デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

2章 幕府仕官時代
■綱文

第1巻 p.491-497(DK010037k) ページ画像

慶応三年丁卯四月三日(1867年)

徳川昭武、チユイロリー宮ニ於ケル舞踏ヲ観ル。栄一之ニ陪ス。尋イデ同月十二日シヤルクランノ館舎ニ移転シ、同月十五日大砲器械貯所、同月二十四日巴里市街埋地道ヲ観ルニ陪ス。


■資料

航西日記 巻之二・第二六―三五丁(DK010037k-0001)
第1巻 p.491-495 ページ画像

航西日記 巻之二・第二六―三五丁
 - 第1巻 p.492 -ページ画像 
同 ○四月 三日 西洋五月六日 晴。夜九時よりチユイロリー宮殿にて舞踏を看るに陪す。此挙ハ席上に滝なと設け、庭園張灯の飾り等。国内事務局の催しに比《ひと》しく盛会なり
  チユイロリー宮ハ。国帝の居城にて。前ハ市街に接し左傍ハセーヌ川に倚り。周囲石築の長家造り。入口の門々にハ砲卒立衛す。城中石にて敷つめ。往来自由を許す。右の方鉄垣の仕切ありて中程に石門あり 門上石にて彫鎸せし獅子の飾あり。門の正面ハプラスドラコンコルドといふ広き一衢のことき地所。都て漆喰敲にて数百の瓦斯灯あり。又噴水器あり。黯夜《あん》とても灯光掩映し。人の眉毛を弁す。其壮麗実に抃手して嘆するに堪たり。門の左右騎兵立衛す。門に入て鋪石の広場玄関様の所ありて。内に入れハ左右に階子あり。正面の屋根に国旗を立つ。此所広さ十間許。奥行六十間許なるへし。是即帝宮なり皆二階又は三階造りにて。折廻り同し造りにて諸局あり。門内往来の左又広場あり。三方とも王宮同様の構にてミゼイとて古器物を羅陳し置官局なり。二階ハ油画或ハ古代の珍器。各国分捕の品等貯あり。初代那破烈翁在世の衣服諸道具類秘蔵し。仏国起《おこ》し画図。所持軍艦雛形等あり。油画の場所ハ。古代の名画なと世に珍しきもあれハ。画を好める男女とも許しを受模写するを得る。王宮裡。手広なる庭あり。樹木生茂り噴水泉池もありて。周囲鉄垣にて繞らし。入口にハ炮卒守衛し。其中男女貴賤をいはす遊歩往来自由ならしめ。帝宮より一と目に見ゆる所也。平日国帝親しく指揮の調練ハ此内にて施行ありといふ。実に王侯の遊園といふへし
同四日 西洋五月七日 晴。朝パノラマに到り。伊澳戦争の時仏国援兵を出し勝利ありし図を看る。
  シヤンセリセイ博物堂の側に在り。周囲円形にて亘り凡十間西方なるへく。入口にて傘杖を預り。木戸銭一人前一フランク宛なり。中央より。階子にて螺旋《らせん》《メグリ》して登る。上れハ堂の中央最高き所に出る。其所ハ山の嶺に擬《き》し。其傍に大砲小銃破裂せし或ハ弾丸の割たる抔ありて其実況をしる。稍遠く行けハ。四方山間。崛曲の模様。遠近道路縦横の位置。樹木の疎密。煙雲の出没。尽く備り。澳の軍勢と仏の兵卒と乱戦に及ひ。双方の軍威方に熾《さかん》なる体を画き。殊に人物大なる所は真に迫れり。就中仏帝左右并に騎兵大砲を率ひ。澳軍に馳向ふ処。彼方より発せる弾丸此方侍医の馬の胸に中り躍跳する体。仏帝回顧せる様。其迹より来る騎兵も。弾丸に中り落馬せるもあり。又此方より発せる。大砲彼方火薬車に中り。人馬共に裂け。車輪空中に飛揚し。其火色物凄きまてに見へ。双方の手負死人も夥し。或ハ騎歩兵大砲の山間を馳駆し。又は村落の際より互に突出して。捗合小銃大礮《せりあひ》の発せる。歩卒入乱剣にて繋合。傷者を持運ひ。疲卒憩息する或ハ一処の味方苦戦なるを見て。他方より馳て之を救ふ。或は大将と見へて勇ましき装にて兵卒を指揮せしが。忽地撒兵に狙撃せられて落馬するなと。諸《もろもろ》の躰尽く極る。戦場の形状。目のあたり視る如くなり。尤仏国の方勝利に見えたり。但将官等は其時の写真によりて描きしなりと云。先
