デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
3款 特殊銀行 1. 日本銀行
■綱文

第5巻 p.210-221(DK050049k) ページ画像

明治23年4月15日(1890年)

是年初ヨリ諸企業簇生ノ弊ヲ承ケ金融恐慌ヲ現出ス。是日栄一大蔵大臣松方正義ノ招電ヲ受ケ、安田善次郎、西村虎四郎ト共ニ東京銀行集会所同盟銀行総代トシテ下阪シ、之ガ救済策ニ付協議ニ与ル。其結果翌月八日大蔵大臣ノ認可ヲ得、従来諸公債ノミナリシ日本銀行割引手形担保品種目ニ更ニ十五種ノ株券ヲ加ヘ、見返品制度ヲ創設セリ。


■資料

雨夜譚会談話筆記 上巻・第二〇四―二〇五頁〔大正一五年一〇月―昭和二年一一月〕(DK050049k-0001)
第5巻 p.210 ページ画像

雨夜譚会談話筆記 上巻・第二〇四―二〇五頁〔大正一五年一〇月―昭和二年一一月〕
    第九回雨夜譚会
先生「○上略其後日銀との交渉は前に話した二十三年の金融界の混乱に関してゞある。此時は大阪の方が騒ぎ特に大阪方面の紡績業が困却した。それに就て松方大蔵大臣も川田日本銀行総裁も大阪へ行つて居たが、救済策に就て、尚私にも大阪へ来て呉れと電報で云つて来たので、私は安田と共に下阪し、其処で協議した結果、日本銀行見返品制度を創設した。即ち日銀の担保は国債に限られて居たのを株券をも加へるやうになつたので其の品目を私達が定めたのである。結局株式担保の手形を割引する方法が出来た訳であるのであつた」
   ○銀行通信録(第五四号・明治二三年五月二八日)ニヨレバ四月九日松方大蔵大臣ヨリ下阪ノ招電ヲ受ケ、十一日東京同盟銀行臨時集会ヲ開キ其意見ヲ徴シ、十四日安田善次郎ト同行、十五日大阪ニ到リ大蔵大臣ニ面接ス。
   ○其他ノ詳細ナル資料ハ第六巻東京銀行集会所明治二十三年五月十五日ノ項参照。


青淵先生伝初稿 第九章下・第五七―六七頁〔大正八―一二年〕(DK050049k-0002)
第5巻 p.210-212 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章下・第五七―六七頁〔大正八―一二年〕
かく数年に亘りて企業計画の盛なりしことは、自ら資本の固定を促したるのみならず、明治二十二年に於ける農産物の凶作と銀塊の騰貴とは、相待ちて我が輸出貿易を阻害し、輸入の超過、正貨の流出など、いたく財界を攪乱せるが故に、二十三年に至り遂に未曾有の大恐慌を生じ、泡沫会社の破産する者前後相継ぎ、而して確実なる会社の株券も、亦皆前年の反動を受けて下落の一方に傾き、資金融通の途絶え、世上一般警戒の声高く、金融逼迫して金利暴騰し、経済社会は皆惨澹の色あり。此に於て日本銀行は兌換銀行条例第二条により、制限外に兌換券を増発して其急に応じ、政府も亦二月及び五月の両度に金禄公債八百万円を償還して、資本を市場に散布し、尋で五月法律第三十四号を以て、兌換銀行券条例第二条を改正して、保証準備制限額を拡張し、日本銀行は日本鉄道会社を首とし、十五種の株券を担保品として手形割引の道を開けり。此担保品の制については、先生の努力に負ふ所尠からず、今少しく其事情を語らん。
金融逼迫の時に当り、救済の方法については議論囂々たりしが、先生の意見は、「急激なる救済策は百害ありて一利なし、故になるべく之を自然の推移に委ぬると共に、商工業者は互に相戒めて、自重忍耐を旨
 - 第5巻 p.211 -ページ画像 
とすべし、猥に恐怖の念を抱きて持株の売逃を為し、或は今少しく努力せは成功すべき事業に対して出金を惜み、半途に頽廃せしむるが如きを避け、既に著手せる事業は、必ず成功するの気力を養はざるべからず。されど此際新奇の事業を企つることは不可なり。又通貨を増殖して之を救済すべしとの説を唱ふる者あれども、かゝる急激なる手段は甚だ危険にして、余の賛同する能はさる所なり」といふにあり。先生は此説を以て同業者に説き、遂に東京同盟銀行の意見として、「今日金融の逼迫を救済せんとせば、宜しく姑息の手段を避けて、其根本に著目し、之に適応する方法を講ぜざるべからず。而して其手段たる、日本銀行に於て、東京同盟銀行に対する取引上の信用を厚くし、其取引を増進し、且つ其取引上の制限は、日本銀行に於て之を定め、同盟銀行は各自日本銀行に対する取引の限額に応じて担保品を納置し、其取引金額を以て、実際の運用に十分の力を致し、余裕ある時は之を日本銀行へ預金となし、其出納は当座貸借の手続に拠り、小切手を使用して受払を為し、且つ其担保品の種類は、目下九州・山陽以下諸鉄道株を充用すべきものとして、日本銀行へ請求すべきことゝ為すベし」との議を定め、遥に九州同盟銀行と協商して、将に大に画策する所あらんとす。会々大蔵大臣松方正義・日本銀行総裁川田小一郎の前後して大阪に赴くや、同地の同盟銀行は之を機とし、救済方法二箇条を提議して、其採用を松方に迫れり。即ち各国立銀行・諸鉄道会社等、日本銀行に於て確実と認むる者は、其株券を抵当として、貸出の区域を拡張するか、然らざれは同盟銀行の連帯責任を以て、五百万円を日本銀行より低利に貸与せらるゝかの二条これなり。蓋し大阪の銀行者の考ふる所によれば、政府が曩に七分利付公債証書を償還せんが為に、五分利付公債証書を発行するや、世の資本家の多くは、金利の標準を五分と誤解し、漫に資本を工業に投じたるが為、遂に資本を固定せしめて、今日の窮迫を来したるものにて、要するに政府当局者が財政の方針を誤りたる結果なれば、政府は之に対して当然救済の義務を有すといふなり。されどかく不当なる要求も絶対に之を拒まば、大阪の金融界は恐慌の度を加ふべきが故に、松方は川田総裁と謀議せる後、東京同盟銀行が大阪同盟銀行と相折衝して、調和の途を講ぜんことを希ひ、先生等の下阪を求めたれば、先生は安田善次郎・西村某と共に、東京同盟銀行の総代として、二十三年四月西下し、松方・川田及び大阪同盟銀行の総代と会見謀議すること数日の後、衆皆漸く先生等の意見に同意するに至りしかば、乃ち日本鉄道会社以下十会社の株券を以て担保品と定め、其要求書を日本銀行総裁に呈出せり。日本銀行は此要求に対して、手形割引の方法を拡張し、日本鉄道・日本郵船・海上保険・九州鉄道・山陽鉄道等の諸会社、合せて十五種の株券を担保品として、手形を割引するの道を開きたることは、上文に述べたるが如し。
 因に云ふ、此担保品の制度は、全く一時の権宜に出でたるものなれども、担保品に編入せらるゝと否とは、資金の融通、株券の価格に多大の関係あるが故に、其区域の拡張を要求する者尠からず、終に容易に之を廃止し難き情勢を馴致したれば、明治三十年六月日本銀
 - 第5巻 p.212 -ページ画像 
行方針改正の際、担保品を廃して、保証品即ち見返品の制に改めて手形割引の保証に供することゝなし、其種類を増加したり。


