デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

1編 在郷及ビ仕官時代

2部 亡命及ビ仕官時代

4章 民部大蔵両省仕官時代
■綱文

第3巻 p.234(DK030078k) ページ画像

明治四年辛未八月(1871年)

改正掛廃止セラル。


■資料

青淵先生伝初稿 第七章一・第四九―五〇頁 〔大正八―一二年〕(DK030078k-0001)
第3巻 p.234 ページ画像

青淵先生伝初稿 第七章一・第四九―五〇頁 〔大正八―一二年〕
○上略 先生の主唱により設置せられしかの改正掛も、二省分離の際大蔵省の所属となりたれども、其以後における改正掛の議案文書を閲するに、従来は改正掛なる文字の下に必ず先生の捺印ありしに、此後は却て検閲に当れる卿輔丞連名の箇所に先生の名と捺印とあるをおもへば蓋し先生は此時より改正掛を去れるものゝ如し。されど同掛には卿輔等も列席して討論評議せしことなれば、先生もまた少丞として之に臨みたるのみにて、改正掛の首脳にはあらざりしならん。故に爾後の改正掛の事業は此に掲載せず、たヾ先生に関係する事のみを、他の諸項と共に記述するに止めんとす。因にいふ改正掛は、明治四年八月官制改革の際に廃止せられたり。


法規分類大全 第一編 官職門十 官制 大蔵省一 第二一頁 (頭註)(DK030078k-0002)
第3巻 p.234 ページ画像

法規分類大全 第一編 官職門十 官制 大蔵省一 第二一頁 (頭註)
三年七月民部省ト分省ノ際改正掛ノ称見ヘス、此時廃セシ歟、然ラサレハ四年八月官制改正ニ依り廃ス
   ○本資料ニヨレバ改正掛ノ廃止期日ハ疑問ナリ。姑ク「初稿」ノ所説ニヨル。今他ノ資料ナシ。尚ホ栄一ガ何時迄改正掛長タリシカモ疑問ナリ。栄一ハ「雨夜譚」ニモ其他ノ談話ニモ之ニツキ語ル所ナシ。「初稿」ハ二省分離ノ際ニアリトスレドモ、ソノ理由モ明確ナラズ。按ズルニ、謂フ所ノ二省分離トハ三年七月十日ノ民部・大蔵両省ノ分離ヲ指スモノナレドモ栄一ハ分省後一ケ月半ニシテ三年八月二十四日租税正ヲ以テ大蔵少丞ニ任ゼラレタルヲ以テ、「従来は改正掛なる文字の下に必ず先生の捺印ありしに此後は却て検閲に当れる卿輔丞連名の箇所に先生の名と捺印とある」トイフ場合ノ「従来」ト「此後」トハ分省前後ノコトニ非ズシテ、栄一ノ少丞遷任前後ナルヤモ知レズ。即チ栄一ノ署名捺印ガ卿輔丞連名ノ箇所ニナサルヽニ至レルハ、栄一ガ改正掛ヲ去レル故ニ非ズシテ、単ニ少丞ニ任ゼラルヽニ至レル故ナルヤモ知レズ。シカモ少丞ニ任ゼラレテモ租税正ハ旧ノ如クニシテ、直チニ他ノ事務ヲ課セラレタルニ非ザルヲ見レバ、カヽル疑問モ理由ナキニ非ザルベシ。何レニシテモ「初稿」ノ断定ハ未ダ決定的ナルモノト言ヒ難シ。仮ニ「初稿」ノ断定ノ如ク分省ノ際去リタリトスルモ尚其後モ本掛ニ関与シタルコトハ「初稿」ノ記述ニヨルモ明カナリ。