デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.605-608(DK040064k) ページ画像

明治35年4月3日(1902年)

本店新築披露ヲ行ヒ、兼ネ其中庭ニ建設セル栄一銅像ノ除幕式ヲ行フ。支配人佐々木勇之助ノ祝詞アリ。栄一答辞及行員一同ニ訓戒ノ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第一六七号・第三二―三四頁〔明治三五年四月〕 ○第一銀行新築披露会景況;新築第一銀行の構造及設備(DK040064k-0001)
第4巻 p.605-606 ページ画像

竜門雑誌 第一六七号・第三二―三四頁〔明治三五年四月〕
    ○第一銀行新築披露会景況
第一銀行新築建物は去三月卅一日落成したるを以て四月三日午前九時より午後四時迄府下の紳士紳商等を招きて屋内を観覧に供し新築の披露を為したるが、来観者は蜂須賀侯爵、鍋嶋侯爵、三井男爵、三井守之助、三井養之助、大倉喜八郎、浅野総一郎、原六郎、馬越恭平、今村清之助、園田孝吉、田口卯吉氏等を始めとし無慮一千余名にして、頭取たる青淵先生を始め佐々木支配人以下入口に於て一々来観者を迎へ当日の紀念品たる白扇及紙挟を交付し、続て行員の先導にて先づ営業場を始め各室を鄭寧に案内し詳細なる説明をなし、階上の広間には接待場を設け立食茶菓の饗応ありて、観覧を終りたる者は順次後の入口より夫々退散したり、尚ほ当日午前八時今回同行中庭に建設したる青淵先生の銅像除幕式を挙行し、先づ佐々木支配人の祝詞あり、続て同先生の答辞、及行員一同に対する懇篤なる訓戒の演説ありたりと云ふ
    ○新築第一銀行の構造及設備
第一銀行本店新築建物は地を日本橋区兜町一番地に卜し、去明治三十一年九月十五日に之が起工を為し、頭取たる青淵先生の素志に基き其設計並に構造等は専ら堅牢なるを旨とし華美の装飾は努めて之を避け支配人佐々木勇之助氏之が指揮を為し、工学博士辰野金吾氏の設計に基き工学士新家孝正氏工事監督の任に当り、暖房工事は工学博士坂田貞一氏、電気工事は工学博士玉木弁太郎氏担任して、爾来約三ケ年半の星霜を経、遂に今三十五年三月三十一日を以て全く玆に其工事全部の落成を告げ、愈々去四月六日此に移転し、明七日より此新築家屋に於て営業を開始せり、今其構造及設備の概略を記載すれば左の如し
    建築紀要
地坪     八百七十三坪八合二勺五才
   建坪     四百七十二坪六合
   本館     外法四百一坪四合
     内
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   営業室    二百七坪八合
   重役室及各室 百六十二坪五合
   金庫     三十一坪一合
  附属家七十一坪二合
構造 石造にして石材は花崗石白丁場石を用ひ、壁真に鉄棒鉄条を積込み、各室の床は鉄骨耐火構造にして、入口及窓には英式のシヤツターを用ひ、屋根は防火の為めアスベストスミルポードを用ひ、銅板及スレートを以て葺立て、屋上に避雷針を設け、各室に暖房器を備へ、地下室に発電機並に蓄電池を置き、電灯及金庫内換気の用に供し、三階に至る迄非常消火栓を設け、耐火防火等の設備には最も周到なる注意を用ひ、完全を期したり
基礎 コンクリート厚さ五尺其底面地盤線より十五尺なり
     室内の設備
各室の床は鉄骨耐火構造にして、鉄製床板の上にコンクリート厚五寸を敷き、廊下廻りは直に同上を石粉叩に仕上け、室内はコンクリート上に木造床の構造を施し、寄木張を以て装飾したり、但し営業室の部分はクノリヤムナ敷物を以て装飾し、一は音響の伝播を防禦する目的に供せり
     壁真
壁真に積込める鉄棒は径一吋半にして、基礎コンクリート上より軒上迄建つるものにして、同鉄棒を各窓面並に建物の角々に建込み、相互に連結せしむる為に「アイバー」と称する平鉄厚八分三吋、幅三吋のものを用ひ、窓及入口を除き、積込に便なる位置と凡六尺を隔てゝ悉く之を貫き、壁中に積込み築造せしものなり
     金庫
金庫は二重の構造にして、内庫の扉及マンボールは英国チヤブ会社の製品を用ひ、外庫の扉及マンボールは竹内金庫店の製品を用ひ、又地下室にもセーフデ、ボジントの安全金庫を設け、貴重品保護預の用に供す
     用材
石材は花崗石及白丁場石を用ひ、煉瓦石は日本煉瓦株式会社製品を用ひ、セメントは浅野及三河セメントを使用せり、鉄材は米国カーネギー会社製品を用ひ、床板に独国カメリツチ社製造の波形鉄を用ひたり
     室数
室数は営業場一、支配人室一、文書課室一、検査課室一、頭取室一、重役室一、重役客室一、金庫一、応接室三、食堂一等にして、又階上には客室一、応接室二、予備室一等ありて、地下室には行員食堂一、金庫一、喫煙室一、発電室一、蓄電室一、予備室等を重なるものとす
     中庭及銅像
営業室の背部に廊下を隔て鍵形の中庭を設け、各室の光線及空気の流通を完全ならしめ、又其庭中に花崗製の石台を築き、其上に渋沢男爵の洋装にて直立したる全身の銅像を装置したり、此銅像は渋沢男爵還暦の節第一銀行行員一同より長沼守敬氏に依嘱して鋳造せしめたるものを、建築落成に際し此庭中に建設したるものなり

