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『青淵百話 : 縮刷』(同文館, 1913.07)p.274-282
三七、当来の労働問題
日本の商工業といふても維新以前までは未だ幼稚なものであつた。其の頃の商業といへば小売商、工業といへば手内職に過ぎぬ程のもので。[、]一国の経済機関は極めて単純であつたから、富の程度も比較的平均を保つて、著しい貧民もなかつた代り、財貨一世を圧するといふが如き富豪も亦出来なかつた。所が維新以降世運の向上進歩するに伴ひ、国家の経済組織も自ら複雑を加へ、商業にまれ工業にまれ、大資本を投じて雄大なる計画を為すべき時代に推移して来た。従つて過去に平均を保つて居た富の分配もそれに連れて動揺を生じ、一方に巨万の富を擁する富豪が輩出すると亦一方にはそれと正反対に、身外無一物の貧民を出すに至つた。これ要するに生存競争の結果であつて世が文明に進めば進む程、貧富の懸隔に愈〻等差を生ずるは蓋し数の免れ難き所である。
併し貧富の懸隔を生ずるといふだけならまだしもであるが、其の結果は貧民と富豪、即ち労働者と資本家との間柄が自ら円滑を欠くに至り、反目衝突の極、遂に社会の秩序を紊し国家の安寧を害するが如きことあるに至るは、欧米先進国に於て往々見る所の事相である。これ真に貧富懸隔に伴ふ悪果であるが、欧米の学者政治家は早くよりこれが救済に就いて頭脳を痛め、何とかして、両者の間を調和し、其の関係を円満ならしめ度いとは、彼等が居常忘るゝ能はざる研究題目である。幸にして我が国は泰西文明輸入の年月が短いのと、一般の風習に差異あるとによりて、未だ欧米の如く労働問題が切迫して居らないから、今日のまゝに打ち棄て置けば置かれぬといふ程でもなからうが、欧米の先蹤に傚へば早晩左様いふ時代も見舞うて来るに相違ないとの観測が下される。果して然らば我が国の現在の如く、未だ険悪の性質を帯びない中に、これを未発に防ぐだけの用心が肝腎であらう。嚮に我が国の学者間に『社会政策学会』など云へるものが設立せられ、それ等に関する研究を試みんとせられた。誠に機宜を得たるものといふべく、余も亦大に其の趣旨に賛同するものである。
けれども斯かる社会問題などは、其の性質上得て行違ひの生じ易いもので、彼等を煽動する気はなくとも、動もすれば彼等は其の唱道する所の趣意を誤解し又は曲解して、遂には不慮の間違を惹起するやうなことが無いとも謂はれない。試みに其の一例を挙ぐれば、彼の日露戦役媾和の際に発作せる日比谷事件の如き、必ずしも社会主義者や労働者の暴動といふ意味のものでは無かつたけれども、媾和条件を不満足に憤激したる少数人士の或る行動が動機となつて、帝都にあるまじき不体裁の有様を演出するやうになつて仕舞つた。これを冷静に考ふれば彼の事件に関係した人々とて、最初から左程に無法の挙に出でようとの下心があつた訳でもなかるべく、又無法の挙に出でたからとて何等の裨益する所のないのは承知して居たであらうに、人気の発作といふものは不可思議の力を有するもので、一旦爆発すればそれが那辺まで行き走るか知れない。遂にあんな騒動を惹き起すに至つたのは、呉々も遺憾千万のことである。兎角に人の気は勢に乗じ易いもので多人数群居集合すれば、其処に自らなる過激の挙動を生じて来るものである。されば誰とは無く唯ざわ〳〵と騒ぎ立つ一団の気勢に乗せられて、我と我が思慮分別を失ひ、その行動に定規を逸して心にもない結果に立ち至る様になる。斯の如きことは相当なる学問見識を有する人々にすら免れざる勢であるから、況や感情の奔馳する識見卑き労働者の如きは、勢に乗せられて自己を没却するの行動に出づることあるは、寧ろ無理なき次第であらうと思ふ。故に彼等を主題として、社会問題、労働問題を論議する学者政治家は、深く斯かる点に注意する所ありて須く慎重の態度に出でられんことを切望するものである。
近時政府当局者は社会問題、労働問題等につきて大に自覚する所があつたものと見え、労働者保護の名の下に『工場法』を制定するに至つた。抑〻工場法制定の必要を唱道せられたのは、日本に紡績業の始めに起つた当時のことであつた。其の頃の社会一般の情態に徴して、余は其の当時それに対して尚早説を唱へたのであつたが、今日になつて見れば余は最早其の制定に反対するものではない。唯恐るゝ所は労働者保護といふ美名の下に、却て後日に幾多の禍根を残すに至りはしまいかとの懸念である。例へば、従来は比較的円満であつた労働者と資本家との関係を、工場法の制定に因つて乖離せしむるやうなことはあるまいか。また年齢に制限を加へるとか、労働時間に一定の規定を設けるとか云ふやうなことは、却て労働者の心に反くものではあるまいか。如何となれば彼等は小供にも働かせ、自分も出来るだけ長時間働いて、沢山の賃銭を得度いとの趣意であるが、若し小供は工場に用ひぬとか、時間も一定の制限があるとかいふことになれば、彼等の目的は全く外れて仕舞ふやうになるからである。