東京経済雑誌 第二一巻・第五一三号〔明治二三年三月二二日〕 渋沢栄一君の金融逼迫談(DK050049k-0003)
第5巻 p.212-213 ページ画像

東京経済雑誌 第二一巻・第五一三号〔明治二三年三月二二日〕
    ○渋沢栄一君の金融逼迫談
渋沢栄一君は過日府下紳商諸氏が実業奨励の為めに設立せる経新倶楽部に於て、会員の請に応じて金融逼迫のことに付き意見を述べられたり、其の要旨は
  昨年の下半季より金融は追々に逼迫の状を呈し、殊に十一、十二月より本年の一二月に至り益々逼迫を告ぐるに至りたれとも、其の原因は当年若くは昨年に起せしものにあらずして、遠く明治十九年若くは廿年に因したるものと思惟す、
  明治十年不換紙幣を発行したる結果は、物価騰貴となり、金融逼迫となりしが、政府は明治十四五年の交より不換紙幣の銷却を始めたれば、十七八年頃は物貨漸く旧に復して、金融も綬慢になるに至れり、十九年に及んで、銀紙の差全く之れなきを見るや、玆に政府は又兌換制度の実行を為したり、当時世上の事業は一般に衰頽して、金利非常に低落し、人々無事に苦み、何かな工夫はなきやと思考せるや、会社事業大に起り、世を挙けて事業創起の感念を持たしむるに至れり、而して其の新事業創起の最も多繁なりしは、明治十九、廿年の間に在りたるが如し、是れ今日の金融逼迫の状を呈せし原因ならん、故に今日の金融逼迫は、国力の衰弱に因て来せしにあらずして、国力増進の途端に起れるものなれば深く憂ふるに足らず、所謂人間ならば病の為めに衰弱して発熱したるものにあらずして、運動の過度に依りて発熱したるものと云ふを得べし、
  去りなから、金融逼迫と云ふ事は決して争ふ可らざる顕像なり、故に此の金融は将来如何に成り行く可き歟、又之を救治するには如何なる方法に依らん歟を研究するに、則ち「全国の実業者心を一にし適当の考案を立てゝ、之を実行する時は今日の逼迫は却て後日の助けともなるべし」、若し左なくして今日の有様に恐懼し、進退度を失ひ、或は此の状況に慣れて、尚ほ止むることを知らざる時は、将来の結果は最も恐るべきなり、病原は既に知られたれば、将来は養生次第にて如何にともなるべし、如何なる大医の薬も、養生が悪しければ、利くべきにあらず、次きは「救治なれど此の救治も急激に失するときは却て害あらん、則ち急激の救治と云はゞ、通貨を増して救治すべしと云ふならんが、猥りに通貨を増して救治せんとするは、予が甚た危ぶむ所なり、故に今日斯の金融逼迫を救治するは、予は実業者自ら救ふの覚悟を定め決して政府の力に依頼するの不可なるを信ず、去れと将来を恐怖して持株の売逃げを為すと云ふが如きことなく其の既住《(往)》に成立せる事業は、忍堪して成効を期すべし、而して新たなる事業の如きは姑らく勘考して時機を見合するに如くなしとす、要するに今日の救治策は我々自ら恐怖の念を抱かず、飽まても忍堪を旨とし、又自ら
 - 第5巻 p.213 -ページ画像 
猥りに走らず、飽まても自重を専一とすること最も急務なるべし云々
殊に今日の金融逼迫を病に譬へて、過度の労働の為めに熱を発したるものなりと云ふが如きは、一言以て尽せりと云ふ可き歟、余輩の所見を以てすれば猶此の他にも其の原因あらんと信ず、唯だ君の自ら明言せらるゝか如く精密なる調査なきを憾むのみ、然れども兎に角実業社会の一指針となるは疑ふ可らず、


