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『竜門雑誌』第302号(竜門社, 1913.07)p.13-20
演説及談話
◎我邦の現状に鑑み政府当局者及実業家諸君に望む
青淵先生
本篇は青淵先生が東京商工懇話会の請ひに応じ同会第十七次例会に臨まれて演説せられたるものにて七月五日発行の「日本工業協会雑誌」に掲載せられたるものなり(編者識)
一
世の中の事物が追々進んで参りますからこれに対して商工共に進んで参ることは論を俟ちませぬけれど、殊に今日の日本に於て諸君の御力入が最も必要であるといふことは単り私が申上げるばかりでなく、諸君が御自身に深く御感じであらうと思ふのです。戦後の日本経済状態が始終輸入の超過、輸出の衰退とまでは申しませぬけれども輸入の進んで来るに対していつも満足とは申せぬのです。斯かる有様であつては曾て大国難に際して受けたる疵、即ち国民が大なる力を入れて払ふた犠牲、二十億に近い借金はいつになつて還し得らる〻かと懸念せねばならぬ、此嘆声は私が茲に喋々せぬでも新聞紙も書いて居る、雑誌も書いて居る、総ての方面で識者と云はず学者と云はず、誰も論ずるのでございますけれども誰が論じても矢張り人が論ずるから自分は黙つて居つて宜いといふ訳にはいかない、均しく心配しなければならぬ。均しく論ぜねばならぬ。此を恢復しようといふにはどうしても貿易の傾向を完全にせしむるより外はない。詰り輸出入の均衡を得るより外、国債を払ひ得るといふことは出来ぬ。金の茶釜でも、沢山掘出したら格別ですが、戦時には指環を鎔かし、時計を潰すといふ説もありましたけれども、装飾の金箔まで剝いて、貿易の均衡を合せるといふに至つたら、それこそ国は破滅といふ訳になりますから、さういふことを希望する筈もない、故に如何にしても此貿易の「バランス」に依つて債務を償却して行く外はない。此貿易の「バランス」を完全ならしむるには単り商工同業者の御力許りで行けるとは思はぬ、必ず他に色々之に後援する者がなくてはならぬ、けれども、其局に当つて御力を入れるのはどうしても諸君に俟たざるを得ぬと思ふのでございます。而して諸君をして完全な働をして戴くといふに付ては、或は政治上にも又経済上にも斯く申す私共は微力ながら金融業者で、銀行を経営して居ります。此銀行も矢張り与つて力あると申さなくてはならぬと思ひます。殊に此経済に関係のあるものは財政であつて、此財政上に付て最も貿易は強い影響を与ふると思ひますのです。日本の今日の財政が貿易の権衡に対して其宜しきを得て居るかといふことに付ては、殆ど万口一致甚だ宜しきを失つて居ると答へざるを得ぬ、今日に於て是非之を改良せねばいかぬ、緊縮せねばいかぬ、といふことも国を挙げて声を同じうして居るやうに存じます。前の内閣で終に其改正を遣り遂げ了ふせぬで茲に新内閣が成立しましたが、是から先き如何相成りますか諸君と共に此財政を改良して大に政費の膨脹を防いで、努めて此貿易上に力を注いで、生産に完全な勢力を注入するといふことを政治上からも大に希望せねばならぬと思ひます。此事に付ては何れ各方面からの希望がございませうから、私は銀行業者として前内閣にも其前の内閣にも頻りに希望を申述べて居りましたが、まだ新内閣は成立早々である為めに、改めて実を挙げて斯くありたいといふ請求をば御懇意づくには申しましたけれども、形式上申出し得られませぬが、近い将来にそれ等の取運びを致したいと今や頻りに考へて居ることでございます。詰り申すと政費を節約して、公債は必ず約束通りの償却を遂げ、出来得るならば、一般の租税に対しても相当に改良を加へ、又諸官省の事務が年を重ぬるに従て自然と繁文縟礼の弊が多くなつて、手数は大変に掛るけれども仕事は薩張り運ばぬ。多く事務が形の上に重きを置いて、精神には甚だ行届かぬといふ嫌が殊に官庁に甚しいかと思はれます。又生産事業に付て敢て粗略にするといふではないでせうけれども、厚い注意を以て国を挙げて此事務に力を添へるといふことが少いやうである。口の先筆の上では甚だ必要だと申されるけれども、所謂低い声で唱へて居つて、其必要さは他の必要に比べると二段も三段も落ちるやうである。