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『竜門雑誌』第318号(竜門社, 1914.11)p.19-22

演説及談話

◎青年の覚醒―白耳義の思出

青淵先生

本篇は雑誌「向上」記者が例により青淵先生を訪ひて其所見を承りて十月[十一月]発行の同誌に掲け[げ]たるものなり(編者識)

▲文明人の貪戻

 今回の事変に就て私の予想が全く見込み外れであつた事は本誌前号に述べた通りである。既に観察を誤つた私は、将来も亦た見込違ひをするであらうと恐懼して居る。然しながら私の観察の誤つた所以は、私の予想以上に暴逆の人があつたからである。所謂一人貪戻なれば、一国乱を作すといふ古訓が、事実として全欧洲に現れて来たからである。文明の世にはあり得べからざるものとの想像が過誤の観察となつたのである。果して然らば、私の智の至らざりし為めでもあらうが、私は却て、文明人の貪戻なる結果ではなからうかと、冷笑せざるを得ないのである。

此事変の終局は何うなる事であらうか、私如き近眼者流には、予言する事は出来ない。けれども結局は列強並び相疲る〻か、或は一方の威力が衰へて其極或条件の下に終局を見るであらうか。歴史家は、百年を経ると地図の色が変はると言ふて居るが、吾々は又是れに依つて、商工業の勢力の移りゆく様を見ねばならぬ。将来の商工業は如何に変化するであらうか。其変化に付て、吾々は如何なる覚悟を以て、之に応ずべきであらうか。吾々の考慮すべき所、用意すべき処は詰り此点にあるのだ。私は、政治上、若くは軍事上に就いて述ぶることを好まぬ。又其智識をも持たぬのである。故に今私の言はんと欲する所は、単に商工業に関する方面に限らる〻のであるが、今後地図の変化に伴ふ商工業勢力範囲の変化に付て、適切なる凖備と実行の責任とは、未来の当事者にあるのである。而して此未来の当事者なるものは、現時の青年を除いて外にはない。青年たる者は今日よりして審思熟慮之れに対する策を講ずべきである。

▲独乙官民の協力

 何れの国家に於ても、自国の商工業を発達せしめんとするに於ては、海外に我国産の販路を求め、人口の増殖するに於いては領土を増すことを講ずるのみならず、様々なる策略を以て自国の勢力の増大を謀るのである。現に欧洲列強が、五大洲に雄飛して居る所以は、全く此等の事情によるものであつて、優越なる位地を占むる者は、特に優越なる国家と称せらる〻のである。彼の独逸皇帝今回の行動の如き、此点より企図せられたものであると思はれる。従来皇帝が内地の殖産に海外の殖民に留意せらる〻ことは容易ならざるものにて若しも其点に就て少しく注意するならば、何人と雖も、皇帝が斯くまでに仔細に心を労せられるかといふことを感ぜずには居られまい。例へば英仏に対する商工業の競争は勿論日露戦後、日本雑貨が、各地に歓迎さる〻と見れば、直に之を摸造する[、]総じて学術技芸には能ふ限りの保護と便利とを与へ商工業は常に、政治兵備と相聯絡し、中央銀行の如きも、力を尽して、商工業の便宜、資金の融通を謀るといふやうに、如何に彼等上下一致して、富国に従事して居るか〻゙ 窺知し得らる〻。又其学問に於ても、化学の発明、技術の精妙実に行き届くことは一通りではない。それは今回の戦乱の為めに、遠き我国の如きをして、薬品染料等の欠乏に窮するに至らしめた事実に見るも、彼国の力が、世界の隅々まで及んで居ることがわかる。故に自国の拡大のみを企図する貪戻心は実に厭ふべきであるが官民一致其国の富強を勉むるの努力は感服の外ないのである。翻つて我国の商工業を見るに、多くは不統一にして振はず殊に戦乱の影響を受け生糸の値は下落し、綿糸綿布の販路は渋滞し総じて取引は萎微し、有価証券の価は下落し、新なる事業は起らざるの状態にある。然し早晩之等は恢復することも、予想に難くないのであるから此際一時の困難は堪へ難くとも当業者は大に勇気を惹き起さねばならぬ処である、又一方には此事変は大いに乗ぜざる可からざる好時期と思ふ。今日我実業家は目前の不景気に畏縮するやうであるけれども、其れは甚だ無気力の行為である。唯だ其着目を誤らぬやうにして戦中充分なる研究を積み、漸次実際の効果のあるやうに努めて行きたいのである。殊に支那に対する商工業の如きは境は近接して居る、人情風俗共に欧米人に比すれば縁故最も深いのである。然るに其関係に於ては、往々にして、他列強に比して大に遜色あるは実に心細い極みである。吾人は須らく進んで、支那の富源を開発し、其産業を進め、其販路を拡めて、通商上の利益を増加するやうに心掛けねばならぬ。我国民今日までの支那に対する商工業経営の態度を見るに、兎角個々別々であつて、其間に聯絡がない。独逸の政治経済機関が統一して密接な関係を保つて居るのを見るにつけても、我国民が此歴史的に於ても、人種的に於ても幾多の便宜を有する国柄なるに拘はらず彼等の後へに瞠若たるやうではならぬ。而して此覚悟は特に我青年に対して最も望ましき所である。何うか今日の青年諸氏は斯る所に注目して力を入れて貰ひ度いのである。