竜門雑誌 第二四号・第三九頁〔明治二三年五月一五日〕 ○青淵先生(DK050049k-0004)
第5巻 p.213 ページ画像

竜門雑誌 第二四号・第三九頁〔明治二三年五月一五日〕
○青淵先生 同先生は大蔵大臣及び日本銀行総裁の招きに応じて去月十四日新橋第一番の滊車にて発京し、西京に一泊して翌日大阪に着し、数日の間同地に滞在して其用向を果し、それより大阪・神戸・西京・四日市なる各支店及ひ同地方諸会社の業務を監査し、名古屋を経て本月四日午後七時四十分新橋着の滊車にて帰京せられたり、先生か下阪の要務は即ち金融救治策の議なり


東京日日新聞 第五五三九号〔明治二三年四月一五日〕 大坂に於ける金融逼迫の救済策;渋沢氏の一行(DK050049k-0005)
第5巻 p.213 ページ画像

東京日日新聞 第五五三九号〔明治二三年四月一五日〕
◎大坂に於ける金融逼迫の救済策 株券の下落と金融の逼迫とに当惑し、各地の銀行家が集合して相談を為し、又大蔵大臣に稟議し、又ハ日本銀行総裁に請願する等の次第ハ連日の紙上に記載せる所なるが東京の銀行者ハ過日銀行集会所に於て集合し、予て九州鉄道会社より九州の同盟銀行へ申出たる九州鉄道株抵当の事に加へて山陽鉄道会社株券及北海道炭坑会社の株券を日本銀行の抵当品と為されたしとの事を議決(尤も此の三株券ハ各銀行が日本銀行に対し臨時預けの高より多くの引出しをなせしときに其差額だけの抵当とする事なり)したるに、恰も大坂の銀行者ハ三鉄道株の抵当却《(即)》ち抵当区域拡張の事、若くハ大坂同盟銀行へ大蔵省より低利にて五百万円の貸出しあらんことを請求するに会ふたるを以て、松方大蔵大臣は東京よりハ川田、渋沢、西村、安田の諸氏を呼び寄せて、大坂の同盟銀行に相会して爰に金融逼迫救済の策を講ぜらるゝ由なるが、無論五百万円低利貸出し等のことは今日の財政に於て許さるべくもあらねバ、チト姑息の策乍ら先づハ抵当区域拡張のことに話し纒るべしとなん伝ふ、又此の相談ハ本日大坂に於て相開らかるゝ日取なり
◎渋沢氏の一行 渋沢栄一、西村虎四郎、安田善次郎の三氏は松方大蔵大臣の招きに由り昨日午前新橋発一番列車にて大坂へ出発したり


東京日日新聞 第五五四一号〔明治二三年四月一七日〕 協議決せず(十六日午前十時三十分大坂発電)(DK050049k-0006)
第5巻 p.213 ページ画像

東京日日新聞 第五五四一号〔明治二三年四月一七日〕
◎協議決せず(十六日午前十時三十分大坂発電)渋沢栄一、西村虎四郎、安田善次郎の諸氏ハ昨日川田日本銀行総裁と打寄り協議せしも其話纒らざるを以て本日又松方大蔵大臣と協議することとなれり


東京日日新聞 第五五四三号〔明治二三年四月一九日〕 東京大坂銀行者の打合(十六日夜一時大坂発通信);金融渋滞救済策の結局(DK050049k-0007)
第5巻 p.213-214 ページ画像