 - 第1巻 p.493 -ページ画像 
導者一と切切に講説あれとも分り難し。全躰の画図油絵にて円形によりて勾倍をはかり。遠近距離なとを見せしめしなるへし。其摸写精巧なれハ人をして実境にあふ想を起さしめ。頻りに。扼腕唾手《やく》などするものもあるいとおかし。抑油絵ハ欧洲にて古来より之を珍貴として。名人の筆に至りては一面の額其価数千金に至るといふ。唯奇を好み翫を すにハあらす。今此画の其妙を極め当日の景況を今日にしらしむるを見れハ。亦世用欠くへからさる一具なるへし
同五日 西洋五月八日 晴。朝本邦在留公使レオンロスの留守を訪ふ
同六日 西洋五月九日 晴。夜九時より評議局舞踏を看る
同七日 西洋五月十日 晴。午後三時本草会社討論場へ人を遣ハさる。外国局官吏ルーイトジヨフロハー。名簿《めいぼ》《ナフダ》をさし出せり
同八日 西洋五月十一日 晴。午前十一時英国太子舘より招待せらる。午後三時都下鳥獣草木種々畜ふ。園囿を観る
同九日 西洋五月十二日 雨。魯西亜公使名簿をもて尋問す。夜プランセスマチルド 帝族なり 招待あり
同十日 西洋五月十三日 雨。午後一時孛漏生使節尋問す。夕五時より使節接待役コンシユル等同行にて「テヤートルシヤツトルイ《劇場の名》へゆくに陪す
  此劇場多く仏都前顕の景状に同し因て略す
同十一日 西洋五月十四日 雨。午後瑞西ミヽストル尋問す。ドワンテロイス方にて夜茶の饗あり 此餐も前同断
同十二日 西洋五月十五日 霽。朝八時仏帝より使者立られレセツプチユイス宮殿におゐて。開筵によりて招待あり。午時シヤルクランの舘舎へ引移りぬ
  此シヤルクランハ市外幽雅の地にて。ボアデブロンギユへ続く地なり。ボアテブロンギユハ都下遊憩の最大なる公園にて。アルクテトリヨンプより一条の大路あり周囲二三里もあるべく。樹木陰森《いんしん》として路幾筋もありて。中央広き路ハ馬車を通し。樹林中左右の径ハ。遊歩又ハ騎馬の行路とす。酒掃等至りて届き。池辺ハ異禽珍魚なと養ひ小艇ありて。游棹擅《ほしいまゝ》にせしむ。其池中を周回して。舟銭凡二三フランクなり、中島に佳木奇花なと植え。茶肆も奇麗に建聯《つら》ね。風流の士なと夕餐を命ず。此池へ灑瀑布泉《そゝぐばくふ》を懸夏月占涼《かけ》《せんりやう》の処とす。此他ボワドワハンセーヌパルクモンソウビツトシヨウモンなど。処々に遊憩の園ありて。各其水土によりて意匠を異《こと》にし。風景も各様にて目を娯《たの》しましめ心を悦《よろこ》ハしむ。都て士民遊息の公園にして。其趣き同しけれハ是を略す
此公園を行過て。ヌーエーといふ地に出る所に。ジヤルグントアツクリマタシヨンといふ植物苑あり。各国の佳木奇草を集めて培養す。熱地のものハ苑中玻璃室を作り蒸気にて暖にして培養す。処々水泉ありて。浮萍《ふへい》《ウキクサ》の類も生し。紅魚。白魚。瑇琩魚。なとを飼ふ。又禽獣を畜ひ置所あり。牛馬。豕羊鹿。猨兎犬なと種々あり。カングロウとて亜剌比亜産の獣あり。其貌鼠の大なることくにして四支前ハ不用にし後趾《こうし》《あとあし》にて走る。極て速なり。牝ハ腹皮二重にして。子あるときハ。常に外皮に入れて養ふ。時々稚子首を腹皮より出して食を覓《もと》む甚た奇也。
 - 第1巻 p.494 -ページ画像 
