デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.79-82(DK040011k) ページ画像

明治7年9月12日(1874年)

政府ニ於テ上海ニ新貨並ニ円銀交換所設立ノ議アリ。是日、同行、大蔵省ノ命ニ依リ行員松田源五郎、陽其二ヲ上海ニ派遣シ、上海・香港辺ニ於ケル墨銀、貿易銀並ニ新貨、円銀等ノ流通景況ヲ調査セシム。栄一之ニ与リ、自ラ上海交換所条例ヲ草按シ其衝ニ当ラントス。後、政府ノ議変ジ同所設立ハ実行ヲ見ルニ至ラザリキ。


■資料

銀行全書 二篇 一(DK040011k-0001)
第4巻 p.79-80 ページ画像

銀行全書 二篇 一           (三井文庫所蔵)
 (欄外朱書)八月三十一日上達
 (朱印)
 
 - 第4巻 p.80 -ページ画像 
                 (朱印)            (朱印)
明治七年八月卅日 九月二日済   権大属 本原静一(印)
         (二行朱書)
  卿      二月二日達済
  輔 代理
    (朱印)
   丞(印)    理財課議案掛
   (朱書)
   同日出納ヘ
                    (朱印)
      (朱印) (朱印)   (印)      (朱印)
   紙幣頭(印)  出仕(印)   属(印)
   (朱書)
   八月三十一日
        (朱印)       (朱印)       (朱印)
   出納頭  助  属 

今般支那上海香港辺御国貨幣流通之景況探知之義、第一銀行江御下命不日出立致候段、別紙之通届出、右到着之上ハ時々実際報知之筈ニ御取極相成候処、右ハ内地諸紙幣流融上ニ関渉候義不少候間、当寮於テ承知不致而ハ不都合ニ付、右報告ハ当寮ヘモ其都度差出候様御達相成度、依而第一国立銀行ヘ達案共相伺候也
   達案
                    第一国立銀行
(朱割印)
紙契
    其銀行江貨幣流通之景況探知之為メ、上海香港辺江出出張被命候《(衍カ)》、就而ハ右出張之者ヨリ実際報告書差越候ハヽ、其都度当寮ヘモ可差出、此旨相達候事
    七年九月二日
                    紙幣頭 得能良介
(欄外記事)記 第百八十一号

 (欄外)第四百三拾六号
兼而御届申上候今般当銀行ヨリ支那上海香港辺ヘ御国貨幣流通向探知之義、御本省ヨリ御下命ニ付、取扱方心得之廉々先日御本省江奉伺候処、都而伺之通御許可相成候ニ付、来月三日之郵船ヲ以テ当地出発、大阪長崎江立寄、来月中旬ニハ長崎出帆彼地ヘ罷越候様可仕ト存候、依而右出張之人名書相添、此段御届申上候也
                     (朱印・東京第一国立銀行印章)
                     
 明治七年八月廿九日          第一国立銀行
   得能紙幣頭殿
                 出張人名書
                    松田源五郎
                    陽其二


渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)九月一五日(DK040011k-0002)
第4巻 p.80-81 ページ画像

渋沢栄一 書翰 吉田清成宛(明治七年)九月一五日
             (京都帝国大学文学部国史研究室所蔵)
奉啓、然は先日書中申上候拝晤之義十七日頃ハ御寸閑も御貸被下候旨御示諭ニ付、明後十七日午後第三時頃より両替町三井小野両組扱所之裏ニ西洋家作有之至而閑静ニ付夫ヘ御枉駕相願緩々相伺申何度卒御差繰之
 - 第4巻 p.81 -ページ画像 
程奉願候、尤向後之都合等も篤と御教示を蒙り度ニ付、取締役中両三人打寄御待申上度候、将又此度上海表へ交換所御設置等之御下命も有之候間、其方法をも申上度、夫是ニ付紙幣頭殿をも御光駕相願度、是ハ未タ不申上候得共、明日相願候心得ニ御坐候、右御都合奉伺度、もし又十七日にて御差支ニ候ハヽ、十八日にても宜敷候
右拝願如此御坐候 匆々頓首
  九月十五日
                    渋沢栄一
    吉田大蔵少輔様
   尚々両替町ハ駿河丁三井組之前を西へ壱丁計参り、北側ニ御坐候


第一国立銀行半季実際考課状 ○第三回〔明治七年下期〕(DK040011k-0003)
第4巻 p.81 ページ画像

第一国立銀行半季実際考課状
  ○第三回〔明治七年下期〕
支那国上海ニ於テ新貨並円銀交換所御設立ノ儀、目今御詮儀中ニ付、上海香港辺墨銀貿易銀並御国新貨円銀等流通ノ景況探知ノ為メ、当銀行ヨリ手馴候者差遣シ、篤ト探知ヲ遂ケ可申旨、大蔵省ヨリ御下命相成候ニ付、諸事大蔵省並紙幣寮ヘ伺済ノ上、松田源五郎・陽其二ヲ撰任イタシ、彼国領事官ヘノ御添書及航海免状ヲ請取、九月十二日当地出発為致候
右出張ノ人員松田源五郎・陽其二ハ十二月二十日帰京イタシ、彼国探知ノ摸様詳悉書面ヲ以テ大蔵省並紙幣寮ヘ上申イタシ候
  但右出張中書翰ヲ以テ申越候件々ハ其時々上申イタシ候
○中略
支那国上海ニ於テ追テ交換所御設立相成右取扱向ハ当銀行ヘ御下命可相成ニ付、銀行条例ニ照準、方法規則取調、紙幣寮ヘ上申可致旨、大蔵省ヨリ御達相成リタルニ付、探知ノ為メ派出ノ者帰京ノ上上申ノ積リ、紙幣頭閣下ヘ上申イタシ候