東京日日新聞 第五五四三号〔明治二三年四月一九日〕
◎東京大坂銀行者の打合(十六日夜一時大坂発通信)渋沢栄一、原六郎、西村虎四郎、安田善次郎の四氏が去る十五日川田日本銀行総裁
 - 第5巻 p.214 -ページ画像 
の旅館たる北浜一丁目の花外楼に集会せし模様は前号に記せしが、此の集会の有様に対し、渋沢氏等ハ去十六日午後一時松方大臣の旅館たる大坂造幣局構内の泉布観を訪ひ、夫々報告に及び、且つ大臣の問ひに応し意見を述べしに、大臣ハ今一応大坂同盟銀行と打合はすべしとのことなりしかば、間もなく引返し、其事を大坂同盟銀行に申込みしに、大坂同盟銀行にては田中市兵衛、松本重太郎、大三輪長兵衛、岡橋治助、西田永助、熊谷達太郎、金沢仁兵衛の七氏出席することとなり、即ち午後六時より東区伏見町三丁目なる同盟銀行集会所に会せしに、大坂と東京とハ金融渋滞の事情を異にすること甚だしく(即ち東京銀行にハ株券の抵当尠きも大坂ハ如何なる銀行と雖も抵当ハ過半株券を取居らざる者なし)自然渋滞の度も大坂の方遥かに東京より甚だしく、随て其の救治上に於ける感情も自然異ならざるを得ざるとの議もありしが、大体の目的ハ同一なれば段々議論の末大坂と解け合ふて東京の希望(即ち山陽、九州、炭鉱の如き確実の株券を根抵当にする事)に一致する事とはなりぬ、兎に角十七日午前九時より松方大臣を訪ひ、大臣に直接し大坂東京各自其状体及希望を述べての上に決せんとする事とはなりぬ(次項参照)
◎金融渋滞救済策の結局 大坂に於て開らかれたる金融必迫の救済会議ハ十六日に引続て一昨十七日開会、同日ハ午前九時東京の渋沢、安田、西村、横浜の原、大坂の岡橋、大三輪、熊谷、金沢、西田、田中、松本の諸氏、川田日本銀行総裁と共に松方大蔵大臣を造幣局内なる泉布観に訪ふて前夜打合せの模様を報じ、且つ東西銀行困難の状況及び其の状況に対する希望を具申し、大臣よりも諮問ありて問答数刻午後一時に至り漸く協議済とハなりぬ、尤も本件に関する其筋の所置は事体頗重要にして咄嗟の間に決すべき事ならねば、大臣も一己の心のみにては決し兼れば追て沙汰に及ぶべしとの事なりき、元来此事に付てハ大坂は最初より東京の意見(山陽、九州、炭礦の如き確実の株券を根抵当として日本銀行に預けて借出さんとする方法)に異議あるにはあらざりしも、何分大坂ハ銀行の抵当に株券特に多くして金融の渋滞も東京より甚しければ、単に東京の銀行家の請求に甘んじ得べきにあらず、是迄よりハ一層日本銀行の貸出抵当区域を増すか、又は確実なる株券を抵当として三ケ年賦にて五百万円を借出すに非らずんば到底其の目的を達し難し、如何にもして五百万円貸出の議を許るされ度しと云ふ請求なりしも既に其筋にて例の根抵当を許容相成るに於てハ五百万円の貸出をも与へらるゝ事もあるべしとの事にて遂に東京の意見に落合ひ、其の意見を以て大臣に請願せしとの事なり、然らば此議果して許さるべきや如何と云ふに松方伯と川田氏とは如何にもして大坂をして東京の意見に落合ハしめんと勉められし如く見え、其の口振にて見ても勿論東京の意見を採用せらるゝには相違なかる可しと云へり


東京日日新聞 第五五四四号〔明治二三年四月二〇日〕 五百万円の請求ハ拒絶せらる;大坂銀行家の奔走(DK050049k-0008)
第5巻 p.214-216 ページ画像

東京日日新聞 第五五四四号〔明治二三年四月二〇日〕
◎五百万円の請求ハ拒絶せらる 大坂の銀行家が大蔵大臣に請求したる三ケ年賦五百万円借出しの事は到底許るさるまじとの事ハ予て本紙にも掲げしが、右の請求ハ愈よ愈よ拒絶せられたるものと見え、昨
 - 第5巻 p.215 -ページ画像 
日午後三時三十分発の大坂通信者よりの電報に左の如く報ぜり、曰く
  大坂に於ては事情全く東京と異なりて鉄株の抵当位にてハ金融の渋滞救ハるべくもあらねば、特別の詮議を以て大坂の同盟銀行一同へ三ケ年賦にて五百万円の貸下げを為されんことを大坂銀行者一同より請ふたるに、右は詮議に及び難しとて断然拒絶せられたり、但し確実なる株券を担保として信用貸しを請ふ所の書面ハ受付けられたるに依りて、来る廿一日総会を開らきて担保人を議定する筈なり
此電報を前項と対照する時は大三輪、田中の両氏ハ京都に往いて松方伯に面し、其事情を情願《(請)》せしも願意遂に叶ふまじきよし松方伯より申聞けられたるものと見ゆ、又鉄株抵当のことも予てハ山陽九州炭礦の三鉄株として願はんとの風説なりしが、己に三株の抵当とする上ハ今一層拡め得べからざるにもあらずとて、甲武水戸両毛の三株を加へて六鉄株にせんとの議盛なりと云へば、廿一日の会議には此事決定せらるゝなるべく、随て六鉄道株抵当の価の割合も決定せらるべきにや
◎大坂銀行家の奔走 大坂の銀行家は松方大蔵大臣の言に、大坂の銀行家が縷々陳述せし大坂金融の状態並に希望共能く能く了解したりとありしに付き、大坂銀行家ハ例の五百万円貸出の請求為りしと思惟したるに、大臣の去るに臨みて、大体のことハ能く能く判かりしかども尚詳細の儀ハ川田日本銀行総裁と打合せて表向き総裁宛にて書面を差出すべしとの伯の命に依り、大坂銀行家ハ去る十七日総裁を旅館に訪て協議に及び左の書面の趣意を申し込みしに、総裁はかく其額を定めて貸出を受合ふ事ハ六ケ敷しと申さるに依て、尚打ち返して願ひしかど総裁ハ遂に動かず、依て大坂の銀行家は今一応大臣に対して請願に及び、如何にもして聞き届けられたしとて、一昨十八日午前十一時六分梅田発の滊車にて大三輪長兵衛、田中市兵衛の二氏総代として京都なる松方伯を訪ふたりと大坂通信者ハ報ぜり
  謹で上申仕候、客年来金融逼迫諸会社の株式ハ其の確実なると不確実なるとを問はず一般下落の一方に傾き殆んど恐慌とも称す可き場合に立ち到りたるに付てハ、大蔵御省貴銀行に於ても其の事情を洞察せられ、曩きに五分税附兌換券の発行を差許され一時救済の道を開かれしより其の後聊か金融に緩みの模様あるも未だ一般の景況容易に回復に至らざる実情ハ閣下にて於ても御明察可有之奉願上候、抑も斯の如く金融逼迫諸株下落に傾きたるハ其の源因種々之れありと雖も、畢竟両三年来諸会社勃興是迄商業上に運用せし資本を会社株式に化せしめ、其の事業に固着せしめたるもの甚だ多く金融必要の際概ね之を抵当として銀行より貸入れ融通するの振合なりしが、客年来金融逼迫に連れ漸く之を維持するの力尽き益々株式の下落を促し其の確実なるものも亦た不確実なるものゝ余響を受け玉石混淆の有様にて諸会社一般非常の困難を極め、随て同盟銀行の如きも至大の影響を受くるに至れり、現今の勢を以て荏苒打過ぎたらんにハ会社ハ玉石共に瓦解し、一般企業の精神を全く消滅す可く同盟銀行は非常の困難を極め随て国家の経済上にも大関係を及す可くと只管憂慮仕候に付てハ、閣下の
 - 第5巻 p.216 -ページ画像 
御賢慮を煩し、銀行会社焦眉の危急御救済あらんこと切に希望罷在候、則ち救済の方法に付き希望の要領を左に陳述仕候
  一従来の日本銀行に於て実施せらるゝ所の貸付抵当品ハ古金銀及び諸公債証書政府発行の手形其の他政府の保証に係る各種の証券に対する貸付の外其の抵当の区域頗る狭隘にて現銀行会社の株式中貸付抵当の採用せらるゝ者は第十五国立銀行、正金銀行の両行及日本鉄道会社、日本郵船会社、海上保険会社の三会社株式に止て広く金融の便利を全ふする能ざるを以て、此際我同盟銀行に一層の信認を与へられ凡金五百万円を目途とし当座貸越御許容被成下度、尤も右貸越金に対しては同盟銀行協議の上確実堅固なる諸会社銀行を選出し更に御行の御認承を得たるものを担保品として相納め候様可仕候、然るときは大に金融の便を開き恐慌救済の道可相立と愚考仕候
  右希望の要領御許容被成下候様奉願上候、今日の場合御英断を以て救済無之に於ては会社ハ玉石共瓦解して世間一般企業者の精神を沮喪し、再び商業の発達を望む可らざる場合に立ち至り銀行会社は勿論一般の商人等非常の困難を可相極と愚考仕候情実を陳述し此段奉願上候也