其他獺《だつ》。狐。狸。狢の類も最多し。禽ハ孔雀。鶴。錦鶏。雉。鳩。鶏の異品なる其外小鳥も数種あり。其風土に。従ふて気候を凝《こら》し。性を換え。質を変せしむる等の術を修せる為。設けし所にて。経費は其修行の者。結社中別に供給の法あれは。費を厭はす。如斯細事《かゝる》も能其試験を遂くといふ。又此地の外にジヤルダンデプラントとて。セーヌ河の南縁に大なる禽獣園あり。大概前の植物園に同し。只獅子。虎。豹象。豺。狼。熊。羆。独。等の類を畜ふ。猛類ハ皆鉄圏《てつかん》《カネノオリ》にて畜ふ。ヒポボタムとて。南亜墨利加に産する比類なき。醜態《しゆうたい》《ミニクキ》なる海獣あり。其貌牛の大なるにて。趾太《あし》く短く全体毛なく蟇《ひき》の肌にひとしくして厚く。甚た猛健《もうけん》なり。口方大《ほうだい》《カトバリオホキク》にして恰も祇園会に用ゆる獅子の頭に髣髴《ほうふつ》《サモニタリ》たり常に水中に放置看官《はなしおきかんくわん》《ケンブツ》パンを投与《とう》すれば水より出て。これを食ふ。又蝮蟒《うはばみ》の類多し。同国の産なり。暖を好める由にて箱に入れ。フランケツトにて包めり。其大なるは囲り一尺許もあるべし。時々箱の中にて首を掀舌《あけ》を鳴らせり。又鰐鮫《かくかう》《ワニサメ》の類あり。いつれも生畜せり。又巨鯨。巨蛇の枯骨を全備す。都て修学の具に供すと云。庭中小高き所に一楼あり。楼上死者の骨及小児の骸を酒にて漬《ひた》せし。或は死者を其儘に乾し堅めたる。ミイラの如き者数多く。羅列し何れも。小札もて其由縁を標紀す。蓋異邦の人骨格の異なる。或異形に体を受けし。又は病によりて変せし病根等を。考証に備るなるへし。これ又修学の者結社して。如斯其細大を遺《のこ》さす。攻索《かうさく》に心を尽せる感すへし
同十三日 西洋五月十六日 雨。無事
同十四日 西洋五月十七日 曇。午後英国公使舘の舞踏を看る 此舞踏も前同断略しぬ
同十五日 西洋五月十八日 晴。仏后妃の催舞躍に招待ありし。午時大砲器械貯所。并巴里有名の古寺。其外交易。公事吟味所。罪人裁断所。等を見るに陪せり
同十六日 西洋五月十九日 晴。無事
同十七日 西洋五月二十日 晴。休憩
同十八日 西洋五月二十一日 曇。アベニユーデランペロウールの傍に在る花園を看る
同十九日 西洋五月二十二日 曇。暮七時外国事務執政方にて。夜茶の饗あり 此夜茶も前同断
同廿日 西洋五月二十三日 晴。モリス方へ往く
同廿一日 西洋五月二十四日 晴。無事
同廿二日 西洋五月二十五日 晴。おなしく
同廿三日 西洋五月二十六日 晴。おなしく
同廿四日 西洋五月二十七日 晴。午後一時より巴里市街埋地道を視るに陪す
  此埋地道の輿作は近年の事にて。いまた町末は造築中なり。市街往来の下に別に一の洞道を穿通し。洞内立行して碍《さは》りなき程にて。下に一条の川を疏《とほ》し。両側歩行すべく。市中人家の濁水及汚溺。水戸尻まても。皆此川に注《そゝ》ぐ。各処に注く穴ありて滝の如くに落つる。上に大さ拱把の鉄筩《てつとう》《カネトユ》を通して。呑用水を水源《すいげん》《ミナカミ》より遠く引き細き鉄筩ハ。瓦斯を釜元より取りて。各家に分つ。所々明り取りの穴あれども。委しくハ灯を点せされハ見えかたし。余輩城の裏手にある市街より。鉄蓋《かねふた》を披《ひら》き石段を下りて入る。川幅に架せし
 - 第1巻 p.495 -ページ画像 
車あり。其れに乗りて屈曲十五六丁にして川幅広くなる。是より舟に乗り凡半里許にして。城西一ケの市街に上る。洞中陰々として臭気鼻を穿つ漸く日を望むを得て大に快然たり。此埋地道人家の汚物を流せるより常に是か為に掛け置く人夫ありて。器械にて掃除して壅塞なからしむ
同廿五日 西洋五月二十八日 晴。阿蘭公使并海軍コロニイ砲兵頭并ホーシヤン等尋問す。仏国アミラールヲヱー支那日本海の惣督を命せられ。近日本邦へ出帆せるにより尋問す
同廿六日 西洋五月二十九日 晴。アミラール附属の官人等来る