▲レオポルト二世

 苟くも国家的発展を念として、実業に従事する者は、一致協力して、事を処するの用意がなければならぬ、又官民共に能く聯絡して其道に進まねばならぬ。前号に森村君が白耳義の印象といふ題の下に、懐旧談をされたが、私は森村君が能く斯様に有益な、興味ある白耳義のガイドの事を記憶されて其話を寄せられたのを感謝すると共に、自己の記憶をも呼び起したのである。それは今から四十八年前、千八百六十七年の事であつた。当時我国は旧幕府の時代で徳川慶喜公が将軍の任に在られた時であるが、恰かも仏国に大博覧会が開催されて、将軍の親弟たる徳川民部公子が僅か十四歳の弱齢を以て大使の任に当られて仏国に行かれた。其時私も随行員として扈従したのである。仏国に於る博覧会の礼典が済んでから、瑞西、和蘭、白耳義の諸国を歴遊することになり、白耳義に入ると、公子はプリンスとしての待遇を受けられた。其時の白耳義国王はレオポール二世にて現国王の伯父君であつた。白耳義の首府は矢張り今のブラツセルで今度激戦のあつた。[、]リエージユにて壮大なる製鉄所を一覧してから首府ブラツセルに着したのである。見聞の狭い吾々共には其製鉄所を見て実に百事の大仕掛なるに驚かざるを得なかつたのであるが、首府に入り国王の謁見も済みて後王宮に開催せらる〻晩餐会に招かれた。私も随行して御陪食の光栄を荷うたのである。其食前に於て白耳義王は少年の公子に対して種々の談話を交換した。国王は先づ公子に向ひ、「始めて我国に来て、如何なる物を見物せられた」と問ふた[。]公子は「リエージユに於て製鉄所を一覧せしこと」を答へた[。]国王は又「一見された製鉄所に付て如何の感を起されしか」と再問し更に語を次がれて、「貴君は、若年であらる〻に、よく我国の製鉄所を御覧になつた。凡そ一国の文明といふものは、鉄を使用する程度如何によつて、判断されるのである。多量の鉄材を輸入して、之を利用する国は、必ず富強といふべきである。貴国も早く巨額の鉄を輸入する国とならねばならぬ。我が白耳義は独り壮大なる製鉄所あるのみならず鉄を使用することも亦多額に達する。幸に鉄鉱も豊富にして製鉄の技術も英国に劣らざる手腕と経験とを有するのである。貴使帰国の後沢山鉄を輸入する国となりて白耳義の鉄を購買することを勉めよ」と言はれて、懇々製鉄に付て説明の労を取られた。此談話を傍聴した私は日本武士の気風として実に怪訝に堪へなかつた。日本にては士太夫にても金銭の事を論ずるは人の共に齢ひするを恥づるのである。然るに国王の御身を以て商業の広告に類するやうな御話をされるのは是れが果して文明といふものであらうかと思ふた[。]爾後再三思考を凝し国家の富貴は其上下心を一にして各種の事業を発展するに在りといふことに想到して、始めて奇異とした自己の陋習を悟つたのである。是に於て国王の当時の御談話には感ぜざるを得なかつた。是は既に半世紀を経過せし懐旧談である、森村君のガイドの昔語りを一読して均しく白耳義にして国王とガイドと其身分の懸隔の甚しきに拘はらず、接触したる両人に今日まで忘れ難き感想を残したのは実に奇遇といふべき次第である。

文明人の貪戻(実業と士道)

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