東京経済雑誌 第二一巻・第五一八号〔明治二三年四月二六日〕 金融救済に関する大坂会議(DK050049k-0009)
第5巻 p.216 ページ画像

東京経済雑誌 第二一巻・第五一八号〔明治二三年四月二六日〕
    ○金融救済に関する大坂会議
東京、大坂の銀行者が大坂に会して金融救済に関し協議会を開く由は、既に前号に記せしが、大坂の銀行者は先づ第一に日本銀行に於ける抵当の区域を拡むべし、且つ大坂府に対し五百万円の金を一時融通すべしと云ふの意見を提出せしに、東京銀行者は抵当区域を拡むべしと云はず、唯た数種の鉄道株を根抵当として之を日本銀行へ預け其信用に由りて一層融通の道を開くべしと云ふにありしが、去十七日の夜川田日本銀行総裁の旅館に於て、最後の協議会を開きたるに、総裁は五百万円云々の相談に対し、断然否決の答をなせしが、終に東京銀行者の提出に係る、確実堅固なる相当の根抵当を預け之に依りて一層貸金の区域を拡め、即ち当座貸越しの法にて時々入用の時引出す代りに相当の担保品を預け置くべしとの意見に決したる由、右に付き松方大臣の裁許を請ふべしとて、直ちに総代を撰び京都なる大臣の旅館に於て書面を提出せしが、右担保品の種類に付きては尚ほ未定のよしなれども、差当り之に充らるべき見込のものは九州、山陽、炭鉱、両毛、水戸及甲武の六鉄道株と外二三種なるべしと云へり、