雨夜譚 (渋沢栄一述) 巻之三・第二三丁(DK010037k-0002)
第1巻 p.495 ページ画像

雨夜譚 (渋沢栄一述) 巻之三・第二三丁
○上略
 平常は至つて閑散であつたから、其間に仏語を勉強する考で、一行中の両三人と申合せをして、教師を雇ふことにした、尤も公子及び外国奉行などは、巴里に於て有名なグラントホテルに止宿せられたが、自分等両三人は別に借屋をして、毎日教師を呼んで親切に教授を受けたから、一箇月程にして、簡易の日用語位は、片言なりにも出来るやうになつたに依て、買物にいつても、先づ半分は手真似で用が弁ずる程になつて来た。
○下略


(向山隼人正) 御用留(DK010037k-0003)
第1巻 p.495 ページ画像

(向山隼人正) 御用留 (静岡県立葵文庫所蔵)
同 ○慶応三年四月 五日 晴 五月八日
○中略
御旅館談判之為め太一文次郎篤太夫六三郎罷越す、此日リウテベルユリー第五十三号家作約定決す
○中略
同 ○同年四月 十日 雨 五月十三日
○中略
朝より太一篤太夫六三郎仮御住居談判之為出行す
○中略
同 ○同年四月 十一日 雨 五月十四日
朝より太一篤太夫六三郎仮御住所之為出行す
○中略
同 ○同年四月 十二日 曇 五月十五日
○中略
此日宮三愛蔵篤太夫六三郎シヤルグラン街江引移候事


同方会誌 第六〇号・第七九―八三頁 〔昭和一一年一二月〕 五大洲巡行記 下(山内堤雲)賛成員故人(DK010037k-0004)
第1巻 p.495-497 ページ画像