私は殆ど四十年の間商工業の必要を唱へて居りましても矢張り他の事物に較べると後ろの方に置かる〻といふことは、即ち今日経済の不安を感ずる一因であらうと思ひます、是等に付ては事々に対して適切に斯かる繁文がある。斯かる縟礼がある。斯く生産に対して力の入れ方が少い。斯ういふことは斯くありたいといふ様に総て具体的に声を揚げて希望するといふことに至らねばなるまいかと思ひます。銀行者として必要なことは成べく丈け事実を指摘して或機会に於て総理大臣なり大蔵大臣に陳情したいといふことを考へて居ります。昨年来東京商業会議所に於かれても単り東京ばかりでなく、各地商業会議所の聯合を以て財政経済に対しての改良手続を余程細かに指摘して建議されてある。私は其書面を拝見いたし感服して居ります。多分御集りの諸君には商業会議所の議員もあらつしやるやうで、其議を賛成なすつたり、或は自ら御発案なすつた方もあるでせう。私は此建議は頗る肯綮を得たものと思ふ。どうぞああいふものがもうちつと世の中に声が高まれかしと希望いたしますけれども、兎角前に申す通り法律とか或は国際上の関係とか、或は二個師団の問題なぞといふと、善かれ悪かれ声が高くなるが、商業会議所の建議案はアヽさういふものがあつたかといふて聞棄てにされるといふ有様であつて、即ち此実業一般の響きも尚且注意の薄いといふことが今日の通弊と申さねばならぬと思ひます。果して然らばさういふ我々自身、即ち此御集会の諸君からして自ら低くする、自ら其声を高めぬといふのが矢張り一の病根ではないかと思ひます。人を責めるよりは自らを先に責めねばなるまいかと始終私は苦慮いたして居りますから、どうぞ諸君にも充分其辺に御注意あつて此実業の発達、生産の増加といふものに付ては最も国家の重要事務といふ観念を有つて、若し行政官がそれ等に対して余り軽卒な取扱ひがあるとか、又は余り形式に属するとかいふことがあつたらば、随分やかましく論ずるといふ位にまで致したいこと〻思ふのでございます。例を引て申上げると色々な事が形の上から論じ去つて、所謂形式に流れるといふは官途に許りではない。我々の範囲内にも無いとは言はれませぬが、併し先づ比較して官辺に多いやうに思ひますから、是は国を挙げて一致して此弊害を除くといふことを希望いたしたいものでございます。
二
鉄道なども大に力を加へて商工業に対して充分なる働をして欲しいものでございますけれども、即ち国有にしたいといふ趣意は或一部にはそれを意味して居るやうです。併し声言は其通りに意味して居るけれども、事実は一向さうはなつて居らぬと申したい。甚しきは民業に妨害を与ふるといふこともございます。或私設鉄道会社の運賃引下を願ふたのに政府鉄道の都合が悪いから其値を下げることを聴かぬとか、又或電気鉄道が丁度国有鉄道と聯絡して居る塲所に付ては、特に一停車塲向ふが競争点となつて居るので、其処の運賃を下げた例など〻いふものは殆ど政府の事業が民業を圧迫どころではない、妨害するといふことにも成るだらうと思ひます。些細なことで苦情を言ふやうですけれども、私は王子に住つて居りますが、王子の鉄道の取扱に付て大に立腹して、品に依つたら鉄道院総裁にまで建議しようとまで思ふたことがございます。誠に細事で斯んな塲所で御話するのはつまらぬが、兎角官府の仕事はさうなるといふ弊害の一として申上げます。それは私の郷里が深谷の近在にあります。で、此程郷里に参りまして、帰京の際深谷で上等の切符を買ひましたが来た汽車は二等のみしか附いて居ない。勿論時間もないから聞質すことも出来なくなつて、一等の切符を持つて二等列車に乗つて王子の停車塲で其一等切符を駅長に示して列車が二等しかなかつたから、二等で来たが是は必ず賃金の割合が違ふ筈だから其勘定をして余つた分は戻して呉れといふことを、迎ひに来た者に言はせますと、王子停車塲の駅長は其証明書を出さぬと余分の賃金を戻さぬと言ひます。其証明書といふは何を出すかといふと、深谷に於て確に一等列車が無かつたといふことを私から深谷駅長に頼んで証明して貰へといふことでありました。