東京日日新聞 第五五六〇号〔明治二三年五月九日〕 大坂評定の結果如何(DK050049k-0010)
第5巻 p.216-218 ページ画像

東京日日新聞 第五五六〇号〔明治二三年五月九日〕
◎大坂評定の結果如何 金融逼迫救済の方案を評定し日本銀行の抵当区域拡張の決議をなしたる事は前号屡々記載せしが、此の結果ハ如何に成り行くべきにやあらん、もと大坂銀行家の要求と云ふハ既に世に公けになり居る如く二ケ条あり、即ち其の一は株券残らずを抵当として日本銀行より自由の貸出を許るすか、又ハ大坂銀行家の連帯責任を以て五百万円の額を日本銀行より貸し出す事を許るされ度しと云ふ
 - 第5巻 p.217 -ページ画像 
にありき、かく大坂銀行家ハ大なる金を政府及日本銀行に嘱したるハ如何なる故なるかと云ふに大坂の銀行家ハ此頃の金融逼迫を以て全く政府か財政の方針を誤まりたるが故なりと思ひしなり、即ち現任松方大蔵大臣は曩に七分利付の公債証書を償還するが為めに五分の利付の公債証書を発行したりしを以て世の資本家は金利の標準を五分と心得て漫りに資本を工業に投じたるが故に遂に資本を工業に固定せしめて今日の窮迫を致したるに相違無きなり、されバ今日の金融逼迫は全く政府の失策なり、之を救済する事は之れ政府の義務なりと云ふ土台の考を為せしが故に外ならざるべし、但し大蔵大臣如何に新切なる考を以て此の相談に応せらるゝとも、期の如き大なる金を満す事は到底出来難きによりて断然此の請求を拒絶するか、又ハ他に方案もかなと思ハれしなるべし、尤も折角大蔵大臣に於て大坂銀行家の要求を聞く丈けの事を承知せし上ハ、たとへ如何なる望にしろ無下に之を斥ぞけ去る事能はず之を斥くるに於ては一層恐惶の度を高むるに至るやも知れざるを以て如何にもして之を処分し遣さんと思ハれしなるべし、然るに幸にして東京の銀行家は兼て穏当なる決議を為したる由なれバ之を招き下して大坂銀行家と一致せしむるに如かずとて、扨ハ渋沢、西村、安田の諸氏大坂下りを為されたるものなりと云ふ、東京の銀行家下坂の由大坂に聞こゆるや、大坂の方にては、予て東京の決議の次第を知り特に渋沢、西村等の諸氏は兼てより金融逼迫に処する手段は成るべく自然の成り行きに任かするに如かずとの説なりと云事をも知りしかば、東京より来らぬ先にと思ふて大坂の銀行家は十二三日の頃既に例の要求書を大蔵大臣に差出したりき、尤も大坂の銀行家か五百万円と額を定めて要求せしは全く理由無きに非ず、東京の銀行は其の資本額二千万円に余りあるも、大坂の銀行は其資本総額僅に五百万円に過ぎず、故に今もし東京の決議の如くして三四の鉄株を抵当にする事をのみ許さるゝに於ても、東京の借高二百万円なれば大坂は僅に五十万円の借出しを為し得るに過ず、然るに之を内に顧れは大坂ハ東京に此して却て他数の会社起り金融逼迫の度東京よりは甚しきにより即ち特別の取扱を受んとせし者なるべし、其の要求一応ハ尤の次第なり、併し大坂の要求は両条共に其精神に於て非難せざるを得ざるなり、日本銀行ハ銀行の銀行にして一般の銀行と同じからざるに諸会社の株券を残らず抵当に取るとありてハ大に日本銀行の精神に反すべし、又五百万円の額を限りて貸出す事も到底出来ぬ相談なればとて大蔵大臣は今一応特と協議してよと命ぜらる、此に於て東京大坂双方の銀行者相集り協議数日に渉て漸く東京の意見に一致し、日本銀行の過払貨の額を増す為に信用ありと認めたる諸会社の株券を根抵当に差入るゝ事を願ひ出づる事とハなりぬ、さり乍ら日本銀行は其の性質の上に於て専ら商業上の機関となりて銀行の金融を支配すべきものにして、直接若くハ間接に工業に向て資金を投ずべきものに非ず、現に日本銀行条例に於ては株券を抵当にて貸出を為す如き事ハ禁せられ居る次第なり、曩に日本郵船会社、日本鉄道会社の両株を日本銀行の抵当品とせし時も時の総裁ハ条例及定款違反として之を拒みしにより大蔵大臣より命令ありて即ち抵当品に加へられたる程の次第なれば此度の銀行家の申込の
 - 第5巻 p.218 -ページ画像 
如きも日本銀行条例を改正せざる限りは許るさるまじ、又日本銀行の株主に於ても条例にかゝる大変更あるに於ては何とか了見をつけねばなるまじ、尤も松方大臣に於ても東京の銀行家の見込は然るべしと認められし由なれば、条例を改正し、日本銀行設立の精神を変更し、其性質を取り変へても許るさるべしとの決心なるやに聞こへ、其事既に閣議にも上りたる由なれバ遠からぬ中何分の沙汰あるべし、其の沙汰或ハ金融の逼迫を救助するを得べきや否やは知らざれども、兎に角中央銀行たる日本銀行の性質を変じて迄も尚抵当拡張の事を取り計はるると云へば、此度の大坂評定ハ財政の方針に非常の変動を与へたるものなるべし、財政か財政か財政の方針も随分鳥渡したるものかな


東京経済雑誌 第二一巻・第五二〇号〔明治二三年五月一〇日〕 金融救済策の決行(DK050049k-0011)
第5巻 p.218 ページ画像

東京経済雑誌 第二一巻・第五二〇号〔明治二三年五月一〇日〕
    ○金融救済策の決行
日本銀行総裁は目下の大問題たる金融逼迫を救治せんと、其方案を左の三項の如く定め、先頃大蔵大臣に請願中の処、去る八日を以て認可されたるに付き、翌九日より実行することに確定したり、其方案は
 第一 新に諸会社の株券を担保証として割引を拡張する事
 第二 前項の諸株券を根抵当として信用ある各銀行に対し応分の貸越を許す事
 第三 右株券引受の価格は其払込金額と利益の割合及び市場の相場を斟酌して毎月一回日本銀行に於て之を議定し大蔵大臣の認可を乞ふ事
而して前記株券の種類並に日本銀行が議定して、大蔵大臣の認可を得たる担保価格は左の如し