同方会誌 第六〇号・第七九―八三頁 〔昭和一一年一二月〕
    五大洲巡行記 下 (山内堤雲) 賛成員故人
四日晴 ○慶応三年四月 昨日より暑気強く、羅紗を着すれば総身汗を出す○山文・渋沢と共に借家一条にてフロリヘラルドの宅に至り、夫よりジユ
 - 第1巻 p.496 -ページ画像 
フリンと云ふ人の方に至り、借屋証文の儀種々相頼み、第十一時帰館○第六時よりダウヰスと同車し、巴里の北山手にて市中を離れたる地に至り、小山の上にあるスウヰス・ホテルと云ふ家に至りて夕飯を喫す夜に至りて帰家。
五日 パスカル来る、午後第二時より田辺・山文・渋沢と共に御旅館となるべき家に至り、家具等置場見分す。
六日 公子乗馬御稽古に御出、午後魯国公使へ御尋問、夫より御旅館御見分御帰り、夜プレシデント・レギスラチール方に舞踏有之候に付公子等御出有之
○午後、御旅宿せまく四人程外宿いたし候に付、貸家見分として渋沢(栄一)保科同道出車、城門の側にて御旅宿より二町許の処に小貸家あり、二階にて、一階毎に寝間二つ座敷一つ食堂一つありて他人住まず依之此家を先づ本月十五日より来第六月中借入る相談にいたす、一階目代一ケ月五百フラン、二階目四百五十フラン、門番人の手当一ケ月十五フラン〆一ケ月九百六十フラン、給仕人給料共千フラン少々余也、其家の町名Chalgrin《シヤルグラン》にて第三十番なり、帰路城門に登り見るに、四方家屋稠密し、足下には数百の馬車四方に走り実に勝景也、アルク・デ・トリヨングといふ、そは第一世ナポレオン伊太利と戦ひ凱旋の後此城門を建て、有功者の姓名を記せるものにて、登る石段二百八十級夫よりサンデリゼのパノラマ 円形の家にて、其中央より六方の壁に画たる図を見る に入り、戦争の図を見る、円形の壁に画をかき、中央の高き所より四方八方を見る様になし、中央の板敷の壁の処までは土を置き、車台の損したる又は弾丸の破裂せるなどを置き、其先は壁ありて仏帝自ら戦場にありて、オーステンレーキと戦ふ画也、これは伊太里のガリバルチ兵を揚げ、伊太里を一統し、オーステンレーキと戦ひたる時にて、両軍相交へ血戦の様にて、仏帝馬上にて最先に立ち、其後にゼネラール数人、親兵八九十騎ありて、帝の医師某馬の胸を打たれ馬倒れんとする所あり、帝の先にはオーステンレーキの大砲車台の火薬箱に火入りて数人倒れ、車台飛び猛火起る様あり、其図真にせまり、実に戦争を眼前に見るが如し、画の妙知るべし。
十二日 ○慶応三年四月 木村(宗蔵)杉浦・渋沢(栄一)と共にシヤルグラン街第三十番の借家に引移る、高松・山文送り来る、ボワ・デ・ブロンに至り一酌・夜借家にて夕飯を喫す、此借家は三階造にてアルク・デ・トリヨングといへる城門より一町許離れ、遊歩場に至るエンペラトリスといふ道の脇にして、其地位甚だよく、市中を少しく離れ、江戸にて云はゞ根岸などいふ所にして、閑静なれども町に遠からず、楼上より望めば数個の馬車四方に走るを見れども、轣轆耳に遠く、家小なれども内部美にして狭きを覚へず、簡便且美なり、給仕掃除等一ケ月四十フラン、食料一人一日十フラン、但酒・蝋燭・寝床・食卓の布・庖丁・叉は其外なり、勝手道具・茶瓶・茶碗・皿・コツプ等は附属せり○今日結髪師を雇ひて頭の掃除を為す、代四フラン也。
十三日 朝第十一時出宅、雨天に付馬車にて御旅館に至る、同所にて入湯、理髪道具一切買入 代二十五フラン 第三時御旅館を出保科と共に旅宿に帰る、途中傘一本買入代十六フラン也、○ランベル尋来る、留守中な
 - 第1巻 p.497 -ページ画像 
れば不逢手札を残し置けり○北村尋ね来る、夕飯後保科・杉愛・渋沢木村と共に曲馬を見物し第十時帰宅。
十四日晴 渋沢と共にランベルを尋ね、夫より博覧会見物、諸品を委曲に見る、中央にある品は小間物又は反物にして、美麗なれども学益になるべき物なし、外側には蒸気車・蒸気にて織る機具・大小砲・常夜灯・水雷火・暗光灯ありて学益になるべきもの多し、水雷火は亜国の発明にて、鉄にて製したる四斗樽如きものに縄三本を附け、海底に台ありて之に結び、水中に樽を浮め、船来りて其樽に当れば、其中に入れたる火薬発して船くだくる也、又暗光灯とはすり鉢の如き鉄にて造りたるものを、高く火の見の如き台の上に安し、其鉢の面を敵の方に向け、其上にエレキにて火をともす、其表鏡の如くにして、又其火は常夜の如くならず、晴天の日光を仰ぐ如くなれば、其火にて敵地を見る事昼の如く、又敵よりは此方を見れども少しも見へず、日本のがんどふ提灯の如きもの也、機おり道具などは実に奇妙也、よく見ざれば解しがたく、又筆にては尚更認めがたし、其所を一覧し外部に出れば各国の茶屋あり、其国々の製作として奇々妙々なり、支那の茶屋あり、半フラン木戸銭を出して入りて見るに、さまで面白きものなし、支那の婦人二人堂の如き所に腰かけに座してあり、真の見世物同様なり、其前に仏人ありて支那茶を売る、支那の婦人日本の如くにして小也、一人は可なり也、夫より諸方を廻り博覧会を出、遊歩場を緩歩して帰宅○夜公子英公使館にて舞踏有之、仏皇帝皇后も来るに付御出、第三時御帰館也。
十五日快晴 朝飯後出宅、モスネと共に銀細工の場所に至り、御旅館附の庖丁・匕・叉等を注文し、夫より懸灯台・時計・燭台等買入帰宅○此夕王宮にて皇后の催にて舞踏あり、公子御招にて第十一時より御出○工作場見物せる節、あまりに美しく且廉なるもの多きを以て、終に心奪われ、茶碗六・皿六・大皿一・丸きフレスパヒエ置物十二・菓子入八・燭台一・墨入一・銀の茶碗一・造花の鉢植一・附木入一買入れ、百六十フラン奪われたり、退いて考ふるに実に愚の至りなれども其場にて情を抑る能はず噫、兎角に銭を擲つ水の如く恐るべし戒むべき也。
廿日 田辺・箕作・渋沢と御旅館に至り、勝手向其他大工に注文す。