 - 第4巻 p.607 -ページ画像 

渋沢栄一 日記 明治三五年(DK040064k-0002)
第4巻 p.607 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年
四月三日
午前八時朝餐ヲ畢リ第一銀行新築披露ノ席ニ出頭ス、余ノ銅像除幕式アリ、支配人佐々木氏祝文ヲ朗読ヲ《(ス)》、依テ一場ノ答辞演説ヲ為ス、畢テ新築ニ移転ニ関シ行員一同ニ注意ノ件々ヲ説示ス、九時ヨリ来賓続続群集ス、終日接伴ニ勉焉ス、午後五時行員一同相会シテ銀行ノ万歳ヲ三唱シ、各三瓶ノ酒杯ヲ挙ク、六時王子別荘ニ帰宅ス
  ○コノ銅像ハ現在玉川清和園ニアリ。


株式会社第一銀行第十二期営業報告書〔明治三五年上期〕(DK040064k-0003)
第4巻 p.607 ページ画像

株式会社第一銀行第十二期営業報告書〔明治三五年上期〕
    処務要件
一去ル三十年以来新築ニ着手シタル営業場落成シ、四月七日ヨリ移転営業スヘキニ付同月三日当銀行ノ株主及取引先並ニ京浜間ノ貴紳ヲ招待シ来観ヲ乞ヒタリ
一同月七日ヨリ二十一日迄ノ間ニ於テ本支店出張所所在地ニ於テ本店ノ移転ヲ登記セリ


第一銀行五十年史稿 巻五・第一五―一六頁(DK040064k-0004)
第4巻 p.607 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻五・第一五―一六頁
    本店新築工事の落成
曩に着手せる本店の新築工事は、支配人佐々木勇之助諸般の事務を総理し暖房工事は工学博士阪田貞一、電気工事は工学博士玉木弁太郎担任三箇年半を閲し、明治三十五年三月卅一日至りて全く落成せしかば、四月三日府下の紳士紳商を招待して披露の宴を開き、且行内の中庭に建設せる頭取渋沢栄一の銅像除幕式をも挙行せり、銅像は頭取還暦の賀に、行員一同の発起にて長沼守敬の鋳造せるものなり。即ち同月六日仮営業所を鎖して玆に徙り、七日より営業を開始せり、新築の家屋は三階の石造にして、花崗石白丁場石を用ゐ、壁には鉄棒鉄条を積み込み各室の床には鉄骨を張れるなど耐火防火の設備最も完全なり、其構造は堅牢を主とし務めて華美の装飾を避けたり、今日楓川の東、海運橋の北に巍然たるもの即ち是なり。