  社名      担保価格  社名    担保価格
 日本鉄道株    七十円  水戸鉄道株  三十円
 同第二回募集株  六十五円 両毛鉄道株  三十円
 同第三回募集株  六十円  甲武鉄道株  三十五円
 日本郵船株    六十円  関西鉄道株  二十円
 海上保険株    百円   坂堺鉄道株  百円
 九州鉄道株    十七円  大坂鉄道株  三十円
 山陽鉄道株    十五円  讃岐鉄道株  二十円
 炭礦鉄道株    十二円

日本銀行の抵当区域を拡張すべしとは余輩の曩に諭せし所なり、日本銀行の方案は全く余輩の意見に合せり、此方案を決行するに於ては最早金融逼迫の嘆声を聞かざるに至るべし、余輩甚だ之を喜ぶ


日本銀行沿革史 第二巻・第一六九―一七四頁(DK050049k-0012)
第5巻 p.218-221 ページ画像

日本銀行沿革史 第二巻・第一六九―一七四頁
上来既ニ述フルカ如ク初メ本行ハ諸公債、地金銀、商品等ノ外諸株券ニ対シテハ保証品トシテ之ヲ取扱ハサリシカ、漸次事業ノ発展ニ従ヒ保証品ノ区域ヲ拡張スルノ必要アリ、是ニ於テ明治十八年五月政府ノ許可ヲ得テ日本鉄道会社、横浜正金銀行及第十五国立銀行等政府特別監督ノ下ニ在ル確実ナル銀行会社ノ株券ヲ保証品トシテ取扱フコトヽナシタルカ(本編定期貸ノ部参照)爾後本邦財界ニ於テハ各種事業ノ企図セラル
 - 第5巻 p.219 -ページ画像 
ルモノ多ク、従テ諸株券ノ売買盛ニ行ハレ其相場ハ概シテ格外ノ騰貴ヲ示シタリシモ、明治二十二年来米穀ノ凶歉人心ノ消沈ニ伴ヒ其相場噸ニ下落シ、金融逼迫ノ声全国市場ニ喧シク、之カ救済ヲ求ムルモノ続々踵ヲ接スルニ至レリ、此際ニ当リ本行ニ於テ若シ条例定款ヲ墨守シ、従来取扱来リシ保証品ニ対スル外特別ノ融通ヲ与フルコト無クンハ全国到ル処倒産者ヲ生シ非常ノ惨況ヲ見ルニ至ルノ恐ナキニアラス、是ニ於テ本行ハ臨機ノ処置ヲ執リ、確実ナル会社株券ヲ担保トシ信用アル銀行ノ手形ニ対シテ特ニ割引融通ノ便ヲ開カントシ、二十三年五月八日ヲ以テ株券担保付手形割引開始ノ義ヲ大蔵大臣ニ上申セリ其全文左ノ如シ
  客年末以来世上一般ノ金融必迫ヲ告ケ、延テ本年ニ至リ諸会社ノ株券価格非常ニ低落シ、為メニ一層ノ困難ヲ来タシ、世論囂然只管本行ニ向テ其救済ヲ求ムルノ姿ニ候ハ既ニ閣下ニモ御熟知ニ相成深ク御配慮アラセラルヽ処ニ有之、此際本行ハ十分ノ方略ヲ尽シテ救済ノ策ヲ施スヘキハ申迄モ無之コトニシテ日夜苦慮罷在候義ニ御座候、乍去本行ハ条例定款ヲ遵守シ其範囲内ニ在テ当然出来得ル丈ケノ処分ヲ為シ候外無之況ヤ株券低落ノ困難ヲ救助セントスルカ如キハ本行性質ノ許サヽル所ナルヲ以テ、是迄種々ノ請求モ相受ケ苦情モ承ハリ其情実ハ万々諒察致候得共本行ハ堅ク本分ヲ守リテ不得已謝絶致居候以第ニ御座候、而テ従来ノ経験ニ拠レハ毎年四月頃ヨリ九月十月ノ交迄ハ統計上概シテ金融緩慢ノ時季ニ候処本年ノ如キハ更ニ其徴候ヲ見サルノミナラス却テ必迫ノ歎声ヲ絶タス候ニ付今ニシテ何分ノ救治策ヲ施サヽレハ今後尚一層困難ノ域遭遇ニセンモ難計ト深ク懸念仕候、斯ノ如ク株券低落金融必迫ノ場合ニ於テ若シ株式銀行興業銀行等ノ設ケ有之候ヘハ必スヤ円滑ノ調和ヲ得ヘキ義ニ可有之候ヘトモ、我邦未タ右等ノ創設無之経済ノ機関具備セサルニ因リ四方皆来テ本行ニ迫リ候ハ亦已ムヲ得サルノ情勢ニ候、抑商業上ヨリ生シタルノ困難ヲ救治スルハ当銀行ノ本分ニ候得共今回ノ如ク株式ヨリ生シタル困難ニ至テハ若シ単ニ理論上ヨリ之ヲ見レハ毫モ本行ノ責任ニ無之ト被存候、乍併其原因ノ何レヨリセシニ拘ハラス一般窮困ノ有様黙視スヘキハ非ス、之ヲ救フノ任ニ当ルヘキ国家財政ノ機関タルモノハ目下独リ本行アルノミナルヲ以テ此時ニ当リテハ徒ニ本分ヲ守ルヲ以テ足レリトセス更ニ一歩ヲ進メ之レカ救済ノ方案ヲ立テサルヲ得サル場合ニ差迫リ候ニ付、当分別紙記載ノ株券(後段参照)ヲ担保品トシテ割引ヲ拡張シ、且ツ之レヲ根抵当トシテ信用アル各銀行ニ対シ応分ノ貸越ヲ許ルシ以テ融通ノ区域ヲ広メ度候、右株券ノ引受ケ価格ハ其払込金額ト利益ノ割合及市上ノ相場トヲ斟酌シテ本行ニ於テ毎月一回之レヲ議定シ、閣下ノ御認可ヲ経可申候、右御許可被下候ハヽ必ス市上信用ノ程度ヲ増進シ目下ノ困難ヲ救済シ、随テ金融ノ疏通ヲ得ヘクト思惟仕候条、御允許被下度此段請願仕候也
右上申ニ対シ同日大蔵大臣ヨリ右ハ時機不得止義ニ付申出ノ通認可スル旨指令セラレタルニ依リ、本行ハ同月十五日ヲ以テ担保品付割引ノ
 - 第5巻 p.220 -ページ画像 
手続ヲ左ノ如ク定メ、之ニ規定セサル事項ハ通常手形割引ノ手続ニ従ヒ取扱フコトヽシ、同月二十日ヨリ其取引ヲ開始シ以テ財界救済ノ道ヲ開キタリ、而シテ之カ割引歩合ハ当初之ヲ当所商業手形割引歩合ト同一ニナシタリシモ、同年十月二十日以降定期貸利子ト同一トナシ当所商業手形割引歩合ニ比スレハ常ニ幾分ノ高率ヲ保タシメタリ
    担保品付手形割引手続
 第一 為換手形約束手形ニシテ担保品ヲ要スルモノハ総テ左記之公債証書若シクハ諸株券ヲ徴収シ割引ヲ為スヘシ
   但担保品ノ価格ハ時々定ムル処ニ拠ル
    諸公債証書        甲武鉄道株
    日本郵船株        日本鉄道株
    海上保険株        同第二募集株
    九州鉄道株        同第三募集株
    山陽鉄道株        関西鉄道株
    炭礦鉄道株        阪堺鉄道株
    水戸鉄道株        大阪鉄道株
    両毛鉄道株        讃岐鉄道株
 第二 担保品附属ノ手形ハ振出人名宛人共銀行諸会社一己人タルヲ問ハストイヘトモ割引依頼人ハ銀行若クハ諸会社ニ限ルモノトス
  但場合ニ依テハ一己人タリト雖直接ニ取引スルコトアルヘシ
 第三 担保品徴収ノ節ハ売渡承諾証ノ外ニ尚ホ別紙雛形ノ如キ担保品差入証書ヲ差入レシムルモノトス
 第四 手形ヲ割引スルニ当リ之ニ対スル担保品ハ該手形ト共ニ差入レシムヘキハ至当ナリト雖各銀行ノ請求ニ依テハ予メ若干ノ担保品ヲ一纏メニ預カリ追テ該品ノ価格ニ達スル迄ハ漸次割引スルコトアルヘシ
 第五 前条ノ如ク各銀行諸会社ノ請求ニ依リ予メ若干ノ担保品ヲ一纏メニ預カル場合アルニ於テハ後日其内ノ幾分ヲ引出タシ又ハ他ノ担保品ト交換シ易キ様之ヲ適宜ニ小別シテ差入レシムルモノトス
 第六 本行ニ於テ割引シタル手形ニシテ割引依頼人ヨリ之カ買戻ヲ請フトキハ期日前トイヘトモ之ヲ売戻スヘシ
   但本文ノ場合ニ於テハ売戻ノ翌日ヨリ手形期日迄ノ利子ハ当時本行ニテ定メアル割引利子ヨリ凡ソ壱歩乃至一歩五厘ノ低利ヲ以テ売戻スモノトス
 第七 担保品差入ノ節ハ通帳ヲ持参セシメ之レニ営業局第一課及ヒ取扱人ノ見認印ヲ捺シテ受授ノ証トシ別ニ担保品預証ハ附与セサルモノトス

