デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.210-213(DK030072k) ページ画像

明治四年辛未七月二十九日(1871年)

枢密権大史ニ任ゼラル。


■資料

太政官日誌 明治四年第四十九号 自七月廿九日至八月二日(DK030072k-0001)
第3巻 p.210-211 ページ画像

太政官日誌 明治四年第四十九号 自七月廿九日至八月二日
○辛未七月廿九日
  太政官職改正ノ事
太政官中、左右大臣、大納言、正権大少史、主記、官掌廃セラレ、更ニ左之通定メラル
 正院
  太政大臣  相当正二位
  納言    同従二位
  参議    同正三位
  枢密大史  同正四位
  枢密権大史 同従四位
  枢密少史  同正五位
  枢密権少史 同従五位
  大史    同従四位
  権大史   同正五位
  少史    同従五位
  権少史   同正六位
 式部局
  長     同正四位
  助     同従四位
  大式部   同従五位
  少式部   同正六位
 舎人局
  長     同従六位
  助     同正七位
 雅楽局
  長     同従六位
  助     同正七位
 左院
  議長    同正三位
  一等議員  同従三位
  二等議員  同正四位
  三等議員  同従四位
 右院
  諸省長官、次官
 - 第3巻 p.211 -ページ画像 
 凡ソ正四位以上ヲ、勅任トシテ五等ヲ分チ、正六位以上ヲ、奏任トシテ四等ヲ分チ、従六位以下ヲ、判任トシテ七等ヲ分ツ、判任ハ官制ヲ定メラルヽ迄、総テ何等出仕ヲ以テ、之力級ヲ分ツ
  ○
太政官職制並事務章程、相当表等ハ、追テ諸官省章程定メラルヽノ上、発スヘシ
   太政大臣以下任免ノ事
任太政大臣        従一位  三条実美
任枢密大史        従五位  田中不二麿
同            従五位  土方久元
任枢密権大史      集議判官  神田孟格
同            正六位  渋沢栄一
任枢密少史        従六位  巌谷修
任枢密権少史       正七位  日下部令東
任少史          正七位  作間正臣
任権少史         正七位  川北長顒
同            従七位  井上瑞枝
同            従七位  横山由清
同            従七位  谷森真男
任式部長         従三位  坊城俊政
任少式部         従七位  亀谷行
任大蔵少丞     長野県権知事  林友幸
        鹿児島県権大参事  伊集院直右衛門
任出納権正叙正六位
任出納大佑        正七位  林信立
同            従七位  坂田伯孝
任出納大佑叙従六位         有馬直之進
同                 小森次郎吉
任租税権助        従七位  若山儀一
任戸籍大佑        正六位  郷濬
同            正六位  北代正臣
免本官         営繕権正  中村孝禧
任営繕大佑        従七位  中村孝禧
任営繕少佑叙正七位         羽田謹
任外務大丞        従四位  宗重正
任陸軍少佐叙正七位         山地元治
同                 八木家茂
同                 北村重頼
免本官        神宮大宮司  河辺教長


百官履歴 下巻・第一四〇頁 〔昭和三年二月〕(DK030072k-0002)
第3巻 p.211-212 ページ画像

百官履歴 下巻・第一四〇頁 〔昭和三年二月〕
           東京府平民 渋沢栄一 篤太郎
○上略
同月○七月 廿九日 任枢密権大史
 - 第3巻 p.212 -ページ画像 
(一行原朱)
同年八月十日 廃官


大蔵省沿革志 本省第五・第五丁(明治前期 財政経済史料集成 第二巻・第一六六頁 〔昭利七年六月〕)(DK030072k-0003)
第3巻 p.212 ページ画像

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青淵先生伝初稿 第七章一・第五八―六〇頁 〔大正八―一二年〕(DK030072k-0004)
第3巻 p.212 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章一・第五八―六〇頁 〔大正八―一二年〕
此日○七月二十九日 先生枢密権大史任ぜらる。其職制によれば、「枢密大史は、機密の文案を勘し、位記官記を掌る」とあり、又枢密史官事務章程には「枢密史官は正院の秘書記にして、三職○大臣納言参議 の命に従ひ、枢密の文案を草し、及び奏書法案を検査補正する所なり」とありて、今日の内閣書記官長に類似せり。然れども当時大蔵省の事務多端にして、新しき施設に先生を要すること多かりければ、官省の間に諒解やありけん、枢密権大史任命の後も、なほ引つゝき大蔵省に出仕し、井上馨を助けて経営鞅掌せり、四年八月四日先生が在米の中島信行に贈れる書翰に、「小生は太政官の枢密権大史と申官を拝命、司の正省の大丞と同等の由、恐悚之至ニ存候、併即今は大蔵省兼任の姿にて日々出省仕居候」とあるにて、之を知るを得べし。
   ○枢密権大史ハ明治四年八月十日廃官トナリタリ。



〔参考〕大久保利通文書 第四 〔昭和三年五月〕(DK030072k-0005)
第3巻 p.212-213 ページ画像

大久保利通文書 第四 〔昭和三年五月〕
 ○第三四六―三四七頁
今日ハ凡て御発令ニ相成可申候、乍蔭祝着罷在候野生事ハ実ニ仮令ハ養子ニ行候て其家迄滅亡仕候意味にて甚以省中之人江対し其情一入不可堪次第ニ候間今日丈は出省不仕覚悟ニ御座候、大木江対し候ても未タ合併之都合ハ敢而示談も不仕候故甚以不人情ニ被察候間、同人事ハ文司両省之中江転任ニも相成不申候而は於生痛心千万ニ候間此辺ハ御含被下、西郷先生大隈抔江も御申立置偏ニ奉願候、人撰之事ハ更ニ異論ハ無御座候間、明日ハ不残御申付之御沙汰相運ひ候様御尽力奉祈候、吉井事ハ一昨日申上候様御用ひ被下候得は民部之方ニも至て都合宜敷候、且渋沢之処政府より余程懇望ニ候間是非とも大隈江御断置被成候様伏而奉祈候、何レ明朝必ス登省可仕候得共今日ハ御聞済可被成下候
                                    匆々拝白
    七月廿七日
   利通様                            馨
     御内披

 ○第三四三―三四五頁
今朝ハ尊楮拝読仕候、然は今日民部省被廃止駅逓戸籍勧業三司を大蔵省江被置候との御達有之候、明日ハ夫々御用召相成候由、過日来御内談仕候人撰之内吉井安藤之処猶又勘考仕候処、先吉井ハ権正安藤ハ権助にて可然と存候付、今日御談之上申立之含ニ候処、御不参ニ而差懸
 - 第3巻 p.213 -ページ画像 
無致方独断を以右通申立置候付不悪御聞取置可被下候、渋沢之処木戸君大隈江申立置候、今日之処ハ先従前之通ニ而是非取抜之様子ニ被伺候、是ハ尚明日御談可申上候
○中略 何も明日拝眉ニ可申上候 早々頓首
    七月廿七日
  尚々○略ス
                      大久保利通
  井上大輔殿
      閣下
  ○コノ書翰ハ前掲井上馨書翰ニ対スル返書ナルベシ。明確ナラザレドモ、栄一ノ遷任ニ関スルモノノ如シ。