また同じ工場法の中に衛生設備に就いて中々六ケ敷くいうてある様であるが、これも一見立派のやうに聞えるが、其の実内容の伴はぬものではあるまいか。なぜならば衛生設備を八釜しくいふのは、即ち職工等の衛生を重んずるからのことであるに相違ないとしても、それが為め資本家側は少からざる経費を特に支出して、其の設備を完全にしなくてはならぬ。経費が嵩めば、其の結果職工の賃銭を引下ぐる様にしなければ収支相償はない。それでは折角労働者の保護を名としても[、]実質は之に伴はぬものとなつて仕舞ふではないか。一方労働者等が自家に於ける生活状態を見るに、十人が十人衛生設備の完全な家屋に住居しては居らない。彼等に取つては少し位衛生設備に欠くる点はあつても、成る可く労働賃銭の多からんことを希望して居るのであるのに、徒らに衛生設備ばかり際立つ程よく行き届いても、命と頼む賃銭が却て減却されては、彼等は寧ろそれをより大なる苦痛と心得るであらう。斯かる次第であるから、労働者保護てふ美名の下に制定された工場法も、其の実際に於ては却て労働者を泣かす結果を来さねばよいがと頗る寒心に堪へぬのである。
惟ふに社会問題とか、労働問題等の如きは、単に法律の力ばかりを以て解決されるものでない。例へば一家族内にても、父子兄弟眷族に至るまで各権利義務を主張して、一も二も法の裁断を仰がんとすれば、人情は自ら険悪となり、障壁は其の間に築かれて、事毎に角突合ひの沙汰のみを演じ、一家の和合団欒は殆ど望まれぬこととなるであらう。余は富豪と貧民との関係も亦それと等しいものがあらうと思ふ。彼の資本家と労働者との間は、従来家族的関係を以て成立して来たものであつたが、俄に法を制定してこれのみを以て取締らうとする様にしたのは、一応尤なる思立ちではあらうけれども、これが実施の結果果して当局者の理想通りにゆくであらうか。多年の関係に因つて[、]資本家と労働者との間に折角結ばれた所の言ふに言はれぬ一種の情愛も、法を設けて両者の権利義務を明かに主張するやうになれば、勢ひ疎隔さるゝに至りはすまいか。それでは為政者側が骨折つた甲斐もなく、又目的にも反する次第であらうから此処は一番深く研究しなければならぬ所であらうと思ふ。
試みに余の希望を述ぶれば、法の制定は固よりよいが、法が制定されて居るからというて、一も二もなくそれに裁断を仰ぐといふことは成る可くせぬ様に仕度い。若し夫れ富豪も貧民も王道を以て立ち、王道は即ち人間行為の定規であるとの考を以て世に処するならば、百の法文、千の規則あるよりも遥に勝つたことゝ思ふ。換言すれば資本家は王道を以て労働者に対し、労働者も亦王道を以て資本家に対し、其の関係しつゝある事業の利害得失は即ち両者に共通なる所以を悟り、相互に同情を以て終始するの心掛ありてこそ、始めて真の調和を得らるゝのである。果して両者が斯うなつて仕舞へば、権利義務の観念の如きは徒らに両者の感情を疎隔せしむる外、殆ど何等の効果なきものと言うて宜からう。余が往年欧米漫遊の際実見した独逸のクルップ会社の如き、又米国ボストン附近のウォルサム時計会社の如き、其の組織が極めて家族的であつて、両者の間に和気靄然たるを見て頗る歎称を禁じ得なかつた。これぞ余が所謂王道の円熟したもので、斯うなれば法の制定をして幸に空文に終らしむるのである。果して斯の如くなるを得ば、労働問題も何等意に介するに足らぬではないか。
然るに社会には此等の点に深い注意も払はず、漫りに貧富の懸隔を強制的に引直さむと希ふ者が無いでもない。けれども貧富の懸隔は其の程度に於てこそ相違はあれ、何時の世、如何なる時代にも必ず存在しないといふ訳にはゆかぬものである。勿論国民の全部が悉く富豪になることは望ましいことではあるが、人に賢不肖の別、能不能の差があつて、誰も彼も一様に富まんとするが如きは望むべからざる所、従つて富の分配平均抔とは思ひも寄らぬ空想である。要するに富む者が有るから貧者が出るといふ様な論旨の下に、世人が挙つて富者を排擠するならば、如何にして富国強兵の実を挙ぐることが出来ようぞ。個人の富は則ち国家の富である。個人が富まんと欲するに非ずして、如何でか国家の富を得べき。国家を富まし自己も栄達せんと欲すればこそ、人々が日夜勉励するのである。其の結果として貧富の懸隔を生ずるものとすれば、そは自然の成行きであつて、人間社会に免る可らざる約束と見て諦めるより外仕方がない。とはいへ、常に其の間の関係を円満ならしめ、両者の調和を計ることに意を用ふる事ほ[は]、識者の一日も欠く可らざる覚悟である。之を自然の成行き、人間社会の約束だからと其の成る儘に打ち棄て置くならば、遂に由々しき大事を惹起するに至るは亦必然の結果である。故に禍を未萠に防ぐ手段に出で、宜しく王道の振興に意を致されんことを切望する次第である。
(明治四十四年の春)