印紙 担保品差入証書

 何其承諾証添
一九州鉄道会社株式何百株     此払込金額何百円
一………………………       ……………………
 - 第5巻 p.221 -ページ画像 
右ハ  年 月 日割引相願候    ニ対スル担保品トシテ差入置候処相違無之候、然ル上ハ万一期日ニ至リ仕払人手形不渡致シ候節ハ拙者ヨリ弁償可致ハ勿論ニ候得共、貴行ニ於テ右担保品御売却ノ上其代金ヲ以テ割引金額及ヒ諸費用御計算被成候共聊カ異議無之若其節計算上不足相立候トキハ金高何程ニテモ拙者ヨリ直ニ弁償致シ貴行ニ対シ毫モ御迷惑相掛ケ申間舗候、且期限中担保品実価低落ノ節ハ貴行ノ望ニ応シ速カニ増担保品差入可申、万一相滞候節ハ手形期限中トイヘトモ担保品全部若クハ其一部ヲ勝手ニ御売却相成候共苦シカラス候、若又貴行ノ御都合ニ依リ担保品引換方御請求相成候ハヽ無異議他品ト引換可申候、仍テ担保品差入証書如件

   
      行           何々銀行
 明治  年  月  日        頭取支配人
      印                 何ノ誰

  日本銀行
     総裁