デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第2巻 p.427-428(DK020101k) ページ画像

明治三年庚午(1870年)

改正掛殖産興業ヲ目的トスル宝源局設立ヲ計画シ建議ス。容レラレズ。栄一改正掛長トシテ之ニ与ル。


■資料

青淵先生伝初稿 第七章一・第三九―四五頁〔大正八―一二年〕(DK020101k-0001)
第2巻 p.427-428 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章一・第三九―四五頁〔大正八―一二年〕
殖産興業の方面において、なほ宝源局設立の計画あり。宝源局とは、専ら農業工業鉱業等の改善発達を期せんが為の調査、及び監督機関にして、その処務とする所五項あり。曰く起事開業、曰く種芸工作、曰く督工董職、曰く褒功酬労、曰く罰偽懲情。其起事開業の註に曰く、水土に依り機関器械を施設し、金鉱布帛其他諸品製造の功用を起さんとする、或は道途を修理し、橋梁を営築して、馬車を便行せしめ、河を決し海を浚して、舟船を運用せしむる等、其起工を望む者の請願に従ひ、便利と障碍とを詮議し、得失を弁し実効を研究して、将来の方法を設け、是に免許を与へ、成功卒業を得せしむ。荒蕪を墾し、草莱を開き、或は提防溝洫の設け、洲渚に塩田を作り、川原に桑楮を植る等、其利害を審にし、地に就て力を極めしむ。救荒賑窮無産の者に、職業を得せしめ、或は有志の者を募り育幼療病の諸義を設け、無告の貧民を安堵せしむ。新開局を開き、有益の書類を刊行頒布せしむ。其種芸工作の註に曰く、寒暖温冷の候度を推究し、沃瘠肥磽の土質を弁別し乾燥湿沢に因り耕種培養の宜を明にし、易種移植の利を起し、物産を増殖せしむ。広く世界飛走動植の物品を集め、館を立て是を排設陳列し、万民の観覧に供し、以て牧蓄生植の道を開き、併せて博物の考覈に資し、以て国有を利し、万民の智識を推拡せしむ。我未た達せさるの事通せさるの理のこときは、他邦既に通達する人を使用し、源を探り蘊を索め、堪能充用の者を撰ひて伝習附学するを得せしむ。其督工董職の註に曰く、天下の百工戸口を管轄して、類を推し等を分ち、組合の法を立て、能に従ひて傭役使用に充つ。普く天下の巧匠をして旧習に安んせす。智識日新して各職業を勉励せしむ。諸工の能否優劣を吟味し、等を立て、各其供給の価を定む。其褒功酬労の註に曰く、新に国家有益の器械を発明し、在来の品に新奇の工夫を添へ、他邦至便の器械製造運用を伝習し、世人の使用に功あるの類を褒賞し、其発明家工夫家伝習し得たる人に其器械製を免し、年限を立て専売せしめ、壟断の利を私せしむ。新に有用の書を著述し、他邦の奇書を翻訳し、人の観覧に便し世の開化を進むるの類は、其著述家翻訳家に年限を以て書籍専売を得せしむ。新奇の器械を窮理発明し、在来の品類に他の至便なる工夫を添へ、及ひ他邦の伝習を得たる等未た其試験成功に至らざれども、早く其事由を告げ、以て他の功を偸み、利を奪ひ、善を沮するの患を防がしむべし。或は其発明工夫の器械物品巧作大に費用多く自力これに及びがたきの類は、其請願により、各々其自由を得せしめ、其功を遂げしむ。其罰偽懲情の註に曰く、他人の知覚発明を偸みて己が功となし、或は既に人の免許を受けたる器械を偽造し、其功労を掠むる等の者を監し、罰金の法を定む。放蕩遊逸にして己の職業
 - 第2巻 p.428 -ページ画像 
を怠り、他の妨をなし、又は頑陋慳慾にして他の功を嫉み、人の智覚を妨害する等の者を矯正し、償過の為傭役の分を立つ。以上は宝源局の所管事業として按出したるものなりしが、この建議は不幸にして省議の採用する所とならず、遂に実施の機会を得ざりき。然れども其内容を検するに、注目すべき点甚多し。蓋し其主眼とする所は、西洋文明を移植して、産業の開発を謀り、国家の富強を策せんとするに存す。而して或は博物館動植物園の開設、養育院慈善病院の設立を望み、或は職業紹介の業を起し、或は交通機関の整理と実行とを期し、或は専売特許権著作権を附与して、発明家及び学者を保護せんとしたるが如き、概ね皆当時世人の夢想せざる新しき計画新しき思想なりしなり。先生が官を退ける後に手を下したる商工業・農業・鉱業・運輪業、さてはかの東京市養育院の如き、東京会議所の如き、又は済生会の事業、労資協調の如き、皆既に源を玆に発したるにあらざるはなし。抑も改正掛は人才の淵叢なれば、右に述べたる諸件が、必しも先生一人の胸臆に出でたりとは言ひ難く、衆智の合成にはあるべけれども、先生が重なる立案者の一人たりしことは否定すべからざるなり。況や此計画せる所は、大部分先生将来の事業となりて実現せられしをや。されば一時不成立の事とはいへ、特に玆に詳述する所以なり。
  ○宝源局ノ建議ノ年月明カナラサレドモ、青淵先生伝初稿ニ、本文ニ直チニ続キテ、「以上は先生が租税正として、又は改正掛として、明治二年十一月より翌三年七月頃までに施設せる事業の大要なり」ト記サレタレバ、恐ラク三年上半季間ノコトナラン。