらうか。以下少しく余が所見を披攊[披瀝]して世の蒙を啓き度いと思ふ。

 論語主義は己を律する教旨であつて、人は斯くあれ、斯くあり度いといふ様に寧ろ消極的に人道を説いたものである。而して此の主義を押し広めてゆけば遂には天下に立てるやうにはなるが、孔子の真意を忖度すれば初めから宗教的に人を教へる為に説を立てようとは考へなかつたらしい。けれども孔子には一切教育の観念が無かつたとは言はれぬ。若し孔子をして政柄を握らしめたならば、善政を施き国を富まし、民を安んじ、王道を十分に押し広める意志であつたらう。換言すれば初は一の経世家であつた。其の経世家として世に立つ間に、門人から種々雑多のことを問はれ、それに就いて一々答を与へた。門人と謂つても各種の方面に関係を持つた人の集合であるから、其の質問も自ら多様多岐に亘り、政を問はれ、忠孝を問はれ、文学、礼楽を問はれた。此の問答を集めたものが軈て論語廿篇とはなつたのである。而して詩経を調べ、書経を註し、易経を集め、春秋を作りたる抔は晩年のことで、福地桜痴居士が曰へる如く、六十八歳より以後の五年間を、纔に布教的に学事に心を用ひたらしく見える。されば孔子は権利思想の欠けたる社会に人となり、而も他人を導く宗教家として世に立つた訳でないから、其の教の上に権利思想が劃然として居らぬのは已むを得ざる所である。

両極は一致す

 然るにクリストは之に反し、全く権利観念に充実された教を立てた。元来猶太、埃及等の国風として預言者といふ様な者の言を信じ、従つて其の種の人も多いのであつたが、クリストの祖先たるアブラハムよりクリストに至るまで殆ど二千年を経て居る間に、モーゼとかヨハネとかいふ幾多の預言者が出て、或は聖王が出て世を治めるとか[、]或は王様同様に世を率ゐて立つ所の神が出るとか云ひ伝へて居た。此の時に方つてクリストは生れたのであつたが、国王は預言者の言を信じ、自己に代つて世を統ぶる者に出られては大変だといふ所から、近所の子供を皆殺させたけれども、クリストは母マリヤに連れられて他所に行つた為に此の難を免れた。耶蘇教は実に斯の如き誤夢想的の時代に生れたる宗教であるから、従つて其の教旨が命令的で又権利思想も強いのである。

 併しクリスト教に説く所の『愛』と、論語に教ふる所の『仁』とは殆ど一致して居ると思はれるが、其処にも他働的と自働的との差別はある。例へば耶蘇教の方では、『己の欲する所を人に施せ』といふ様に教へてあるが、孔子は『己の欲せざる所を人に施す勿れ』と反対に説いて居るから、一見義務のみにて権利観念が無いやうである。併し両極は一致すと謂へる言の如く、此の二者も終局の目的は遂に一致するものであらうと考へる。

人間の守る可き道としての孔子教

 而して余は、宗教として将た経文としては耶蘇の教がよいのであらうが、人間の守る道としては孔子の教がよいと思ふ。こは或は余が一家言たるの嫌があるかも知れぬが、殊に孔子に対して信頼の程度を高めさせる所は、奇蹟が一つもないといふ点である。クリストにせよ、釈迦にせよ、奇蹟が沢山にある。耶蘇は刑せられた後三日にして蘇生したといふが如きは明かに奇蹟ではないか。尤も優れた人のことであるから、必ず左様いふことは無いと断言も出来ず、それ等は凡智の測り知らざる所であると謂はねばなるまいが、併しこれを信ずれば迷信に陥りはしまいか。斯かる事柄を一々事実と認めることになると、智は全く晦まされて、一滴の水が薬品以上の効を奏し、焙烙の上からの灸が利目あるといふことも事実として認めなければならなくなるから、其の因つて来る所の弊は甚しいものである。日本も文明国だと謂はれて居ながら、未だ白衣の寒詣や、不動の豆撒きが依然として消滅せぬのは、迷信の国だとの譏を受けても仕方がない。然るに孔子に此の忌む可き一条の皆無なのは余の最も深く信ずる所以で、又是より真の信仰は生ずるであらうと思ふ。

論語にも権利観念はある

 のみならず、論語にも明かに権利思想の含まれて居ることは、孔子が『仁に当つては師に譲らず』といつた一句これを証して余りあることゝ思ふ。道理正しき所に向うては飽くまでも自己の主張を通してよい。師は尊敬すべき人であるが、仁に対しては其の師にすら譲らなくもよいとの一語中には、権利観念が躍如として居るではないか。独り此の一句ばかりでなく、広く論語の各章を渉猟すれば、これに類した言葉は尚沢山に見出すことが出来よう。

 之を要するに論語主義に権利思想の伴はぬと論ずる人は、人道を消極的に説いて居るといふ所に気付かぬ人である。泰西の思潮はクリスト教を根底として居る。其の教は積極的であるから、其の思想にも亦自然積極的の所があつて、権利観念の如きは其の著しくこれを表明したものであるが、東洋思想は多く消極的であるから、内にこれを蓄へて居ても、外にそれと明かに現れない。其処が即ち誤解の生ずる所で、人道に東西の別ある筈もないから、終局は一致せねばならぬ訳であるが、唯其の説く所の方法如何に依つて右とも左とも見えるのである。されば論語主義に対して権利思想の有無を論ずるは、全く積極論と消極論との別あるを知らぬ人の言である。論語にも文明思想の一たる権利観念は明かに含まれて居るのである。論語主義も、一部の人士が想像する程没権利的のものでないことは、敢て余が説明を竢つまでもないことであらう。

仁に当つては師に譲らず(算盤と権利)

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