〔参考〕竜門雑誌 第一三二号〔明治三二年五月〕 ○第一銀行の新築工事(DK040064k-0005)
第4巻 p.607-608 ページ画像

竜門雑誌 第一三二号〔明治三二年五月〕
    ○第一銀行の新築工事
第一銀行は明治六年第一国立銀行創立の際より、廿余年間青淵先生の統理の下にありて、拮据経営以て国立銀行の摸範たることを期し、営業の基礎益鞏固となり、其区域拡張せられ、明治廿九年九月廿五日国立銀行の営業満期となるへきを以て、更に資本金を四百五十万円に増加し、私立銀行として営業を継続することゝなりしを以て、此際本支店の建築にして改築を要するものは、漸次其工事に着手するの議、重役の間に起り、遂に卅年一月廿五日営業継続後、第一回株主総会に於て、本店家屋改築の為め毎季其積立金を設くへく、而して其構造は事務所総坪数大略三百三十余坪金庫三十二坪、外に附属家屋等若干にして、其費用は大約十五万円以上弐拾万円許の予定なれとも、当時其製
 - 第4巻 p.608 -ページ画像 
図設計中なるを以て、他日予算を確定して更に報告すべき旨を告け、且つ同季より其積立金を為すへきことを議了し、同期利益金の中より弐万円を新築費積立金となし、其後毎半季必らす同額の積立金をなせり、之と同時に仁川支店名古屋支店をも改築するの議起り、本店改築の序を以て其工事に着手することゝせり、
建築の設計は日本銀行其他の建築物の設計者として監督者として工学社会に有名なる工学博士辰野金吾氏に委托したり、同氏は工学士石井敬吉氏を補助となし、工学士新家孝正氏を工事監督となし、工学士森山松之助氏、建築師中尾光次郎、日高尚忠氏等を招致して、製図及ひ工事に着手せしむることゝなせり、銀行に於ては主として本店支配人佐々木勇之助氏、周密にして敏慧なる注意を以て、其監督の任に当られたり、
○本店 本店の位地たる、殆かも世界の金融市場の中心たる倫敦に於けるロンバードストリートの如く、将来に於て東洋市場の中心たるへき東京の最中心――銀行取引所其他の金融機関か軒を並へて其営業を競へる日本橋区兜町に於て――而かも銀行建築の最良条件とも云ふへき四隣街衢に接したる、即ち出入に最も便利なる地位を占むるものなり、此好位地に於て、辰野工学博士の細密にして豊富なる意匠を以てRenaissance Style復興式に則りて其設計を為し、外観の美を衒んよりも寧ろ建築の堅牢を旨とし、佐々木支配人の親切にして周到なる注意を以て、接客と執務の便利を主とし監督せらるゝことなれば、実に私立銀行の模範建築と云ふも不可なきなり、
明治三十一年五月を以て旧営業所の後方兜町弐番地に建設せる仮営業所に移転し、直に旧営業所を取毀ち、九月に至り残材を悉く取除き、同月より新築工事に着手せり、
建築は前後の二部に分れ、前部は営業場にして後部には重役室支配人室其他の事務室応接室食堂を設け、其上層を会議室となせり、其他地中室を設けたり、最も光線と換気とに注意を加へ、外壁は石造にして内壁には鉄条を縦横に交叉し、床は新式の耐火床を張り、震災火災等の危険を防き、暖房機、消火機、電灯其他内部の設備微細の粧飾に至るまて、質素を旨とし実用を主として計画をなせり、
目下基礎工事に着手中にして、日々数十人の人夫を役して松材を打ち込みて地盤固めをなし、一方に於て蒸滊機を用ひてコンクリートを製造せり、河岸に仮橋を架設して建築用材の揚卸をなし、深川大工町の作事場と水上にて往来せり、
工程尚初期にあれとも、明後年の末に到りて落成せるものとせは第一銀行は二十世紀の劈頭に於て巍然として海運橋畔に大観を現すへし、