是に至つて私は実に憤怒して駅長に掛合ひました。駅長といふ者は汽車の到着した時に見届けをすべき職責はある者と思ふ。其証拠には必ず汽車の来た時分には確に列車が来たといふことを駅長が証明して居る。左すれば眼の見える駅長ならば一等列車であるか二等であるかは其列車に大きな白青赤の印しが附けてあるから充分に見えなければならぬ。それを証明書を出せといふことは何たる馬鹿気た事ぞ、兎角に諸役所では動もすると証明証明とくだらぬことに時日を空費する。畢竟駅長は其為に有つて居る眼であるから、其眼を明きさへすれば直ぐ見えるのである。己の眼をあけず己の勤めを務めずして、証明書を出せといふは何事ぞ。さういふことをするなら鉄道といふものは人に迷惑を与へるものになる、愈々駅長が証明書を出せと言ふなら鉄道院に行つて聴かなければならぬがどうかといふことを、掛合ひました所が、それは間違ひである、証明書を出せといふたのは甚だ不注意であつたといふて、態と人が来て呉れましたから、私の為めに謝して呉れるは忝いけれども、どうぞ向後さういふことの無いやうにして貰ひたい。私の宅まで来て挨拶して呉れるのは至極鄭重と思ふけれども、併ながら若し渋沢でなかつたらば強て証明書を要求なさるか知れぬ。して見ると渋沢丈けの証明書を要求せぬのであると、私にのみ礼を厚うするといふやうに見えるから、迷惑だ。さういふ御考でなく、誰であつても同じやうにして欲しい。然らざれば鉄道は公の利益になるまいと思ふから、二度の小言をいふ様ではあるけれども、能く御注意を願ひたいと申したのです。是等のことは些細な間違であるが、若し是が民業の鉄道であつたら真逆斯ういふことに証明書を出せと言ひはしまい。官辺のことの形式に流れ縟礼が多いといふに付て、飛んだ引合ひに出して王子の駅長には御気の毒であるけれども、是も一例と謂ふべきであると思ふ。右等のことは敢て喋々すべきことでありませぬが、繁縟の弊害は惹いて此の如きまでになり易いものであるから、努めて之を注意して御互に充分に防ぐやうにしようではありませぬかといふことを申上ぐる為の一例であります。此程の内閣組織の後に要路の御方に御目に掛りましたから、予て此実業上に力を入れて下さるといふことは言葉に多くして事実に少いといふのが、是までの通弊のやうに思ひます。どうぞ此言葉よりも事実に現はる〻やうに致したい。今日の塲合実に上下一致大に力を入れるといふことがございませなんだから、前に申す如く唯財政を緊縮するとか、或は税制を整理するとか、会社を調和するとか、交通を便利にするとか言ふばかりではいけますまいと切実に陳情したことがございますが、自分の希望はさうでございますから、若し諸君に御考案のことがございましたならば、私が王子の駅長に申した如くに御遠慮なく御陳述なさる様にしたいものであります。
三
斯く申すと諸君に御差合ひになるかは知れませぬで、実際を熟知せぬ私が批難がましいことを諸君に申上ぐるは頗る失礼でございますけれども、御互実業者側殊に輸出貿易に従事する諸君などに向つて商業道徳と云ふと、商業にのみ道徳があるものでない、道徳といふものは世の中の人道であるから、単に商業家にのみ望むべきものでない、商業の道徳は斯くある、武士の道徳は斯うである、政治家の道徳は斯様であると、何か官服の制度見たやうに筋が三つあるとか四つあるとかいふ如き変つたものではない、人道であるから総ての人が守るべきもので、孔子の教で云ふならば孝悌は仁を為すの本といふやうに、初に孝悌から始めて、それから大きく仁義にもなり、忠恕にもなる。之を総称して道徳といふやうに相成つて来るでありませう。さういふ広い人道的の道徳でなくして、商売上殊に輸出の御営業などに付て御注意を望みますのは、競争に属する道徳である。是は特に御申合せなされて其間の約束を道徳的に堅固にしたいと私は希望して止まぬのでございます。総て物を励むには競ふといふことが必要であつて、競ふから励みが生ずるのでございます。所謂競争といふものは勉強又は進歩の母といふことは事実である。けれども此競争に善意の競争と悪意の競争との二種類があるやうでございます。