デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.617-620(DK040066k) ページ画像

明治36年1月24日(1903年)

株主総会ヲ開キ韓国ニ於ケル支店出張所ノ開設及ビ損益計算ニ関スル定款改正ヲ議決ス。栄一之ニ出席シテ前年視察シタル欧米諸国銀行ノ状況ヲ報告ス。


■資料

株式会社第一銀行第十三期定時及臨時総会決議録 〔明治三六年一月〕(DK040066k-0001)
第4巻 p.617-618 ページ画像

株式会社第一銀行第十三期定時及臨時総会決議録
                      〔明治三六年一月〕
    第十三期定時及臨時総会決議録
明治三十六年一月廿四日午後一時ヨリ株主定時及臨時総会ヲ東京銀行集会所ニ開ク、株主総数千五百六十四名此株数拾万株ノ内、出席株主百十三名此株数二万三千二百二十五株、委任状ヲ以テ代理ヲ委托シタル者七百九十七名此株数五万二百五十三株、合計株主九百十名此株数七万三千四百七十八株ナリ
右出席株主ハ午後二時議席ニ就キ、頭取ヨリ昨年下半季営業ノ景況及損益勘定ヲ報告シ、同期貸借対照表・損益計算書・財産目録ハ株主各位ニ配付シタル営業報告書ニ添付シ置キタルニ付其承認ヲ得タキ旨ヲ告ケ、一同異議ナキ旨ヲ述フ、依テ左ノ如ク利益金分配案ヲ提出シタルニ満場一致原案ノ通リ可決ス
一金参拾九万七千参拾六円九拾弐銭    当半季利益金
一金八万千七百九拾八円五拾参銭     前半季繰越金
 合計金四拾七万八千八百参拾五円四拾五銭
  内
 金参万千七百六拾円          役員賞与金
 金拾万円               積立金
 金弐拾弐万五千円           配当金 壱株ニ付金弐円弐拾五銭即年九分ノ割
 金拾弐万弐千七拾五円四拾五銭     後半季繰込金
右終テ臨時総会ヲ開キ左ノ議案ニ依リ定款変更ノ件ヲ議シタルニ満場異議ナク悉ク原案ノ通リ可決ス
一定款第四条中「出張所韓国京城」トアルヲ「支店韓国京城」ト改正スルコト
 理由 京城出張所ハ明治二十一年十月開設以来漸次業務拡張セシヲ以テ京城支店ト改称セントス
一定款第四条ニ「出張所韓国鎮南浦」及「出張所韓国群山」ノ字句ヲ追加スルコト
 理由 韓国鎮南浦及群山ノ両港ハ開港以来日韓貿易次第ニ発達シ金融機関常設ノ必要ヲ生シタルニ付新ニ出張所ヲ増設セントス
一定款第二十六条ヲ左ノ如ク改正セントス
 「当銀行ノ損益計算ハ毎期総益金ヨリ支払利足其他諸経費損失金等ヲ引去リ其総額ヲ純益金トナシ、此内ヨリ所有物減額償却ノ必要アル時ハ其金額ヲ控除シ、純益金ノ百分ノ三ニ当ル金額ヲ役員賞与金トシ、同百分ノ十以上ヲ積立金トシテ引去リ其総額ヲ株主ニ配当ス
 - 第4巻 p.618 -ページ画像 
ヘシ、但計算ノ都合ニヨリ後期ヘ繰越金ヲナスコトヲ得」
 理由 当銀行役員賞与金ハ毎期総益金ヨリ控除スルコトニ規定シアレトモ右ハ純益金ヨリ支出スヘキモノニ付定款ヲ変更スヘキ旨其筋ヨリ示達セラレタリ。依テ此際支配人以下ノ行員ニ賞与金ヲ給与スルノ制ヲ廃シ給料制度ニ改正シ、役員賞与金ハ其割合ヲ減シテ重役ノミニ給与シ、其一分ハ行員ノ恩給基金ニ充ツル目的ナリ
右終テ頭取ヨリ昨年海外漫遊ノ節視察シタル欧米諸国銀行ノ状況ヲ報告シ、午後二時四十五分散会セリ
右之通リ決議候処相違無之候也
 明治三十六年一月廿四日   株式会社第一銀行
                 頭取  渋沢栄一
                 取締役 西園寺公成
                 同   三井八郎次郎
                 同   佐々木勇之助
                 同   熊谷辰太郎
                 監査役 須藤時一郎
                 同   日下義雄
   ○栄一ノ欧米視察ニ就キテハ本編第二部第二章外遊ノ項ヲ参照セヨ。