第一国立銀行半季実際考課状 ○第四回〔明治八年上期〕(DK040011k-0004)
第4巻 p.81 ページ画像

  ○第四回〔明治八年上期〕
支那上海ヘ派出為致候松田源五郎昨七年十二月二十日帰京イタシ彼地探知ノ摸様ハ大略上申致シ置候処、兼而御達相成候交換所条例其外試験年限中損益按算書明細取調、紙幣頭閣下ヘ上呈致シ候


第一国立銀行半季実際考課状 ○第六回〔明治九年上期〕(DK040011k-0005)
第4巻 p.81 ページ画像

  ○第六回〔明治九年上期〕
上海交換所御設置ニ付テハ、昨八年二月中条例草案其外損益予算書相添、紙幣寮ヘ上申致シ置候ニ付、早晩御許可ノ事ト存候、就テ右上申書ニモ有之候通、定位銀貨支那地方ヘ流通相試候ハ、交換所設置ノ楷梯トモ相成候儀ニ付、定位銀貨ヲ上海ヘ輸送ノコトヲ大蔵省ヘ上願シ且神戸出店ノ支那人張徳澄ト約定致シ、右輸送ノ銀貨代リ洋銀ハ神戸又ハ横浜ニテ受取リ、銀貨ハ上海ニテ交附スルノ手続ニテ六月中旬ヨリ逓送取扱仕候


渋沢子爵家所蔵文書 【(栄一筆)上海交換所条例】(DK040011k-0006)
第4巻 p.81-82 ページ画像

渋沢子爵家所蔵文書
(栄一筆)
上海交換所条例
 - 第4巻 p.82 -ページ画像 
 新貨貨及円銀《(マヽ)》ヲ広ク支那地方ニ流通セシメン為メ上海ニ於テ其交換ヲ取扱フヘキ兌銀舗ヲ設置スルニ付、大日本政府大蔵卿ハ右銀舗ノ事務取扱ヲ東京第一国立銀行ニ命シ、其処務ノ順序ヲ制定シタル条条如左
   第一条 交換所設置ノ手続ヲ明ニス
第一節 此交換所ノ主務ハ我本位定位ノ貨幣及円銀ヲ広ク支那地方ニ流通スルコトニ尽力シ、常ニ商業上ノ得失ヲ考ヘ銀貨円銀ト支那地金銀及洋銀等交換ノ取扱ヒヲ為ス可シ
第三節 此交換所ノ事務取扱方ハ第一国立銀行本店ニ於テ(○以下欠)

  〔欄外記事〕
   此交換所ハ大日本大蔵卿ノ命ヲ奉シ、第一国立銀行本店ニ於テ之ヲ担保シ、其設置ノ場所ハ支那上海ニ於テ適宜ノ地ヲ撰ミ銀行ノ名ヲ以テ開業シ其事務ヲ取扱フヘシ


第一銀行五十年史稿 巻二・第二六―二八頁(DK040011k-0007)
第4巻 p.82 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻二・第二六―二八頁
  清国上海に於ける新貨幣及円銀交換所設立の内議と行員の派遣
七年八月政府は清国上海に交換所を設けて、我国の新貨幣及び一円銀貨等を清国に流通せしむるの議あり、其調査を本行に命ぜられたれば本行は行員松田源五郎・陽其二の二人に交換元金参万円を授け、上海に派遺して銀塊の買入に従ひ、併せて上海香港附近における墨銀貿易銀及び我国の新貨幣円銀等流通の実況を探究せしめたり。九月十三日に至り、政府は交換所設立の暁には、交換事務取扱を本行に命ずべければ、銀行条例に準拠して方法規則等を取調べ、紙幣寮へ伺出づべしとの命あり、然るに松田源五郎等が上海において買入れ送附せる銀塊を分析せる結果、買入の利益なきことを知り、松田等は又彼地の銀行に出入して調査せしに、我円銀の比価は墨銀と大差なきのみならず、其流通の区域は上海香港等にあらず、寧ろ福州厦門地方にありて予想に反し、而して福州厦門地方は当時物情騒然たれば、十一月を以て一旦帰国せり、かくて本行の意見は、現在に於てはかねて期待するが如き利益なしといへども、交換所設立の上努力せば、相当の成績を挙ぐるを得べしといふに帰し、上海交換所条例を起草し、営業損益見込書を添へて紙幣寮に上申したるに、幾もなく政府の議変じて実行を見るに至らざりき。


青淵先生伝初稿 第九章中・第一〇―一一頁(DK040011k-0008)
第4巻 p.82 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章中・第一〇―一一頁
  上海交換所設立の計画と中止
  行員の清国派遺
此年○明治七年八月政府は清国上海に交換所を設立し、我国の新貨幣及び一円銀貨等を清国に流通せしむることを謀り、其調査を第一国立銀行に命じたるを以て、先生は行員松田源五郎及び陽其二を上海に派遣調査せしめ、十二月二十日其復命により、銀行の手にて上海交換所条例を起草し、自ら其衝に当らんと欲したりしが、政府の議変更して実行に至らざりき。