デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

2章 幕府仕官時代
■綱文

第1巻 p.489-491(DK010036k) ページ画像

慶応三年丁卯三月二十九日(1867年)

徳川昭武、ナポレオン第三世ノ催セル観劇会ニ出席ス。栄一之ニ陪ス。翌四月朔日ミニストル館ニ舞踏ヲ見ルニ陪シ、同月二日アルク・ド・トリヨ
 - 第1巻 p.490 -ページ画像 
ンフニ登ル。


■資料

航西日記 巻之二・第二一―二六丁(DK010036k-0001)
第1巻 p.490-491 ページ画像

航西日記 巻之二・第二一―二六丁
同 ○三月 廿九日 西洋五月三日 晴。夜八時より仏帝の催せる劇場を看るに陪す。
  此劇場を看るハ欧洲一般の礼典にして。凡重札大典等畢れハ。必其帝王の招待ありて。各国帝王の使臣等を饗遇慰労《きようぐういろう》する常例なり。故に礼服盛儀にて往くことにして。其演劇の趣向仕組分明ならざれども。多くハ古代の忠節義勇。国の為に死を顧みさるの類。感慨ある事蹟。或ハ正当適宜の譬諺にて。世の口碑に係り。人の可咲ことを交へ。詞ハ接続に言語ありて。大方ハ歌謡なり。其歌曲の抑揚疾舒。音楽と相和し。一幕置位に舞踏あり。此舞踏も二八の娥眉名姣五六十人。裙短き彩衣〓裳を着し。粉妝媚を呈し冶態笑を含み。 皆細軟軽窕《さいなんけいちやう》《ヤサシクタオヤカ》を極め。手舞足踏。婉転跳躍。一様に規則ありて百花の風に繚乱《りやうらん》する如し。且喜怒哀楽の情を凝《こら》し。一段落の首尾を整へ数段をなせり。舞台の景象《カカリ》。瓦斯灯。五色の玻璃に反射《はんしや》《ウツシ》せしめて光彩を取るを自在にし。又舞妓の容輝。後光。或は雨色。月光。陰晴。明暗をなす。須臾の変化其自在《ハヤカハリ》なる。真に迫り《せまり》観するに堪たり
四月朔日 西洋五月四日 晴。暁四時郵船に託して各。書を家郷へ寄す。夜十時ミニストル館に至り。舞踏を看るに陪す。
  是は舞踏の席を開き。親属知音を招待するにて。亦礼会の一なり。蓋夜茶会の盛挙なるものにして。施設も頗る華美なり。凡其催しある。あらかしめ招待書を廻し。其日に至れハ。席上花卉を飾り。灯燭を点し。庭燎の設。食料茶酒菓の備へ等。華美を尽し。其席に来れる賓客男女ともにみな礼服を盛んに飾り相集り。互に歓娯し音楽を奏し。其曲に応して男女年頃の者偶を選ひ配を求め手を携へ肩を比して舞踏す。其客の衆寡により幾所となく舞ふ。其法則ありて少年より習ひ覚《おほゆ》ること通例なるよし。大方暁頃に至りて散す。是則好を結ひ歓を尽し人間交際の誼を厚ふするのみならす。男女年頃の者。相互に容貌を認め。言語を通し。賢愚を察し。自ら配偶を撰求せしむる端にて。所謂仲春男女を会すといえる意に符合し。又礼義正しく彼の楽《たのし》んて淫せさるの風を自然に存せるならん。殊に博覧会の大典により国内事務局の催なれハ。国帝后妃はしめ。貴族高官は勿論都下豪民集会し。各国帝王。貴族。其他在留の諸官員。尽く招待ありて。其設の花麗を尽し。趣向の高大なる。実に目を驚《おどろか》せり。其以下処々にて。此催あるハ。其身柄により同しからずといへとも。其趣ハ一なり。英国太子。其公使館に到着せし。夜の舞踏なとにハ。仏帝后妃とも自ら共に舞踏せりといふ。下民にいたりても其分に応し。或ハ茶肆に持出し興行するもあり。是前条にいふ自ら男女配偶。其倫を得る所以なり。此会を仏国にてハバルと云。恰も本邦の北嵯峨。大原。岐岨。藪原。等盆踊の類に似て大に異るものなり
同二日 西洋五月五日 晴。午前本地有名のアルクドトリヨンフといふ巨閣に登
 - 第1巻 p.491 -ページ画像 
る。アルクドトリヨンフとは、漢訳凱弓と云意にて。即凱旋の偉勲を旌表すること也といふ
  此閣は。千七百年《(マヽ)》の末初代那破烈翁墺伊諸国の戦争に殊功を奏し。凱旋の後偉勲を後世に伝ん為め。大に土木を興して建築せしもの也といふ。閣の全体横長き方面にて都て密質なる石にて築立たり。高さ凡四十メートル 我二十二間程 正面広さ凡二十メートル。側面の幅。之に半ハして閣の中心凡十五メートル程の処より円形に切り抜き。閣下前後左右通行を自在ならしむ。而して其築立し石面四方とも都て神像又ハ古代有功の人物。那破烈翁勝戦の図なとを鐫附《えり》け。裏面にハ其建築の縁記様のものを記せり。閣の下は一面に漆喰にて。凡径り七八十メートルの円形に敷並へ。入口ハ鉄垣を円囲して。太き鉄鎖を挂たり。閣下左方の裏面に小扉あり戸内一の暗室にて其中程に石階あり。螺旋《らせん》《メグリ》して閣上に登る。但日を限りて人の登るを許す。門閽《もんこん》《モンバン》ありて一フランクを収む。石階の数二百八十五段にして閣上に抵る。閣ハ重層に建築し。下の一層ハ歩行自在のみ。全石面の方庭にひとしく。眺望四顧随意なり。其廻り縁も巨大なる石にて。胸下まてもあるべく。爰にて下 すれハ正面ハ王宮門前に直向し。凡十八丁程直きこと線のことく。途上三叉にして中ハ広く馬車荷車等の通路。両側は瓦斯一斉に立並へ。又樹木蔭翳せり 瓦斯灯の下より両側とも。人家軒下に接し。漆喰叩にして人行の往来とす。又馬車路と。人行の路の際。処々に噴水器を仕掛け。風日揚塵の時はゴム管もて所々へ水を灑き。雨日ハ馬車路際より。小渠ありて処々大渠へ泥濘を瀉下す。巴里都下壮麗の市街は皆かくのことし 背面カラントアルメーの通街も直線のことくみえて。凡二十丁程。其間セーヌ河の鉄橋を超へ。巨大の銅像ハ初代那破烈翁なり。又正面に宏壮なる廓ハノオトレダムなり。是はキリストの本寺の如きものにして。府下最第一の臣刹也 又左に高く聳るハパンテオンなり 巨刹の一なり高楼あり凡六十五メートルありと云 又右遥に舟楫の行通ふはセヌ河なり。岸に二三の巨屋ハ。公議院 コールレジスラチイフ 鋳銭局外務局也又其右に長円なるハ。博覧場なり。なを右郊外に高きハ。モンバンリヤンといふ全府警衛の城堡なり。其側樹木森鬱《しんうつ》たるハ、ホワテブロンなり、其他郊外まて。布棊羅網。手に取るか如し。但其高聳なる目眩。股栗を。覚ふ観了て下りぬ


(向山隼人正) 御用留(DK010036k-0002)
第1巻 p.491 ページ画像

(向山隼人正) 御用留 (静岡県立葵文庫所蔵)
同 ○慶応三年三月 廿九日 晴 五月三日
○中略
御旅館之義ニ付太一篤太夫罷越候事