株式会社第一銀行第十三期営業報告書〔明治三五年下期〕(DK040066k-0002)
第4巻 p.618-619 ページ画像

株式会社第一銀行第十三期営業報告書〔明治三五年下期〕
    営業景況
本期間ノ金融ハ爾来経済界沈滞ノ後ヲ承ケ甚タ静穏ニシテ資金ノ需用ヲ喚起スルニ至ラス、今其概況ヲ列叙スレハ、外国貿易ハ銀塊相場下落ノ為メ対清貿易ニ於テ殊ニ不振ヲ極メ、又陸羽地方米穀不作ニシテ外国米ノ輸入少カラサリシト云ヘトモ、生糸ハ近来稀ニ見ルノ好況ニシテ輸出頗ル増進セシヲ以テ聊カ其平均ヲ保ツヲ得タリ、即本期間輸出入ノ合計ハ弐憶八千六百万円ニシテ計数上ニ於テハ僅ニ八百五拾万円ノ輸出超過ヲ示スト云ヘトモ正貨ハ弐千参百五拾万円ノ流入アルニ至レリ、政府ハ七月九月十一月ノ三回ニ大蔵省証券参千万円ヲ発行セラレシト云ヘトモ概ネ旧証券ノ償還ニ当テラレ、十月ニ至リテ預金部所有ノ公債証書五千万円ヲ倫敦ニ売却セシモ、其代リ金ハ未タ収入セサルヲ以テ一般ノ金融上著シキ変動ヲ見ルニ至ラス、日本銀行ノ正貨準備ハ前期末ノ八千万円ヨリ本期ニ於テ壱億万円以上ニ増加シ兌換券発行高モ亦弐憶万円ニ増加セシト云ヘトモ、其貸金高ハ七月以降十二月末ニ至ル迄逐次其数ヲ減シ常ニ発行余力ヲ存セシヲ以テ、十月十二月ノ両度ニ於テ貸出日歩各弐厘方ヲ引下ケタリ
之ヲ要スルニ本年下半期ノ商況ハ生糸ヲ除クノ外総テ不振ニ属シ、而シテ金融界ハ常ニ緩慢ニ苦ミ、貸出日歩ハ漸次低落シ前期ニ比シテ四五厘ヲ下レルヲ以テ、預金利子モ七月十月ノ両度ニ於テ各弐厘方ヲ引下クルニ至レリ
事情此ノ如クナルヲ以テ当銀行ハ本支店共常ニ余資ヲ存セシト云ヘトモ、全般営業ノ諸項増進セシヲ以テ幸ニ金参拾九万七千余円ノ利益ヲ収ムルヲ得タリ
当銀行ニ於テ韓国ニ於テ発行スル銀行券ハ本年五月始テ其流通ヲ試ミ
 - 第4巻 p.619 -ページ画像 
シ、以来漸次発行高ヲ増加シ其流通モ漸ク円滑ニ赴クヲ見ルハ大ニ喜フヘキノ現象ナリトス


渋沢栄一 日記 ○明治三五年(DK040066k-0003)
第4巻 p.619 ページ画像

渋沢栄一 日記
  ○明治三五年
十月三十一日
十一時兜町事務所ニ抵リ直ニ第一銀行ニ出勤シテ旅行中ノ概況ヲ報告シ午後一時王子別荘ニ抵ル
  ○五月十五日横浜出帆、欧米ヲ視察シテ十月三十日神戸ニ帰朝ス。
十一月一日
午前十時第一銀行ニ出勤シテ佐々木氏ト留守中ノ行務概況及経済界ノ経過ヲ談話シ且欧米客中銀行事務ニ関セシ調査ノ要領ヲ述ヘ更ニ各重役及行員一同ト会見ス

渋沢栄一 日記 ○明治三六年(DK040066k-0004)
第4巻 p.619 ページ画像

  ○明治三六年
一月廿四日
午後一時第一銀行株主総会ヲ開ク欧米漫遊中ニ係ル銀行事業視察談ヲ為ス午後三時閉会此夜行員一同銀行倶楽部ニ於テ晩餐会ヲ開ク


第一銀行五十年史稿 巻五・第二八―二九頁(DK040066k-0005)
第4巻 p.619 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻五・第二八―二九頁
    留学生の派遣
本行が国立銀行たりし明治七年、率先して留学生を米国に派遣したる事ありしが、其後中絶せり、但し其頃行内に夜学校を開きて、行員に英語数学等を教授せることありしが、是も後に廃止せられたり、されども行員に高等教育を受けたる人才を抜擢するの方針を取り、帝国大学又は高等商業学校卒業の俊才を採用せること多かりしが、明治三十年四月に至り西園寺亀次郎を二ケ年間欧米諸国に留学せしめ、且行務に関する重要なる取調を為さしめたり、而して其調査報告は直接間接に応用せられたり、三十五年五月頭取渋沢栄一は横浜支店支配人市原盛宏・本店文書課長清水泰吉等を随へ、欧米諸国を巡歴して経済事情を視察し、十月帰朝せり、頭取等視察の結果が、如何に本行の発達を助け、延いて一般の経済界商工業界を裨益することの多大なりしかは吾人の弁明を要せざるべし。



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治三六年(DK040066k-0006)
第4巻 p.619-620 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三六年
四月廿三日
十一時第一銀行支店○大阪支店ニ抵リ行員ニ面会シテ事務ヲ視ル
  ○廿一日東京発関西地方ニ旅行ス。
四月廿四日
十一時半西区出張所○大阪ニ抵リ竹山氏ノ案内ニテ行務取扱方ヲ一覧シ
○下略
四月廿六日
午後五時過ノ滊車ニテ神戸支店ニ抵ル熊谷辰太郎岸崎昌其他ノ諸氏来リ迎フ着後直ニ熊谷岸崎二氏ト共ニ兵庫出張所ヲ一覧ス更ニ支店ニ抵
 - 第4巻 p.620 -ページ画像 
リテ夜飧ヲ為シ午後七時半ノ滊車ニテ京都ニ抵ル
四月二十九日
○午後第一銀行支店○四日市支店ニ抵リ行員ニ面会シ行務ヲ視ル。
   ○此日京都ヲ発シ四日市ニ抵ル。
五月一日
第一銀行ニ出勤シテ旅行中各支店出張所等巡視ノ手続ヲ佐々木氏ヘ報知ス
  ○四月三十日東京帰着。