一歩進んで申すならば毎日人よりも朝早く起き善い工夫を為し、智慧と勉強とを以て他人に打克つといふは、是れ即ち善競争である。併ながら他人が事を企つて世間の評判が善いから之を真似て掠めてやらうといふて、側の方から之を侵すといふのであつたら悪競争である。簡単に申せば善悪二に言ひ得ますけれども、其事業は百端で、競争も亦限りなく分れて参ります。而して若し此競争の性質が善でなかつた塲合は、己れ自身には事によりて利益ある塲合もありませうけれども、多くは人を妨げるのみならず、己れ自身にも損害を受くる。単に自他の関係のみに止まらずして、其弊害や殆ど国家にまで及ぶ。日本の商売は困つたものだと外国人に軽蔑されるやうに終になつて来るだらうと思ひます。是に至ると其弊や実に大でございまする。今日御集りの方々などに斯かることはありますまいが、ひよつとありはせぬかと、婆心を申上ぐるのであります。若し諸君が断じてないといふことならば私は甚だ失礼と陳謝いたします。併し世間押並べて此弊害は多いと聞いて居ります。恰も前に申した官辺に繁文縟礼が多いと同様の声を以て聞いて居ります。殊に雑貨輸出の商売などに付て悪い意味なる競争、即ち道徳に欠くる所ある事柄が人を害し己を損し併せて国の品位を悪くする。商工業者の位地を高めようと御互に努めつ〻、反対に低めるといふことになるのでございます。然らば如何なる度合に経営したら宜からうかと申すならば、須く事実に依らねば申上げ得られませぬが、私が思ふには善意なる競争を努めて、悪意なる競争を切に避けるのであります。此悪意なる競争を避けるといふことは、詰り御互の間の商業道徳を重んずるといふ強い観念を以て固まつて居つたならば、勉強するからとて悪意の競争にまで陥るといふことはなく、或度合に於て斯うしてはならぬといふ寸法は、「バイブル」を読まぬでも、論語を諳んじぬでも必ず分るであらうと思ふ。元来此道徳といふものを余りむづかしくて考へて、東洋道徳で云ふならば四角の文字を並べ立てると終に道徳が御茶の湯の儀式見たやうになつて、一種の唱へ言葉になつて、道徳を説く人と道徳を行ふ人とが別物になつて仕舞ふ。是は甚だ面白くない、全体道徳は日常にあるべきことで、ちよつと時を約束して間違はぬやうにするのも道徳である。人に対して譲るべきものは相当に譲るのも道徳である。又或塲合には人よりは先にして人に安心を与へてやるといふのも道徳である。事に臨んでは義俠心を持たなければならぬ、是も一種の道徳である。ちよつと品物を売るに付ても道徳は其間に含んで居る。故に道徳といふものは朝に晩に始終附いて居るものである[。]然るを道徳を大層むづかしいものにして、隅の方に道徳を片附けて置いて、さて今日からは道徳を行ふのだ。此時間が道徳の時間だといふやうな臆劫なものではない。若し商工業などに付ての競争上の道徳といふものであつたなら、上来再三申上げた通り善意競争と悪意競争、妨害的に人の利益を奪ふといふ競争であれば之を悪意の競争といひます。而して其分界は誰人でも自己の良心に徴して判別し得ることと思ひます。是は殊に今日御集会の皆様方の御営業に付ては諸君は既に充分に御守りになつて居ることと思ひますけれども、更に道徳堅固なることを願ひます。
四
前にも申します通り、未来の国家はどうしても諸君の御力に依つて益々繁盛を来さなければならぬ、其繁盛を期する所の原動力は今申します通り政治に対し、金融に対し、運送も陸に海に総ての方面に対して御互に論じ合うて、悪いことは速に改良して行くといふことを力めなければなるまいと思ふ。而して最終に更に重複して願ふのは、諸君の御勉強は飽までせぬければならぬ。注意は飽迄せぬければならぬ。進歩は飽までもせぬければならぬ。同時に悪意競争をしてはならぬといふことを強く御心に御止め下されたいと斯う思ひます。諸君御自身が决して悪競争する御意思でないことは信じ上げますが、世間一般にさういふ弊害がまだ余程多くございますが、斯く御集りの諸君の御尽力で其弊害を芟除して行くことが最も必要であらうかと考へます。此席に罷り出ましたに付て唯婆心の一二を申述べたに過ぎませぬ。甚だ御聴苦しうございました。(拍手)